今回は、Nさんから頂いた質問メールのやりとりを公開いたします。
Nさん、ありがとうございます。
テーマは「瞑想的日常生活というのは、具体的にどんなものなのか?」ということについてです。
Nさんからの質問
貴重な体験と情報をシェアしてくださりありがとうございます。
山家さんのことばが私にはとてもフィットして好きです。
私は5年ほど前にひょんなことから誘導瞑想を体験し、それがとても心地良かったのをきっかけにさまざまな瞑想を試しました。
3年ほど前からマントラを唱えるタイプの瞑想を朝晩30分するのが日課となっています。
歯みがきをするような感覚で、しないと気持ち悪い感じがするのでしているという感じです。
さて、少し前に「真理を悟りたいという人がいるのであれば、日常生活の中に、瞑想を持ち込む必要があります」と書かれていました。
これは日常生活のあらゆる動作を解説するようにサティを入れる(右手でコップをもつ、コップを口に近づける、水を口に入れる…)というようなことでしょうか。
山家さんが実践されている日常的瞑想生活というものについてもう少し詳しくお話していただけませんでしょうか。
よろしくお願いします。
回答
Nさん
こんにちは。
ご質問ありがとうございます。
このブログのことばがNさんにフィットしているなら嬉しいです。
瞑想的な日常生活についてですが、動作を解説するようにサティを入れるということはしません。
たぶん、Nさんが想像している以上に、普通だと思います。
意志のチカラで、何かをするというわけじゃないんです。
むしろ、それをするなら、瞑想的な日常生活というより、意図的な日常生活になってしまいます。
そうではなく、日常生活を送りながらも、内面的な静けさを保っているような感じです。
Nさんは、朝晩30分ほど、マントラを唱えるタイプの瞑想をされているとのことですが、瞑想が終わった後は、内面的な静けさを感じはしないでしょうか?
もちろん、何か、心地よい感覚があるかもしれません。
その感覚は、マントラ瞑想をするから、起こるんでしょうか?
それとも、常に、ここにあるものでしょうか?
Nさんの場合は、「マントラ瞑想をするから」と思うかもしれません。
でも、それをちょっと、疑ってみてもいいかもしれません。
おそらく、試しやすいのは、マントラ瞑想が終わった後に、1分とか数分でもいいので、何もしない時間を作ってみることかもしれません。
意図的になにかをしようとせずに、ただ、その内面的な静けさや、心地よさを感じるだけでいいんです。
マントラ瞑想をした後なら、感じやすいと思います。
瞑想的な日常生活の、ベースはそれです。
もちろん、日常生活を送るには、色々と考えたり、行動したりする必要があるわけで、常にその状態というわけにはいきません。
「今日は、カレーが食べたいな」とか「今日は、夜9時から半沢直樹だ」とか思うわけです。
場合によっては、思考に巻き込まれることもあります。
でも、そのベースには、常に、この静けさと心地よさがあるんです。
なので、瞑想的な日常生活というのは、この静けさと心地よさは、常に、ここに在ると理解している状態とも言えるかもしれません。
Nさんは、今は、「マントラ瞑想をするから、この静けさとか心地よさがある」と思うかもしれません。
でも、それを段々と、根拠のないものに、シフトさせていくのがいいと思います。
ご存知の通り、瞑想には色々とありますよね。
瞑想によって、意志のチカラを求められる度合いというのが、違ってきます。
マントラ瞑想は、わりと、意志のチカラが求められると思います。
だからこそ、思考を抑えやすいというメリットもあるのですが、意志のチカラが、瞑想状態を生み出すという認識を強化してしまうというデメリットもあります。
なので、もし、瞑想的な日常生活を送ってみたいとお思いなら、ちょっと気持ち悪いと思うかもしれませんが、少しずつ、マントラ瞑想の時間を減らしていき、何もしない時間を増やしていくといいように思います。
というわけで、参考になれば幸いです。
なにかありましたら、またご連絡ください。
【関連記事】瞑想はトータルで何時間ぐらいする必要がある?
【関連記事】瞑想にゴール(目標・目的)はあるんでしょうか?