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探求が終わる前に書かれた記事

LOVEさえなければ、PEACEなんだよ

ニュースで見つけて気になった言葉があります。

「LOVEさえなければ、PEACEなんだよ」

タモリさんが戦争がなくならない理由について語った言葉の一節らしいです。

僕もそう思います。
でも、もうちょっとつけ加えたいこともあります。

お話します。

タモリさんが語った、戦争がなくならない理由。

「それはな、
人間の中に『好き』という感情があるからだ。

そんなものがあるから、好きな物を他人から奪ってしまう。
また、好きな物を奪った奴を憎んでしまう。

ホラ、自分の恋人をレイプした奴を『殺したい』と思うだろ?
でも、恋人のことを好きじゃなかったら、
攻撃に転じることはない。

残念だけど、人間の中に『好き』という感情がある以上、
この連鎖は止められないんだよ。

『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、
LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。

その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。

ただ、『好き』がない世界というのも、
ツマラナイだろう?

難しい問題だよ、これは。
どうしたもんかね?」

引用元:http://toyokeizai.net/articles/-/143089?page=3

平和は「ツマラナイ」という殻に覆われている。

人間の中に好きという感情があるから戦争がなくならない。
ほんとその通りだと思うんです。

というのも、好きという感情は、
簡単にその姿を変えますよね。

好きなものが得られなかったとき、
奪われたとき、
それはネガティブな感情にその姿を変えます。

例えば、好きな人に振り向いてもらえない場合、
ストーカーになったり、
場合によっては殺してしまうこともありますよね。

そんな事件はニュースでもたくさん報道されています。

愛国心だってそうです。

「愛するべき自国を守るために、敵国をやっつけなければならない!」

戦争が起こるのも当然です。

信仰だってそうですよね。

自分が信じる神を愛しすぎるがあまり、
他の神を信じる宗教を滅ぼそうとします。

宗教戦争です。

今も、世界中のあちこちで起こっていますよね。

なので、「LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。」というタモリさんの言葉。
さすがだな〜って思います。

でも、ひとつ、気になるところがあります。

それは「好きがない世界というのも、ツマラナイだろう?」というところです。

好きという感情がなければ戦争はなくなって平和になるだろうけど、
同時に、世界はツマラナイものになるだろうってことですね。

平和は「ツマラナイ」という殻に覆われているようなものだと。

ツマラナイと思うことは、やめられるのか?

ということは、
ツマラナイという殻をやぶることができれば、
世界は平和になるということですね。

でも、そんなことは可能なんでしょうか?

人はツマラナイという状態をかなり恐れます。

だからこそ、なにかしらの楽しめるものを見つけようとします。

なにか、没頭できることだったりだとか、
美味しい食べ物を食べるとか、
旅行にでかけてみたり。

楽しめなくなってくると、今度は反対に苦しむことをはじめます。

モノを破壊してみたり、
自分の体を傷つけてみたり、
戦争をしてみたり。

ツマラナイという状態にとどまり続けるのは不可能のようにも思えます。

だからこそ、タモリさんも「難しい問題だよ、これは。」って言うわけです。

好きという感情に飽きるように、ツマラナイという感情にも飽きてみる。

僕がつけ加えたいのはここからです。

ツマラナイという殻をやぶることは可能です。

実際に、ツマラナイという殻をやぶっている人はいます。
ごく稀ですけどね。

そんな簡単ではないからこそ、
世界から戦争がなくならないわけなんです。

でも、どうやってツマラナイという殻をやぶれるんでしょうか?

そのメカニズムはとても簡単です。
僕たちは好きという感情を持っていますよね。

でも、その好きという感情はずっと長続きするでしょうか?
途中で飽きてしまったりしませんか?

「今までは好きだったんだけれども、なんか興味がなくなってしまったなあ」とか。

飽きてしまったということです。

好きという感情が消えてしまったということです。

その飽きるという現象は、
好きという感情に対してだけ働くんでしょうか?

実は、それ以外の感情に対しても働きます。
ツマラナイという感情に対してだって働くんですね。

ツマラナイという状態をずっと続けてみてください。

そのうち、ツマラナイとは感じなくなってくるはずです。
ツマラナイと感じることに飽きて、
ツマラナイという感情が消えてしまうんですね。

「そんなバカな!」って思うかもしれませんが、
それを確認しようとする人はほとんどいません。

だからこそ、ツマラナイという殻をやぶっている人はごく稀にしかいないんですね。

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まとめ

というわけで、
タモリさんが戦争がなくならない理由について語った言葉の一節
「LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。」についてお話しました。

ツマラナイということに飽きることは可能なので、
ぜひ、ツマラナイと感じたときには、
それを避けようとせずに、じっくりと味わってみてください。

もちろん、すぐにはツマラナイという感情は消えません。

でも、好きという感情が消えるように、
それはいつかは消えます。

そして、ここが重要なのですが、
ツマラナイという感情が消えたあとには、満たされた感覚が残ります。

その、満たされた感覚をともなう状態を、
僕は空白の状態と呼んでいます。

最初にそれを発見したのはブッダです。

約2500年前ですね。
ブッダは「空」と呼んでいます。

なにもないんだけれども、無というわけではなくて、そこにすべてがあるという状態です。

ツマラナイという感情が消えていて、
なんの感情もないんだけれども、
それは無というわけではなくて、
なんか満たされた感覚(平和)がそこにある、ということなんです。

そう思うと、タモリさんの「LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。」という言葉は、
ブッダの「空」にも通じるなと思います。

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