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探求が終わる前に書かれた記事

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の違いとは?

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想って
どう違うんでしょうか?

なかなか、
違いが分かりにくいという人もいるかもしれません。

お話します。

サマタ瞑想は、1点に集中する瞑想。

サマタ瞑想というのは、
1点に意識を集中させる瞑想です。

例えば、呼吸に意識を集中させたり、
ロウソクの炎に意識を集中させたりします。

マントラを唱える瞑想も、
ある意味、サマタ瞑想とも言えるかもしれません。

マントラを唱えることに集中します。

でも、なんで、1点に意識を集中させるんでしょうか?

それは、1点に意識を集中させることによって、
他のことに意識が向かないようにするためです。

本当は、どこにも意識を集中させることなく、
無心になれたらいいのですが、
ほとんどの人には、それは難しいことだと思います。

そこで、考え出されたのが、1点に集中する方法です。

ちょっと変な例えかもしれませんが、
赤ちゃんに、ひとつのおもちゃを与えるようなものかもしれません。

おもちゃに意識が向いているうちは、
赤ちゃんはぐずったりしないと思います。

僕たち大人も、集中できる何かひとつがあれば、
他のコトを考えずにすむということですね。

サマタ瞑想の場合、
それが、呼吸だったり、ロウソクの炎だったり、
マントラだったりするわけなんです。

ヴィパッサナー瞑想は、集中する点をズラしていく瞑想。

ヴィパッサナー瞑想というのは、
集中する点をズラしていく瞑想です。

サマタ瞑想は1点に集中する瞑想でした。

でも、ヴィパッサナー瞑想の場合は、
集中する対象をどんどんとズラしていきます。

意識を動かしていくんですね。

例えば、呼吸に意識を集中させます。
ここだけ見れば、サマタ瞑想とまったく同じです。

でも、ヴィパッサナー瞑想の場合は、
そこにとどまりません。
意識をどんどんとズラしていくんです。

首、胸、腕、手、腰、太もも、すね、足、頭というふうに、
体をいくつかのパーツにわけて、
どんどんと意識を動かしていくんです。

それが、ヴィパッサナー瞑想です。

実は、サマタ瞑想のほうが難しいかもしれません。

そう考えると、
ヴィパッサナー瞑想というのは、
サマタ瞑想の進化版とも言えるかもしれません。

実際のところ、サマタ瞑想ができないと、
ヴィパッサナー瞑想はできないとも言われています。

でも、僕はこの考え方に、
ちょっと違和感を感じるんです。

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想。

どちらもやったことがある人は分かるかもしれませんが、
サマタ瞑想のほうが難しいと思います。

無心でいることを保つのが難しいんです。

さきほど、サマタ瞑想というのは、
赤ちゃんにひとつのおもちゃを与えるようなものと言いましたが、
この例えを使うと、その理由がわかると思います。

だって、ヴィパッサナー瞑想というのは、
赤ちゃんにたくさんのおもちゃを与えるようなものだからです。

単純に、ヴィパッサナー瞑想のほうが、刺激が多くなるんです。
だって、体全体が遊び場になるようなものですから。

それに対して、サマタ瞑想は、
呼吸、つまりは鼻のあたりだけが遊び場です。

どっちのほうが早く飽きるかは明らかじゃないでしょうか。

どちらも、本当の瞑想状態になるための補助輪みたいなもの。

「サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想、どっちをやるほうがいいのか?」
という質問をネット上で見かけたりしますが、
どちらでもいいのではないでしょうか。

無心でいられやすい方の瞑想を続けてみるのがいいと思います。

そして、行ったり来たりしていいと思います。
というのも、どちらの瞑想も、ゴールそのものではないからです。

ヴィパッサナー瞑想はブッダが悟った瞑想方法と言われることがありますが、
ちょっと違うような気がします。

ブッダは、本当の瞑想状態に入っていたはずだからです。

サマタ瞑想も、ヴィパッサナー瞑想も、
本当の瞑想状態にはいるための、
いわば、補助輪みたいなものだと思うんです。

どこにも集中せず、でも、全体に気づいている状態。それが本当の瞑想。

本当の瞑想状態というのは、
どこにも意識を集中させていなくても、
無心でいることができ、
かつ、全体に気づいている状態だと思います。

この状態のことを、ブッダは「空」と呼んだのだと思います。

なにも無いんだけど、
そこにすべてが有る状態です。

ヴィパッサナー瞑想でブッダは悟ったわけではなくて、
「空」を発見することによって、ブッダは悟ったのだと思います。

そして、ヴィパッサナー瞑想は、
「空」を発見するための補助輪でしかないと思うんです。

だって、ヴィパッサナー瞑想は、意識を体全体にめぐらす瞑想です。
「自分」という主体をもって、意識を動かしていきます。

その「自分」がいる限り、本当の瞑想には入れないと思います。

つまりは、ヴィパッサナー瞑想を手放したときに、
本当の瞑想に入れるということですね。

サマタ瞑想にしても同じだと思います。

まとめ

というわけで、
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の違いについてお話しました。

サマタ瞑想は止める瞑想、
ヴィパッサナー瞑想は観る(動く)瞑想という違いがあると思います。

ただ、どちらが上か下かというものはなく、
どちらも必要に応じて、使い分けるのがいいのではないでしょうか。

ヴィパッサナー瞑想中に、
意識の動きを止めたくなることもあると思います。

そうしたら、サマタ瞑想に切り替えるとか。

はたまた、サマタ瞑想中に、なかなか無心になれないことがあれば、
ヴィパッサナー瞑想に切り替えるとかですね。

とはいえ、サマタ瞑想もヴィパッサナー瞑想も、
本当の瞑想状態にはいるための補助輪みたいなものだと思います。

やり方に、そこまでこだわる必要はないのではないでしょうか。

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