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瞑想

思考を瞑想対象にするためのポジションのとり方

今回、瞑想会を開催するにあたって、どのような内容にしようか考えていたりするのですが、瞑想の実践に入る前に、ある感覚的なことをお伝えしようかと思っています。

例えば、僕は『空白JPアーカイブ2022+』の特別記事「真理の探求における折り返し地点」の中で、このようなことを書いています。

僕自身、最初はヴィパッサナー瞑想から入りましたが、マントラ瞑想も試しましたし、ヨガも試しましたし、サマタ瞑想も試しました。結局のところ、僕は、なんとなく、思考を観察しやすいポジションをとるという、おそらくはオリジナルな瞑想に行き着くことになりました。そして、最終的には、その〝補助輪〟も手放してしまいました。

この〝なんとなく、思考を観察しやすいポジションをとる〟という感覚的なことについて、対面で伝えられればいいなと思っています。そして、その前段階として、今回この記事で、その言語化を試みようかと思います。

はたして、それは言葉による表現だけでも伝わるのか? それとも対面で伝えたほうが伝わるのか? その実験でもあります。

心の声はどこから発せられているのか?

〝心の声〟という表現は世間一般的にもよく使われていますが、その心の声が、どこから発せられているのかについて、よく理解している人はどれだけいるでしょうか?

物理的な声の場合は簡単ですよね。物理的な声は、明らかに口から発せられています。なので、人はマイクを持つと、口に近づけます。当たり前のことですよね。

でも、それが心の声の場合、マイクはどこに近づければいいんでしょうか? 改めてそう聞かれると、その場所はなかなか明確にならないのではないかと思います。この場合、そのマイクとは意識の焦点のことです。

それをどうやって確かめればいいのかと言えば、とてもシンプルです。心の声をだして、その発生源を探ってみればいいんです。心の声の内容は何だってかまいません。「私は誰か?」とか「あーーー」とか「ワンワン」とか「ニャ〜」でも構わないわけです。

むしろ、心の声に言語的に反応してはいけません。「私は誰か?」とか「心の声はどこから発せられているのか?」だと、その答えを言語的に考えたくなってしまうかもしれませんが、それを単なる〝心の音〟として認識して、その発生源を探ってみるんです。言ってみれば、心の声で少しマントラを唱えてみるような感じに近いかもしれません。

目の焦点を合わせられない場所、そこが心の声の発生源

実際にやってみると、探そうとすることと連動して、目が動き出すと思います。人は何かしらをイメージする時には、目が右上とか左上に向いたりしますよね。

イメージそのものは物質的なものではないので、眼球を使って見ることはできません。でも、人は何かを探す時には目を使う癖があるため、眼球には見えないものであっても、目が連動してしまいます。

なので、心の声の場合にも、それを探そうとすると目が動き出すのですが、なかなかその位置を特定できないのではないかと思います。

なんとなく顔のあたりというのは分かると思います。それは、口からでているようにも感じられますし、おでこからでているようにも感じられます。顎や、目や、ほっぺたや、耳からでているようにも感じられるかもしれません。言ってみれば、顔全体がその候補であり、どこか焦点を絞り込めない感覚があるのではないでしょうか?

イメージの場合には、その位置を空間の中に落とし込めるという特徴があります。例えば、目の前に赤いリンゴをイメージする時、空間の中に浮かんでいるようにイメージできると思います。なので、それは物質的なものではありませんが、目の焦点をそこに合わせることができます。

でも、心の声の場合、それは空間の中に落とし込まれているという感覚ではないのではないでしょうか? なんとなく、それは目の焦点を合わせられる対象の〝外〟にあるような感じはしないでしょうか? 言ってみれば、顔の裏側から、心の声が発せられているようには感じられないでしょうか? それは、眼球を使っては眼球そのものを見ることはできない感覚と似ているかもしれません。

にも関わらず、人は心の声を認識することができています。なぜなら、心の目が、心の耳が、心の声を認識しているからです。

人は普段、体の5感覚が優勢な生活をしているので、物質的には見えないものであっても、体の5感覚を使って扱おうとします。でも、心の声というのは霊的なものであって、本来はそれを認識するのは同じ霊的なもの、つまりは心の目や、心の耳といったものです。

「心の目や、心の耳と言われたって、私にはそんな霊的な能力は備わっていないよ」と思う人もいるかもしれませんが、心の声を認識できているということ自体が、霊的な能力が備わっていることを物語っているんです。ただ、その扱いに慣れていないだけなんです。

なので、どこか焦点を絞り込めない感覚があるのであれば、心の目、心の耳を使って、心の声の発生源を探してみてください。もしくは、何も考えずに、とにかく何かしらの心の声を、マントラのように唱えまくってください(例えば、1分間とか)。ここらへんは非常に感覚的なことなので、はたして、すんなりとその感覚を掴めるかは分からないのですが、もし、その感覚が掴めたなら、はっきりとした自覚があるはずです。

まず、目の焦点が、世界から外れていることに気がつくのではないかと思います。目のピントが緩んでいるというか、どこにも焦点が合っていない感覚があるはずです。それはともすれば寄り目にした時の視界に似ているのですが、寄り目の場合には、目の筋肉を意図的に動かす必要があるのですが、この場合には、自然とそうなります。にも関わらず、心の目の焦点は、心の声の発生源にぴったりと合っている感覚があるのではないかと思います。

