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無意識に任せる瞑想のすすめ【初心者にも対応】
今回は、初心者にも対応した、無意識に任せる瞑想についてお話したいと思います。僕自身は、瞑想することにあまり苦労したことがなかったため、わりと簡単に、「思考を止める」という表現を使ってきました。でも、初心者にとっては、それ […]
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観照者の目覚めと、その再現性について【Q&A】
今回は、KAYUさんからいただいた質問メールを公開したいと思います。前回のKAYUさんからのQ&A記事「ハートの感覚にも、飽きることがあるのではないか?【Q&A】」の続編のようなものです。KAYUさん、ありがとう […]
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感覚と共に〝在る〟とはどういうことか? そして〝無〟について【Q&A】
今回はKURAFUさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。KURAFUさん、ありがとうございます。 ※6000文字ほどの長文です。 KURAFUさんからの質問 山家さん、こんにちは。KURAFUと申します。 20 […]
書籍
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『空白JPアーカイブ2022+』紙書籍&電子書籍を出版しました
紙書籍&電子書籍『空白JPアーカイブ2022+(Amazonへ移動します)』を出版しました。 2022年に空白JPに投稿したすべての記事と、書き下ろしの特別記事「真理の探求における折り返し地点」を収録しています。 今回の […]
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『空白JPアーカイブ2021+』紙書籍&電子書籍を出版しました
紙書籍&電子書籍『空白JPアーカイブ2021+(Amazonへ移動します)』を出版しました。 2021年に空白JPに投稿したすべての記事に加えて、2018年に投稿した記事の中から1記事を抜粋して収録しています。書 […]
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プロフィール

1980年生まれ。小学1年生の時に、自分が死ぬ存在であるということを唐突に理解して恐怖に襲われました。そして、すべての人が死ぬ運命にあるというのに、なぜ、友人達がそれを気にしないのか理解できませんでした。夜寝る前に天井を見上げて「この自分もいつかは死んでしまうのか……」と思うと、激しい恐怖に襲われて両親に泣きつくこともありました。
とはいえ、小学校、中学校、高校と、人生を楽しんできました。人は、常に死の恐怖を感じているわけじゃありません。そして、死の恐怖を感じるということは、この世界に執着しているということでもあります。大学生になったある時、今度は激しい虚無感に襲われました。感情が麻痺してしまったかのような状態が20代の間は続きました。昔は楽しめたことが、楽しめなくなっていました。自分が何を求めているのか、分からなくなってしまいました。
とはいえ、それがキッカケで真理の探求を始めたわけじゃありません。探求の世界からは遠いところにいました。虚無感に苛まれながらも、世界の中で、感情を満たそうと奮闘していました。でも、2012年、苦しむことに飽きるという経験をします。人は、根拠もなく満たされることができるんだということを理解しました。その経験をキッカケに、2014年から真理の探求が始まり、探求が終わったのが2019年の夏頃です。そして、今に至ります。