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真我探求

あなたはこの世界に生まれたのか?【自我の芽生えを超えて】

ラマナ・マハルシは、「あなたは生まれたのですか?」と言うことがあります。この言葉、ちょっと究極的ですよね。そんなことを言われたなら、何も言い返せないわけです。「当然、生まれたと思っているけれども、それは勘違いだということ […]

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真我探求

悟後の修行は必要なんでしょうか?

「悟後の修行」という言葉があります。 悟った後にも、修行は続けられるべきである、という意味合いで使われることが多いのではないかと思います。 僕は、この言葉の意味が気になっていた時期がありました。 「なぜ、悟ってからも修行 […]

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真我探求

空間が意識であるかのように感じられるメカニズム

「意識(神)とは空間のことである」と言われることがあります。 個人はこの体に限定されているけれども、意識はこの体に限定されているわけではなく、それはこの空間全体に広がっているということですね。 宇宙そのものが意識であり、 […]

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真我探求

退屈な時間はなぜ長く感じられるのか?

退屈な時間って、長く感じられたりしますよね。 例えば、電車に乗って1時間ぐらい移動する場合、何もせずにジッとしていられる人は少ないでしょう。 スマホを取り出してニュースをチェックし始めたり、イヤホンを取り出して音楽を聴き […]

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真我探求

悟った人の行動を真似するべきか?【自分を他人だと悟る】

子どもってよく親の真似をしますよね。 それは人間に限らずに、あらゆる動物に言えるかもしれません。 毛づくろいをする親猫を見て、子猫も毛づくろいを始めたりします。 まるで、DNAレベルで真似する働きが組み込まれているかのよ […]

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ラマナ・マハルシ 真我探求

バーチャルリアリティの中心で、「私は誰か」をさけぶ

今回は、バーチャルリアリティの世界を舞台に、ちょっとした思考実験をしてみたいと思います。 「レディ・プレイヤー1」という映画があります。 スティーブン・スピルバーグ監督の作品で、荒廃した近未来(2045年)を舞台にしてい […]

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心理 真我探求

執着は手放すものではなく飽きるもの?

「執着を手放しなさい」と言われることがあります。 執着が苦しみの原因だと言われているからですね。 でも、多くの場合、そう簡単にはいかないのではないかと思います。 「よし、執着を手放そう!」と思ってみても、思考とは裏腹に、 […]

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真我探求

「苦しみ」を避けて「退屈」を追わないこと

僕はこのブログで「苦しみと退屈を避けないこと」と言っています。 このブログのすべての記事は、なぜそうした方がいいのかの説明のためにあるとすら言っています。 そんなこともあって、このブログを良く読んでいただいている方には、 […]

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ラマナ・マハルシ 真我探求

なぜ、ラマナ・マハルシは「すべては意識である」とは言わないのか?

真理についての本を読んでいると、「すべては意識である」という言葉をよく見かけます。 本の帯に使われていたり、キャッチコピーに使われていたり、まるでそれが答えであるかのように扱われているのではないかと思います。 でも、ラマ […]

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真我探求

OSHOの名言【退屈から逃れる道はない】

今回はOSHOの名言を、独断と偏見でピックアップしてみたいと思います。 「退屈から逃れる道はない」という言葉です。 OSHOのJOYという本の中にでてきます。 OSHOに詳しい人であれば、「他にも名言があるでしょ」と思う […]