「人生、死ぬまでの暇つぶし」という言葉があります。
ネットで検索すると、いろいろとでてきます。
そして、この言葉を支持する人がかなり多いことに驚きます。
たしかに説得力がありますもんね。
でも、ちょっと見落としていることがあると思うんです。
お話します。
死んでも暇だったらどうするのか?
見落としているかもしれないこと。
それは、「死んでも暇かもしれない」という可能性です。
死んでも暇だったらどうしますか?
生きているうちは、体もあるし、脳も機能しているので、
言葉を使ったり、イメージしたりすることができます。
旅行だってできます。仕事もできます。
暇つぶしをすることができます。
でも、死んでも、
暇だという感情が継続したとしたらどうなるでしょうか?
暇つぶしはできません。
体も脳もないんですから。
「死んだら感情もなくなるんじゃないの?」って思うかもしれません。
たしかに普通はそう考えると思います。
でも、感情を感じる部分って、
体には属してないですよね。
なんとなく心臓のあたりにあるけど、
心臓が感情を感じているわけじゃないようです。
感情という「何か」が心臓のあたりに重なっているようにも思えます。
医学的にもまだまだよく解明されていない未知の部分です。
死とは究極の暇?
もし仮に、死んでも感情が継続したとしたらどうでしょうか?
ものすごい暇なのではないでしょうか。
キングオブ暇。
究極の暇です。
僕たちは、死後の世界のことを、
イメージで考えたりすることが多いですよね。
天使のようなものをイメージしてみたり、
雲の上の世界をイメージしてみたり。
死後の世界をイメージした絵画やイラストもたくさんあります。
なので、死ぬとそういう世界に移行するものだと考えている人も多いかもしれません。
でも、おそらく、寝ている状態と似たようなものなのではないかなと思います。
寝ているときは、なにも考えていないし、
イメージもしていません。
体があるという認識もないです。
夢はまた別ですけどね。
夢は、体は寝ているけれども、脳が動いている状態です。
死んでしまうと脳がなくなってしまうので、
おそらく、夢もみないでしょう。
暇に耐えられずに生まれてきたのでは?
そんな究極の暇。
僕たちは耐えられるでしょうか?
人はなにかをせずにはいられない生き物です。
1ヶ月間、なにもせずにベッドに横たわっているとか、
病気でもないかぎり、なかなかできないですよね。
テレビをみたくなったり、スマホをいじりたくなったり、
だれかと電話でしゃべりたくなると思います。
もちろん、旅行に行きたいという人もいると思います。
ありとあらゆる、なにかしたいことが、頭の中に湧き出てくると思います。
暇だからです。
でも、死んでいる状態だと、
そういうことすらできなくなります。
なにも考えられず、イメージもできない。
でも、暇を感じる感情は残っている状態。
なかなか耐えられるものではないと思います。
僕は思います。
暇に耐えられないからこそ、
僕たちはこの世に生まれてきているんじゃないかと。
この世に生まれれば、体をゲットできます。
思考したりイメージしたりするための脳も手に入ります。
暇つぶしすることができます。
そう考えると、
やっぱり、「人生、死ぬまでの暇つぶし」なんだと思います。
人生とは、暇の正体を知るための猶予期間かも。
でも、人によっては、
暇をつぶすことに飽きてしまっている人もいると思います。
楽しく暇つぶしできているうちはいいと思うんです。
思う存分、暇つぶしするのがいいと思います。
仕事に精をだしてみたっていいんだし、
世界中を旅行するのも、いい暇つぶしになります。
はたまた、ボランティアに精をだすのもいいかもしれません。
ゲームやアニメにハマってみてもいいんです。
でも、あらゆる暇つぶしに飽きてしまっているという人もいるはずです。
そういう人は、
暇の正体を知るためのタイミングがきているのかもしれません。
「暇」って無条件に嫌がられるものですよね。
理由がないんです。
理由がないんだけれども、嫌なんです。
でも、それってなんでなんでしょうか?
多くの人は、それを考えることすら嫌がると思います。
でも、あらゆる暇つぶしに飽きてしまっている人は、
ぜひ、暇がキライな理由を探してみてください。
僕が思うに、
人生とは、暇の正体を知るための猶予期間なんじゃないかなと思います。
暇の正体がわかってしまえば、
暇は暇ではなくなってしまいます。
究極の暇だって、楽しめるようになってしまうかもしれません。
まとめ
というわけで、
「人生、死ぬまでの暇つぶし」という言葉についてお話しました。
たしかにその通りなんです。
人生、死ぬまでの暇つぶしだと思います。
世の中には、生まれてきた意味を追い求める人も多いですよね。
「私の使命ってなんだろう?」「私の天命ってなんだろう?」とかですね。
もしくは、
「世界を平和にするために、なにかを成し遂げなければならない」
と思う人もいると思います。
そういう考えは、得てして自分を苦しめるのではないでしょうか。
だって、ものすごい努力しなければならないし、
できていない自分を否定することになるからです。
そういう人にとっては「人生、死ぬまでの暇つぶし」という言葉は、
救いになるような気がします。
でも、世の中には暇つぶしすらやる気が起きない人もいます。
僕もそうでした。
そういう人にとっては、「人生、死ぬまでの暇つぶし」という言葉は、
あまり役にたたないと思います。
暇つぶしを楽しめるように努力してみても失敗に終わると思います。
そいういう人は、暇をつぶすのではなく、
暇と向き合うタイミングなんだと思います。
苦しいかもしれません。
でも、ぜひ、暇の正体を突き止めてみてください。