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真我探求

悟りの段階は3つあるけど、意図的に目指せるのは2つだけ

悟りの段階には、大きく3つあると思います。でも、意図的に目指すことができるのは、おそらく、2つだけです。3つめの最終的な悟りは、理屈的に、目指すということはできないはずです。 世の中では、瞑想中の状態を何段階かに分けて〝 […]

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ニサルガダッタ・マハラジの名言【私は在る、それ以外はすべて推測だ】

今回は、独断と偏見で、ニサルガダッタ・マハラジの名言をピックアップしてみたいと思います。 私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。それ以外はすべて推測だ。 『I AM THAT 私は在る』(ナチュラルスピリット刊) […]

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悟りとは精神病の一種なのか?

悟りとは、精神病の一種なのではないかと思う人もいるんじゃないかと思います。その気持ちは、僕も良く分かります。僕自身、「もしかしたら、そうなのではないか?」と疑っていたことがあるからです。もし、そうなのだとすれば、悟りを目 […]

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真我探求

真我実現した人が、再び、真我を忘れてしまうことはあるのか?

古典の中では、真我実現した後に、堕落していってしまう覚者の話があったりします。「真我実現するということは、絶対的なことであって、その後に堕落するだなんてことはあり得るの?」と思う人もいるかもしれません。稀だとは思いますが […]

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自分を客観的に俯瞰して観ている存在は何か?

人は、程度の差こそあれ、自分自身を客観的に俯瞰するということをしたりします。例えば、カメラを向けられるとなんとなく意識してしまうのは、カメラの視点から見た自分がどんな感じなのか気になってしまうからでしょう。人は、カメラが […]

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「私は在る」という感覚は〝浄化具〟である

探求の世界では、「私は在る」という言葉が結構良く使われます。そのことを理解することが、真理を悟ることであるかのように扱われることが多いのではないかと思います。なにしろ、『聖書』にも登場する言葉です。「私は在る」とはどうい […]

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あなたはこの世界に生まれたのか?【自我の芽生えを超えて】

ラマナ・マハルシは、「あなたは生まれたのですか?」と言うことがあります。この言葉、ちょっと究極的ですよね。そんなことを言われたなら、何も言い返せないわけです。「当然、生まれたと思っているけれども、それは勘違いだということ […]

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悟後の修行は必要なんでしょうか?

「悟後の修行」という言葉があります。 悟った後にも、修行は続けられるべきである、という意味合いで使われることが多いのではないかと思います。 僕は、この言葉の意味が気になっていた時期がありました。 「なぜ、悟ってからも修行 […]

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空間が意識であるかのように感じられるメカニズム

「意識(神)とは空間のことである」と言われることがあります。 個人はこの体に限定されているけれども、意識はこの体に限定されているわけではなく、それはこの空間全体に広がっているということですね。 宇宙そのものが意識であり、 […]

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退屈な時間はなぜ長く感じられるのか?

退屈な時間って、長く感じられたりしますよね。 例えば、電車に乗って1時間ぐらい移動する場合、何もせずにジッとしていられる人は少ないでしょう。 スマホを取り出してニュースをチェックし始めたり、イヤホンを取り出して音楽を聴き […]