聖書の中にこんな言葉があります。
イエスの言葉です。
「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」
マタイによる福音書の第5章3節、山上の説教の中にある言葉です。
この言葉。
ちょっと理解しがたいものがあるのではないでしょうか?
なんで心が貧しい人たちが天の国に?
お話します。
心が「貧しい」ってどういうこと?
心が貧しいって言葉。
なんかイメージが良くないですよね。
人から「あなたは心が貧しいね〜」なんて言われたら、
ムカッとするかひどく落ち込むかのどちらかではないでしょうか。
でも、聖書の中でイエスは、
「心の貧しい人々は幸いである」と言っています。
いったいどういうことなんでしょうか。
一般的には心が貧しいというと、
性格の悪さをイメージしますよね。
意地悪な人とか、人を傷つける人とか。
つまりは、心の「性質」についてですね。
心が豊かな人であれば、
親切な人とか、人のために奉仕する人とか。
「質」ではなくて「量」のことを言っているのではないか?
でも、心の性質ではなくて、
量のことを言っているのであれば、どうでしょうか?
「心に量なんてあるの?」って思うかもしれません。
あります。
例えば、ちょっと今から、1分間、なにも考えないでみてください。
・・・どうでしょうか?
なにも考えられずにいられましたか?
まったくなにも考えないでいられたとう人は少ないかと思います。
でも、仮に、なにも考えずにいられたのだとしたら、
心の量が少ないと言えませんか?
つまりは心が貧しいと。
反対に、1分間、頭の中に考えが渦巻いていた場合は、
心の量が多い、つまりは心が豊かだと言うことはできないでしょうか?
考え事が少ない人々は幸いである。
心が貧しいというのは、
心の量が少ないということだとすると、
「心の貧しい人々は幸いである」という言葉はこう言うこともできると思います。
「考え事が少ない人々は幸いである」と。
僕たちは1日の中でたくさんの考え事をしますよね。
未来の心配をしてみたり、過去の出来事を思い出して後悔してみたり。
なかなか、なにも考えずにいるということができません。
実のところ、なにも考えずにいるというのは結構難しいんです。
そう考えると、心が貧しいというのは、
考え事が少ないということであって、
それが天の国につながるというのは、
あり得るのではないでしょうか。
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「天の国」ってどういうこと?
そして次に、天の国という言葉。
これまた抽象的な言葉です。
聖書の中にでてくる言葉なので、
天使がたくさんでてくる西洋の絵画のようなイメージを持つ人もいると思います。
はたまた、地平線までつづくような広大なお花畑とか。
雲の上でふわふわしたようなイメージを持つ人もいるかもしれません。
でも、天の国ってそういった心が思い浮かべるようなイメージの世界のことなんでしょうか?
頭の中がカラッポの、ただ気づいている意識の状態。
考え事がまったくのゼロになると、
頭の中がカラッポになります。
言葉はもちろん、なにかをイメージすることもなくなります。
つまりは、天の国というイメージすらも消えてしまうんですね。
ということは、天の国というのは、
人が考えるようなイメージの世界ではないということになるのではないでしょうか。
とすると、天の国というのはどういうものなんでしょうか?
僕が思うに、天の国というのは、
頭の中がカラッポの時に表面に現れる、
ただ気づいているだけの意識の状態のことを言うのではないでしょうか。
僕たちは、なにも考えていないときにでも、
意識というのは残ります。
例えば、二度寝しているときは、なにも考えてはいませんが、
うっすらと意識はありますよね。
とても心地良いものです。
そういった、なにも考えていないんだけど、
意識だけがある状態のことを天の国と言うのではないかなと僕は思います。
「なんで意識だけの状態が天国なんだ!?」って思うかもしれません。
こればかりは言葉ではなかなか説明できないのですが、
確かに、意識だけの状態には満たされた感覚がともないます。
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まとめ
というわけで、
「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」についてお話しました。
聖書の中のイエスの言葉なので、
ちょっとお話するのは気がひける部分もあるのですが、
僕はこう思うということをお話しました。
ちなみに、この考え方は、
ブッダが発見した「空」にも通じます。
空というのは、なにもないけど、すべてがあるということです。
人によって解釈が色々と違いますが、
大事なのは、有の反対は無ではないというところです。
無ではなくて、なにかが残るんですね。
ただ、気づいている意識です。
それを「空」といいます。
イエスとブッダ。
根本的には同じことを言っているのではないかと思います。