アーサー・オズボーン著「ラマナ・マハルシの伝記」という本を読んでみました。
伝記なのですが、必ずしも時系列順に書かれているわけではなく、テーマ別に書かれています。
僕としては、時系列順に書かれていたほうが好みでしょうか。
特に、ラマナアシュラムの成り立ちから規模が大きくなっていく過程が省かれているような印象を受けました。
とはいえ、今まで知らなかったラマナ・マハルシについてのエピソードなども知ることができて面白かったです。
今回は、「ラマナ・マハルシの伝記」の中から、いくつかのエピソードをピックアップしてお話してみたいと思います。
16歳の時に起こったラマナ・マハルシの覚醒体験
ラマナ・マハルシのエピソードで1番有名なのは、なんの修練もなしに16歳の時に起こった覚醒体験でしょう。
その体験について、すこし長いですが、ラマナ・マハルシ本人が語っている部分を引用してみます。
「私の生涯に大いなる変化が起こったのは、私がマドゥライを永久に立ち去る6週間ほど前のことだった。それはまったく突然だった。私は叔父の家の2階の部屋でひとり座っていた。私はめったに病気をしたことがなかったし、その日はいつもと変わらない健康状態だった。だが、激しい死の恐怖が突然私に襲いかかってきたのだ。私の健康状態には、その恐怖が起こるような原因は何もなかった。私はその原因を探しだそうとすることも、恐怖の理由が何かを見いだそうともしなかった。私はただ「私は死のうとしている」と感じ、それについて何をすべきか考えはじめた。医者や兄や友人に助けを求めるという考えはまったく心に浮かばなかった。私はそのときその場で、自分自身で問題を解決しなければならないと感じたのだ。死の恐怖の衝撃は、私の心を内側へ向かわせた。そして私は実際に言葉にすることなく、自分自身の心の中でつぶやいた。「今、死がやってきた。これはいったい何を意味するのか? 死んでゆくのは何なのか? 死ぬのはこの身体だ」。私はすぐさま死という出来事を劇的に表現した。私は探求によりいっそうの現実性を与えるため、あたかも死後硬直が起こったかのように、手足を硬く伸ばしたまま死体を模倣した。そしてどんな音も漏れることなく、「私」という言葉や他のどんな言葉も口に出せないように息を殺し、硬く唇を閉じた。そして私は心の中でつぶやいた。「これでこの身体は死んだ。それは硬直したまま火葬場に運ばれ、そこで燃やされて灰と化すのだ。だがこの身体が死とともに私は死ぬのだろうか? 果たして身体が「私」なのだろうか? 身体は沈黙し、それ自体に生命力はない。だが私は自分の人格の完全な力を感じているし、それとは別に、私の内側で「私」という声さえ感じる。それゆえ、私は身体を超越した霊性なのだ。身体は死ぬ。だが、それを超越した霊性は死によって触れられることはない。それゆえ、私は不滅の霊性なのだ」。これらはけっしてとりとめのない漠然とした考えなどではなかった。それはほとんど何の思考過程もなしに直接知覚された生きた真理として、鮮やかに私にひらめいたのである。「私」とは真に実在する何かであり、私の現在の状態において唯一真正なものだった。そして身体と結びついた意識的な活動はすべて「私」を中心としていた。その瞬間から、「私」あるいは真我は、強力な魅惑をもってしてそれ自身に注意を集中するようになった。死の恐怖は永遠に消え失せた。それ以来、真我への没入は揺るぎなく不断のものとなった。他の想念は音楽のさまざまな音階のように来ては去ってゆくが、「私」は基底のシュルティ音のようにすべての他の音の基底にあって、それらと交わり調和していた。身体が会話や読書や他の活動に従事していようとも、私は「私」に中心が定まったままだった。この一大転機が起こる以前は、私は真我のはっきりした認識をもたず、意識的にそれに興味をもったこともなかった。私は真我に相当の、または直接の興味をもったこともなかったし、ましてその中に永遠にとどまろうとは思ってもいなかったのである」
身体の死を模倣しただけで真我実現してしまうというのは信じ難いことかもしれません。
おそらく、多くの人はこの状況を真似てみたとしても、なにも起こらないでしょう。
