「意識的になる」という言葉。
わりとよく使われると思いますが、
ものすごく漠然とした曖昧な言葉でもありますよね。
そこで、意識的になることを、
もぐらたたきを例にちょっとお話しようかと思います。
そもそも、意識とはなにか?
意識的になるということの前に、
そもそも「意識」ってどういうものなのかというお話をしようかと思います。
意識というのは「意」と「識」という2つの言葉からなりたっています。
「意」というのは調べてみると、
「心」「気持ち」「考え」などとでてきます。
そして「識」というのは、
「認識する」「知る」「見分ける」などとでてきます。
つまりは、意識というのは「心を認識しているもの」を意味しているんですね。
そして、大事なことは、
意識は心ではないというところです。
世間的には、意識は心の一部のような捉えられ方をすることもあります。
例えば、アメリカの哲学者のジョン・サール氏は、
意識をこう定義づけているようです。
「意識とは、
私たちが、夢を見ない眠りから覚めて、
再び夢のない眠りに戻るまでの間持っている心的な性質のことである」
意識を心的な性質として捉えているんですね。
でも、僕はちょっと違うんじゃないかと思うんです。
意識とは心を映し出す「スクリーン」のようなもの。
意識というのはスクリーンのようなものだと思うんです。
例えば映画館のスクリーン。
映画が上映されていないときでも、
スクリーンそのものはそこに存在していますよね。
白い布のようなものがそこに存在しています。
で、映画が上映されると、
そのスクリーン上に映像が映し出されます。
でも、どんな映像がそこに映し出されたとしても、
スクリーンそのものに変化はないですよね。
例えば、映画の中で火事が起きたとしても、
スクリーンが燃えるということはありません。
スクリーンと映像は違うものだからです。
ただ、重なっているだけ。
心とは意識に映し出される「映像」のようなもの。
そして、スクリーン上に映し出される映像が心のようなものです。
色々な考えやイメージと言ったほうが分かりやすいかもしれませんね。
僕たちは、常日頃、
いろんなことを考えたり、イメージしたりしています。
心に火事が起こったように感じることもあるでしょう。
とても苦しいです。
でも、実のところ、意識そのものにはなんの影響もないんです。
意識は、ただ心を認識しているだけです。
寝ることによって心が活動を停止すれば、
意識は心の不在を認識して無意識になります。
そして、朝になると、心の活動を認識して、意識も目覚めるわけです。
もぐらが少ないほうが、ゲームは簡単。
ここからが本題です。
もぐらたたきゲームってやったことありますか?
最初のうちは、1匹ずつ、もぐらがでてくるので簡単なのですが、
だんだんと、もぐらの数が増えてきますよね。
最後のほうは、ものすごい勢いでたくさんのもぐらがでてきます。
難易度が上がっていきます。
実はこれと同じことが、僕たちの意識と心で行われているんです。
意識的になるということは、もぐらの数を減らすこと。
もし、意識と心を同じようなものだと思っているのであれば、
意識的になるということを、
心を活性化させることだと思う可能性があります。
僕が思うに、そう思っている人はかなり多いのではないでしょうか。
頭の中をたくさんの考えで埋め尽くすことが意識的になることなんだと。
人によっては、それで上手くいく人もいると思います。
でも、ほとんどの場合は、しんどくなることが多いのではないでしょうか。
というのも、頭の中をたくさんの考えで埋め尽くすというのは、
もぐらたたきゲームで言えば、
もぐらの数を増やしているようなものだからです。
ゲームの難易度は高くなります。
実は、意識的になるということは、
もぐらの数を減らしていくことなんです。
10匹のもぐらを相手にするよりも、
5匹のもぐらを相手にしたほうが楽だと思います。
そして、1匹のもぐらであれば、
ゲームの難易度はそうとう下がります。
楽になるってことですね。
意識的になるというのはこういうことなんです。
イメージしてみてください。
スクリーンにもぐらが1匹だけしか映っていないところを。
スクリーンの空白の部分はすべて意識です。
まとめ
というわけで、
意識的になるということを、
もぐらたたきゲームを例にお話してみました。
世の中には、あえて難易度の高いもぐらたたきゲームを、
している人が多いなとも感じます。
ちなみに、もぐらの数を減らす方法なのですが、
結構簡単です。
刺激を減らしてみればいいんです。
例えば、テレビ、SNS、ニュースサイト、など。外から刺激がはいってくるからこそ、
心も活性化します。もぐらが増えていくわけです。
なので、意識的になるもっとも手っ取り早い方法は、
情報を遮断することなんじゃないかなと思います。