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自由意志・運命

自分を赦すことは、他者を赦すことなのか?

〝自分を赦す〟という言葉があります。まさしく、苦しみが持続する原因は、自分を赦していないからです。でも、〝自分を赦す〟とは一体どういうことなんでしょうか? そこには様々な解釈があります。そのひとつに、「〝自分を赦す〟とい […]

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悟りと真理について

悟りの境地とは何か? それは目指せるものなのか?

〝悟り〟という言葉は、とてもあやふやなものです。〝悟りの境地〟という言葉は、それに輪をかけて、あやふやなものかもしれません。「境地」という言葉を辞書で調べてみるならば、「体や心が置かれている状態」とあります。であるなら、 […]

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悟りと真理について

全ては自分が創造した世界なのか?

「全ては自分が創造した世界」と言われることがあります。確かに、その通りだと言うこともできます。でも、その〝自分〟とは一体何を指すんでしょうか? ひとそれぞれに〝自分〟というイメージがあり、その解釈次第によって、「全ては自 […]

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1万文字以上の記事 世界は実在しない 特選10記事

世界を救うべきか? それとも世界は実在しないのか?

探求を始めると、探求の世界はどうやら、大きく2つのグループに分かれているようだと気がついたりします。「世界を救う」というグループと、「世界は実在しない」というグループです。大乗仏教やサーンキヤ哲学は、「世界を救う」という […]

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ハート・真我 特選10記事 私は在る

ハートに意識を向けることと「私は在る」ことは違うのか?

今回は、ハートに意識を向けることと、「私は在る」ということの違いについてお話したいと思います。この2つ、同じようなものなんじゃないかと感じる人は意外と多いのではないかと思います。うちの妻からも、「それって同じことでしょ? […]

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悟りと真理について 特選10記事

悟りの段階は3つあるけど、意図的に目指せるのは2つだけ

悟りの段階には、大きく3つあると思います。でも、意図的に目指すことができるのは、おそらく、2つだけです。3つめの最終的な悟りは、理屈的に、目指すということはできないはずです。 世の中では、瞑想中の状態を何段階かに分けて〝 […]

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ニサルガダッタ・マハラジ 私は在る

ニサルガダッタ・マハラジの名言【私は在る、それ以外はすべて推測だ】

今回は、独断と偏見で、ニサルガダッタ・マハラジの名言をピックアップしてみたいと思います。 私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。それ以外はすべて推測だ。 『I AM THAT 私は在る』(ナチュラルスピリット刊) […]

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心理学 悟りと真理について

悟りとは精神病の一種なのか?

悟りとは、精神病の一種なのではないかと思う人もいるんじゃないかと思います。その気持ちは、僕も良く分かります。僕自身、「もしかしたら、そうなのではないか?」と疑っていたことがあるからです。もし、そうなのだとすれば、悟りを目 […]

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悟りと真理について

真我実現した人が、再び、真我を忘れてしまうことはあるのか?

古典の中では、真我実現した後に、堕落していってしまう覚者の話があったりします。「真我実現するということは、絶対的なことであって、その後に堕落するだなんてことはあり得るの?」と思う人もいるかもしれません。稀だとは思いますが […]

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輪廻転生

過去生の記憶は輪廻転生が存在する証拠になるか?

世の中には、過去生の記憶を持って生まれてくる子どもがいるようです。過去生の記憶だなんて眉唾ものだと思うかもしれませんが、ヴァージニア大学の精神科主任教授であった、イアン・スティーブンソンによって、生まれ変わりは学術的にも […]