僕も、小学1年生のときに激しい死の恐怖に襲われましたが、その時は泣くだけで、何も起こりませんでした。
でも、ラマナ・マハルシにはそれが起こりました。
ラマナ・マハルシは「私は誰か?」と問いなさいと言いますが、まさしく、この死の模倣の体験そのものが「私は誰か?」問うことだったのかもしれません。
この体験そのものが真我探求だったのかもしれません。
そして、アッという間に探求を終えてしまいました。
ただ、この体験が最終的な真我実現だったのかということについては、検証の余地もあります。
というのも、この体験の後、アルナーチャラに向かうまで数週間の間に、二元的な価値観に基づく行為が継続していたからです。
ラマナ・マハルシ本人がこう語っています。
「私の新しい状態の特徴のひとつに、ミーナークシ寺院に対する私の態度がある。以前は、ごくまれに友達と神の像を見に行き、聖灰や聖なる朱粉を額に塗っては、たいした感動も受けずに家に帰ったものだった。だが、霊的覚醒の後、私はほとんど毎晩ひとりで寺院に行くようになった。シヴァやミーナークシやナタラージャの神像あるいは六十三聖者の像の前で長い間じっとたたずんでいると、深淵な法悦の波に圧倒されたものだった。「私は身体だ」という観念が放棄されたとき、魂は身体を手放す。そのため、新たにそれを固定させるためのよりどころを探そうとする。それゆえ、寺院をたびたび訪れ、魂は涙であふれるばかりになったのだ。これは魂との神の戯れだった。私は全知全能、宇宙の支配者であるイーシュワラ神の像の前に立ち、ときには彼の恩寵が私の上に降り立つよう祈ったものだった。そうすることによって、六十三人の聖者たちのように私の帰依心が深まり、永遠のものとなるように」
魂というのは心のことです。
意志と呼んでもいいと思います。
霊的覚醒によって、意志は実在性を失います。
でも、なにかを掴みたがる意志の傾向というのは完全に消えるというわけじゃありません。
それは有ったり、無かったりします。
それは、ラマナ・マハルシも例外じゃないでしょう。
本来は、すべてを超越する真我であるラマナ・マハルシが、イーシュワラ神の恩寵を求めるという二元性を演じています。
そして、まもなくして、ラマナ・マハルシは家を飛び出してアルナーチャラへと向かいます。
アルナーチャラの果樹園で古典を読むラマナ・マハルシ
アルナーチャラにたどり着いたラマナ・マハルシは、真我に没入しつづけます。
飲まず食わずで、ほとんど世界を忘れている状態にとどまり続けたようです。
ラマナ・マハルシのアルナーチャラでの暮らしは順風満帆とは言えない部分もあります。
近所の子どもたちに石を投げつけられたりもしていたようです。
でも、その過程で、ラマナ・マハルシに帰依者が現れはじめました。
帰依者達は、ラマナ・マハルシの安全のため、その体を様々な場所へ移動させたりしていました。
そんなこともあって、ラマナ・マハルシは、アルナーチャラの中でも居場所を転々としています。
その中のひとつに、マンゴー果樹園があります。
夜警のための部屋があり、果樹園のオーナーのはからいで、そこに6ヶ月ほど滞在していたようです。
ラマナ・マハルシは、古典に結構詳しかったりします。
僕は「ラマナ・マハルシは一体どこでその知識を得たんだろう?」と思ったりしていたのですが、その答えはここにありました。
この果樹園に滞在している頃から、ラマナ・マハルシは古典を読むようになったようです。
「後に、ラマナ・マハルシが所有する膨大な学識を得はじめたのはこのころからだ。いかにもラマナ・マハルシらしいことに、それは学ぶことへの欲望からではなく、ただ純粋に弟子を助けるためだった。パラニスワミは宗教哲学の研究のために多くの聖典を得たが、それらはみな彼の知らないタミル語によるものだったため、たいへんな苦労をしていた。彼がそのように奮闘しているのを見たラマナ・マハルシは本を手に取って読み通すと、それらの教えの真髄を示す簡潔な概要を彼に与えた。ラマナ・マハルシ自身の霊的体験が、一見しただけで聖典の教えの理解を可能にし、ラマナ・マハルシの優秀な記憶力が、一度読んだものを記憶にとどめさせたのだった。こうしてラマナ・マハルシはほとんど努力もせずに博識となったのである」
ラマナ・マハルシの超能力?
