よく、「赤ちゃんは悟ってる」とか言われることがあると思います。 「赤ちゃんは、マスターだ」とか。 まだ、物心つかない子供とかもそうですね。 そう言われると、「じゃあ、赤ちゃんみたいになればいいのかな?」と思う人もいると思 […]
月: 2020年5月
探求というか、スピリチュアルな世界では、「ジャッジ」という言葉がでてくることがあると思います。 「ジャッジをしないように」とか。 でも、この言葉。 スピリチュアルな言葉の中でも、1位、2位を争うほど、誤解されている言葉で […]
気づきが先か?観察が先か?【本当の瞑想】
瞑想についての本を読んだりすると、「気づき」と「観察」という言葉がよく出てきます。 この2つの言葉、どういう関係にあると思いますか? 観察するから、気づくんでしょうか? それとも、気づくから、観察することができるようにな […]
探求の終わりには、「世界は実在している」という認識が崩壊します。 「私は在る」とは何か? 「ハート」とは何か? を理解した人にとって、最後に残っているのが、この認識の崩壊です。 これが起こるまで、少なからずの分離感が残り […]
瞑想とは思考との戦いである!【観察者=思考】
瞑想というのは、基礎トレーニングのようなものです。 エベレスト山に登ろうとする人が、事前に、体作りをするようなものです。 瞑想そのものが、あなたを真理に導くわけじゃないんです。 あなたを真理に導くのは「沈黙」です。 でも […]
以前、「非二元論を超えて【アドヴァイタ・ノンデュアリティ】」という記事を書きました。 「ラマナ・マハルシの教え(不二一元論)と、非二元論って違うよなあ。。」というところから書いた記事なのですが、どうやら、違っていて当たり […]
真理の探求において、「師(グル)」というのは必要なんでしょうか? グルというと、なんか宗教っぽいですが、言ってみれば「先生」とか「教師」ということですね。 僕も、以前、このことに頭を悩ませていたことがありました。 「師は […]
ラマナ・マハルシの本を読んでいると、「ラマナ・マハルシは平等主義者なのかな?」って思われるエピソードが書かれていたりします。 例えば、食事。 ごはんの量が、みな、平等であることにこだわっていたようです。 アシュラム内で、 […]
よく、「真理を悟りたいという欲求は、探求の障害になる」と言われたりします。 探求の世界では、この言葉は、大きな市民権を得ているように思えます。 でも、一方で、「顔を水の中に沈められたときに、空気を求めるがごとく、激しく真 […]