カテゴリー
瞑想

気づきが先か?観察が先か?【本当の瞑想】

瞑想についての本を読んだりすると、「気づき」と「観察」という言葉がよく出てきます。

この2つの言葉、どういう関係にあると思いますか?

観察するから、気づくんでしょうか?

それとも、気づくから、観察することができるようになるんでしょうか?

はたまた、その両方でしょうか?

もし、あなたが、「本当の瞑想」とは何かを知りたいと思うのであれば、この違いは、知っておいたほうがいいかもしれません。

気づきが先です。

結論を言ってしまえば、「気づき」が先です。

あらゆることに、気づきが先行します。

極端なことを言えば、睡眠状態から、目が覚めるのも「気づき」です。

目が覚めたことに気づきます。

目が覚めたことに、気がつかない人はいないはずです。

もしいるとしたら、それは夢遊病者です。

ほとんどの人は、目が覚めたことに気づいた状態で、トイレに行きます。

そして、歯を磨きます。

コーヒーを淹れて、朝食を食べます。

そのすべてに、気づきがあります。

とはいえ、ほとんどの人は、それを「気づき」とは思わないのではないかと思います。

あまりにも、当たり前のことだからです。

気づきは、空気よりも身近なものです。

気づきがなければ、人は、自分が起きていることに気がつくことができません。

でも、人は、「ここに、気づきがある」とは言いません。

「私は、朝になって、起きて、今、朝食を食べ終えたところ」と言うだけです。

観察するから、気づくんじゃないの?

瞑想では、まず、「観察」するところから教えられると思います。

最初のうちは、「気づき」とは何かを自覚することが難しいからです。

だって、いきなり、「気づきとして、とどまってください」と言われたらどうでしょう?

「え?気づきってなに?」ってならないでしょうか?

それよりは、「自分の呼吸を観察してください」と言われたほうが、具体的で分かりやすいんじゃないでしょうか?

「ほうほう、呼吸を観察してみればいいのね」って理解しやすいはずです。

そして、呼吸を観察していると、呼吸のペースが段々とゆっくりになってくることに気がついたりします。

「あ、なんか呼吸が落ち着いてきたな」とか気がつきます。

このことを、「気づき」だと思っている人は少なくないんじゃないでしょうか?

観察した結果、得られる理解が「気づき」だと。

それは、間違ってはいません。

間違ってはいないのですが、ちょっと違うとも言えるんです。

それは、気づきというよりも、まさしく「理解」です。

観察した結果、理解が得られたということです。

「瞑想をすると、呼吸のペースがゆっくりになるんだな」という理解です。

じゃあ、「観察」することと、「気づき」って、何も関係がないんでしょうか?

いやいや、関係ありすぎです。

実は、観察すること自体が、気づきなんです。

観察というのは、気づく範囲を限定して、その範囲に気づこうとする努力のことを言います。

式にすると、こんな感じになります。

「観察」=「気づき」+「部分限定」+「集中力(努力)」

多くの人は、いきなり「気づきに、とどまってください」と言われても、なかなか理解することができません。

なので、「部分限定」と「集中力」を使います。

「まず、呼吸に意識を向けてみてください。(部分限定)」

「そして、息が出入りしていることに気づいていられるように、集中してください。(努力)」

ということです。

呼吸を観察するというのもそうですし、その他の瞑想方法であっても、基本的には、この式が当てはまります。

気づく対象を限定して、そこに集中します。

そうすることで、瞑想中に、思考に巻き込まれることを防ぎ、また、気づく力を強化していきます。

本当の瞑想とは、気づく存在としてとどまること。

一般的には、観察することが、瞑想だと思われていると思います。

集中することが、瞑想だと思われていると思います。

でも、違うんです。

瞑想というのは、本当の瞑想とは何かを知るための、修行みたいなものです。

本当の瞑想とは、気づきとして、とどまることです。

さきほど、「観察」とは何かを式にしました。

その式を使って、「気づき」とは何かを表すとこうなります。

「気づき」=「観察」−「部分限定」−「集中力(努力)」

どうでしょうか?

本当の瞑想とは何なのか、理解できるでしょうか?

観察している状態から、「部分限定」を引いて、さらに、「集中力(努力)」を引きます。

例えば、呼吸を観察する瞑想であれば、呼吸への「部分限定」を止めて、「集中する努力」も止めます。

「え。。それって瞑想って呼べるの?」って思う人もいると思います。

それって、瞑想修行を始める前の状態と同じですよね。

でも、それが本当の瞑想なんです。

もし、瞑想修行によって、気づきの力が十分に強化されているのであれば、そのことに気がつけるはずです。

そして、そのことに気がついたのであれば、瞑想は止めてしまってもいいんです。

朝起きて、トイレに行って、歯を磨いて、コーヒーを淹れて、朝食を食べます。

そういった日常生活が、瞑想になります。

それが、本当の瞑想です。

【関連記事】瞑想とは思考との戦いである!【観察者=思考】

【関連記事】瞑想にゴール(目標・目的)はあるんでしょうか?