ラマナ・マハルシはユーモアのセンスも結構あります。
ラマナ・マハルシは、帰依者に超能力に興味を持つことを推奨はしませんでした。
「超能力を得るのは自我であり、自我が苦しみの原因なのであれば、超能力を得るなら苦しみは増すばかりだ」というようなことを言ったりもしています。
そんなラマナ・マハルシなのですが、まるで、自身を超能力者であるかのように演出しているエピソードがあります。
それが結構面白いんです。
それは、ラマナ・マハルシの母親が、ラマナ・マハルシを家に連れ戻そうと奮闘していた時期の話です。
「ラマナ・マハルシの母親とその一行がパヴァラクンドゥル寺院で暮らしていたラマナ・マハルシを訪れたときのことである。母親らが食事のために町へでかけたすきにラマナ・マハルシが抜けだすことを恐れて、母は扉のかんぬきを外側から掛けていった。だが、ラマナ・マハルシはかんぬきを掛けたまま蝶番(ちょうつがい)を抜けば、扉ごと持ち上げて開けられることを知っていたのだ。そうしてラマナ・マハルシは人々に邪魔されることを避けるため、母親らが町に行っている間にすり抜けたのだった。帰ってみると、母親らは扉はかんぬきが掛かったまま閉められているのに、中は空っぽであることに気づいた。その後も誰もいないとき、ラマナ・マハルシは同じ方法で部屋に戻った。どうやってラマナ・マハルシがシッディ(超能力)を使い、閉じられた扉を通って現れたり消えたりしたかを、母親らはラマナ・マハルシの目の前で口々に語りあったが、ラマナ・マハルシはひとつも動揺を見せなかった。何年も後にラマナ・マハルシがこの話をしたとき、ホール全体が笑いの波に揺れたのだった」
意外にも、真我探求を実践していた帰依者は少なかったようです
ラマナ・マハルシは、真我探求を教えています。
外側に瞑想対象を決めて行う瞑想よりも、自分自身へ向かう直接的な道として、真我探求を説いています。
でも、意外にも、真我探求を実践していた帰依者は少なかったようです。
これは結構意外でした。
インドではアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学が主流のようなので、真我探求を行う帰依者は多いだろうなと思っていました。
でも、実際のところは、ラマナアシュラムにやってくる帰依者は、アドヴァイタの教えや真我探求といったものよりも、具体的な規律や、人格を清める方法に興味を持つ人が多かったようです。
「明らかにされているかぎりでは、真我探求を利用した人たちはほんのわずかだったことが認められている。実際に、アーシュラムを訪れた多くの人たちは、アドヴァイタ教義の理解や真我探求のサーダナを修練するよりも、心の平和をもたらし、人格を清め、あるいは強めるための何らかの規律や、生の神秘を解き明かすことを求める者のほうが多かった。そのため、うわべだけを観察した者たちは、わずかな慰めしか与えられなかったように感じて、失望したり、腹をたてたりすることもあったのである」
確かに、真我探求はなかなか実践し難いものがあります。
まず、多くの人には瞑想と真我探求の違いは分からないでしょう。
真我探求の「自分自身に向かう、とどまる」という感覚が理解し難いんです。
もちろん、ラマナ・マハルシもそのことは理解しています。
「ある帰依者が訪ねた。「探求者の素養が何であれ、真我探求の方法をいきなり採用して修練を始めても大丈夫でしょうか?」。ラマナ・マハルシは答えた。「いいや。真我探求は成熟した魂だけに意図されたものだ。他の者たちは精神的また倫理的な個人の成長に適した他の方法を採用して、必要な訓練や修練をするべきである」」
僕の場合は、真理の探求を始める前にハートとは何かの理解が起こりました。
ハートとは「私」という存在感が現れる場所です。
真我探求というのは、このハートに向かうことです。
ハートにとどまることです。
なので、僕の場合には、真我探求を理解することはそれほど難しいことではありませんでした。
でも、そうではないなら、瞑想することが必要だと思います。
僕もハートを理解していたとはいえ、少なからずの瞑想をしてきました。
ただ、瞑想は容易に迷走にもなり得ます。
瞑想から真我探求へとキチンと繋がっていくように教えられる人というのは、それほどいないのではないかと思っています。
瞑想の目的というのは、瞑想することを不要にすることです。
瞑想しようとする意志の仕事をゼロにしてしまうことです。
瞑想とは、意志の仕事を増やしていくことだと勘違いしている人も少なくないと思います。
意志として、瞑想しようとする必要もなく沈黙の中にとどまるなら、ハートとは何かを理解するかもしれません。
そこから、真我探求は始まります。
「ラマナ・マハルシのもとを訪れた人々はヒンドゥー教徒だけでなく、仏教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、パールシー教徒もいた。そしてラマナ・マハルシが彼らの宗教を変えるように求めたことは、ただの一度もなかった。グルへの帰依と彼の恩寵の絶え間ない流れはすべての宗教のより深遠な本質へと導き、真我探求はすべての宗教の背後にある究極の真理へと導くのである」
他にも様々なエピソードがあるのですが、長くなりそうなのでここらへんで終わりにしたいと思います。
気になる人は「ラマナ・マハルシの伝記」を読んでみてください。