人は放心すると、どこを見ているのか分からなくなったりしますが、そんな状態に近いかもしれません。そして、この状態は「私は在る」ということを感じやすいものでもあります。心の目の焦点が、自分自身に合っているんです。

そのまま目を瞑れば、思考を観察しやすいポジションになる

心の声の発生源に心の目の焦点を合わせたのなら、そのまま目を瞑れば、思考を観察しやすいポジションになります。何しろ、思考だって霊的なものです。体の5感覚が優勢の状態よりも、霊的な、心の目と心の耳が優勢な状態の方が、思考を観察しやすくなるのは当たり前です。

サマタ瞑想などでは、瞑想対象として呼吸や眉間が挙げられることが多いと思います。今回伝えようとしているものは、表面的には眉間を瞑想対象にしようとすることに近いと思います。でも、根本的なところがまったく違うんです。

もし、眉間の皮膚感覚を瞑想対象にしたなら、目の焦点はそこに向かうでしょう。体の5感覚が優勢な状態です。その状態で、霊的な思考との、まわりくどい主導権争いをしなければいけません(体の5感覚を経由させた)。

一方、心の声の発生源に心の目の焦点を合わせる場合、そこにまわりくどさは無く、シンプルに霊的な思考との、直接的な主導権争いになります(直接的に思考を見ることができる)。どちらがより勝利に近づくかは明白なのではないかと思います。

また、その場合、思考が消えれば瞑想対象も消えるわけなので、瞑想対象に執着してしまうということも起こりません。〝思考を観察しやすいポジション〟そのものが瞑想対象になるのではと思うかもしれませんが、実際にそのポジションに立てば、それは対象というよりも、自分自身がいる場所だと感じるのではないかと思います。

「自分の内側を見なさい」と言われることがありますが、その内側とは、霊的な自分のことなのであって、体の5感覚のことではないんです。その対象を空間の中に探せる(目で焦点を合わせられる)のなら、それは実質的には〝外側〟になります。例え、それが体の内側であってもです。

そういった点において、体を瞑想対象にした瞑想には限界があります。どこまでいっても、5感覚を経由させなければならない、まわりくどさが続くんです。そしてまた、思考を沈黙させるだなんてことは不可能なように感じられるんじゃないかと思います(観察主体である自分自身が黙るだなんて、なおさら考えられないでしょう)。

僕は、30分間黙っていられるようになることを瞑想修行のゴールにしています(もちろん、観察主体である自分自身も含めてです)。でも現状、そのハードルは、多くの人にとって、とても高いものなのかもしれません。

僕がそうであったように、どんな瞑想方法を実践していようが、そのまわりくどさを問題に思うようになれば、その人の知性が、その人を〝内側〟に導いていってくれるだろうとは思っています(そういった意味で、探求には疑うことも必要です)。

でも、実際のところは、それがまわりくどいことだとは思わない人も少なくないのかもしれません。人は、あらゆるものを瞑想対象にすることができると感じています。むしろ、それが自分自身(観察者)の強みだと感じているんです。でも、実際のところは目では焦点を合わせることができない場所があり、そこが自分自身(観照者)の居場所なんです。瞑想対象に頼ることなく、30分間黙っていられる場所はそこだけでしょう。

僕はあまり、霊性に興味を持つことを推奨しないのですが、今回、瞑想会を開始するということもあって、こういう話もしてみることにしました。人によっては「なんだよ、こういうことはもっと早く教えてくれよ!」と思う人もいるかもしれませんが、僕自身、〝なんとなく、思考を観察しやすいポジションをとる〟ということが、こういう構図になっていたんだということを、今回考察してみて、初めて気がつきました。

僕の場合には、心の声の発生源を探すということはしていなかったのですが、目を瞑った状態で、無自覚に、体の5感覚が優勢の状態から、霊性が優勢の状態に切り替えていたようです。でも多くの人は、いきなり「はい、目を瞑って。それから霊性が優勢の状態に切り替えて」と言われてもチンプンカンプンだと思います。なので、心の声の発生源を探してみるという、霊性を理解するための方法を今回用意してみました。

ちなみに、体の5感覚が優勢の状態から、霊性が優勢の状態になる変化は、長いトレーニング期間が必要というわけじゃなくて、アハ体験的な瞬間的なシフトになるかと思います(おそらく)。

なので瞑想会では、瞑想の実践に入る前に、まずはその感覚を感得してもらいたいなと思っています(この記事で感得してしまう人もいるかもしれませんが)。もし、感得できるなら、それ以降の瞑想修行の期間が、グッと短いものになるかもしれません。

もちろん、この感覚を感得したからといって、思考に巻き込まれるということは避けられないと思います。なので、〝無意識に任せる瞑想〟の実践は必要になります。とはいえ、それによって、終わりのない瞑想修行にとらわれることを避けることができるのなら、真我実現も現実的なものになるのではないかと思います。

(関連記事:無意識に任せる瞑想のすすめ【初心者にも対応】