心と感情ってどう違うんでしょうか?
お互いに関係しあっているのは間違いないと思います。
でも、何が違うのかと言われると、
なかなか言葉につまるんじゃないでしょうか。
少しお話します。
感情を「言語化」したものが心なのではないか?
心と感情の違い。
結論から言うと、
感情を「言語化」したものが心なのではないかなと思います。
感情ってとても複雑です。
とても一言で言い表すことはできないと思います。
便宜上、僕たちは、
嬉しい感情とか、悲しい感情とか、怒りの感情とか、
感情に名前をつけますが、
本当にしっくりとした、言葉による感情の説明はできないものだと思います。
でも、それを言語化しようとする存在。
それが心なのではないかなと思うんです。
言ってみれば、心とは感情の代弁者とも言えるのではないかと。
代弁するだけではなく、翻訳もする。
その証拠に、僕たちが心だと思っているもの。
そこには、必ず言葉やイメージがともないませんか?
今、この文章を読んでいるのは、
あなたの心だと思います。
言葉がともなっていると思います。
感情そのものが、この文章を読むことはできないのではないでしょうか。
心を使って、この文章を、
感情が理解できるカタチに翻訳しているはずなんです。
その結果、感情が動くかもしれないし、動かないかもしれません。
そうなんです。
心は、感情を代弁するだけではなくて、
外の世界の言葉やイメージを、
感情が理解できるカタチへ翻訳する働きもしているのではないでしょうか。
心は脳に依存している?
心というのは、
人間以外にもあるんでしょうか?
おそらく、あると思います。
でも、それは、脳の性能に依存するかもしれません。
僕たち人間の脳は、
大脳皮質がとても発達していて、言語を扱うことができます。
でも、大脳皮質が発達していない動物の場合、
言語を扱うことはできません。
なので、心があるとしても、
おそらく、人間の心とは違うものになるのではないでしょうか。
より、感情そのものに近いものになるのではないかなと思います。
心を使って感情を変えようとしても上手くいかない理由。
僕たち人間の脳はとても優秀です。
結果として、心もとても高性能です。
複雑な言語だって理解できるし、
今ではAI(人工知能)を開発するほどにもなってきています。
でも、それがゆえに、起こる問題もあると思うんです。
それは、心が、感情の代弁者であることを忘れて、
心が、感情の主人だと思いこんでしまうということです。
感情とは、心の中の一部分だと思っている人も多いのではないでしょうか?
その結果、心を使って、感情をコントロールしようという試みがおこなわれます。
でも、その試みはなかなか成功しません。
というのも、本来、心は感情の代弁者なんです。
心よりも、感情のほうがより複雑です。
唯一、感情を変えることができる存在とは?
心を使って、
感情を変えようとすることは難しいと思います。
でも、感情を変えることができる、
影響を与えることができる存在があります。
なんだと思いますか?
それは「意識」です。
意識というのは、
ものごとに気づいている存在です。
心や感情と一緒にされることもありますが、
違います。
意識は、心の動きに気づきます。
感情の動きにも気づきます。
体の状態にだって気づきます。
言ってみれば、すべてを見守る存在なんです。
僕たちは、人に意識してもらえると、
気分がよくなったりしますよね。
子どもは、親に意識してもらいたがります。
そうすると、気分もよくなるし、安心できるからです。
そして、意識というのは、
人に意識してもらうだけじゃなくて、
自分自身を意識するということもできます。
もし、イヤな感情がそこにあるのなら、
それを心でどうこうしようと考えるのではなくて、
ただ、意識的に見守ってあげればいいんです。
そうすると、だんだんとそのイヤな感情が、
消えていくことに気がつくと思います。
まとめ
というわけで、
心と感情の違いについてお話しました。
感情はとても複雑なものです。
その感情を言語化しようとする存在が心なんですね。
心は感情の代弁者なんです。
ちなみに、心は脳の性能に依存すると言いましたが、
もし、仮に、人間の脳が数倍に進化したとしたら、
より、正確に、感情の代弁をすることができるようになるんでしょうかね?
気になるところです。
おそらく、それでも、心によって感情をコントロールしようとすることは、
難しいのではないかなとは思いますが。
結局のところ、感情を癒やすことができるのは、
意識だけなのではないかなと思います。