タナトフォビアという言葉があります。
死恐怖症という意味です。
死ぬのは誰もが怖いと思いますが、
その感情が強い場合、
タナトフォビアという症状名がつくみたいですね。
今回は、そんなタナトフォビアの克服方法についてお話します。
無になることへの恐怖。
僕もタナトフォビアを経験しています。
それは、小学2年生のときだったと思います。
その日は、なかなか寝つけずに、
ベッドの上で目を開けて、暗い部屋の天井の片隅をジッと眺めていました。
そして、今、こうやって寝つけずに、
部屋の天井の片隅を眺めている自分が、
死んでしまったら消えてしまうんだなあと思いはじめると、
なんともいえない恐怖感におそわれてしまったんです。
そして、起きあがって、
泣きながらリビングにいる両親に抱きついたことを覚えています。
今でも覚えているぐらいなので、
そうとうな恐怖感だったんだと思います。
僕も死ぬの?
ちなみに、僕が死という概念を知ったのは、
小学1年生のときでした。
冬の朝だったと思います。
コーンフレークを食べながら、
朝のテレビを見ていました。
ニュースですね。
ニュースでは毎日のように殺人や死亡事故が報道されますよね。
でも、そのときの僕は、死という概念を知りませんでした。
知ってはいたかもしれませんが、
それは自分とは無関係のものだと思っていたんです。
なので、あるとき親に聞いてみたんですね。
「死ぬってなに?」って。
たしか親はこう答えたと思います。
「死んだら動かなくなって、いなくなっちゃうんだよ」
そして、「僕も死ぬの?」って聞いたと思います。
答えはもちろんこうですよね。
「そうだよ」
そのときの大ショックは今でも忘れられません。
夜にベッドの上で感じる恐怖感とは違うのですが、
大ショックを受けたことは間違いないです。
その後に学校で友達に、
「僕たちって死ぬんだよ。知ってた?」
って聞いてしまうぐらいの大ショックでした。
友達は当然のように知ってるというのでまたまたショックです。
死ぬのになんで、そんなに平気でいられるのかと。
僕のタナトフォビアはここからはじまりました。
どんな克服方法があるのか?
世の中には、タナトフォビアの克服方法の1つとして、
「暴露療法」という方法があるようです。
どういうものかというと、
死に関する情報や映像にふれる(暴露する)ことで、
死に慣れさせるという方法のようです。
なんとなく微量の毒をあえて摂取して、
毒に慣れさせるというホメオパシーみたいな感じですね。
本当に効果があるのかどうかはわかりませんが、
医療の現場では使われる方法のようです。
そして「認知行動療法」という方法もタナトフォビアの克服に使われているようです。
認知行動療法というのは、
自分の思考を認知することによって行動を変えていこうとする方法です。
死の恐怖を感じる前に、
まずは、頭の中に死についての思考がでてくるので、
まずは、その思考に気づくことで、
恐怖感をコントロールしようということですね。
僕がタナトフォビアを克服した方法は、
どちらかといえば、暴露療法に近いかもしれません。
でも、対象がちょっと違います。
死に関する情報や映像は観ていません。
死ぬことの恐怖の源でもある「無」を対象にしてみたんですね。
死んだらほんとうに無になるのか?
僕たちが死を恐れるのはなぜなんでしょうか?
僕の場合は「無」に対する恐怖でした。
なにもかもなくなることへの恐怖ですね。
体もそうだし、考えている自分、つまりは自我ですね。
自我が消えることに恐怖を感じてしまうんです。
その他に、死ぬときに感じる可能性のある、
身体の痛みに対する恐怖もありますが、
タナトフォビアの場合は、圧倒的に無への恐怖だと思います。
でも、死んだら本当に無になるんでしょうか?
瞑想の本当の意味。
瞑想ってありますよね。
瞑想ってどんなイメージをもっていますか?
ウィキペディアにはこう書かれています。
瞑想とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。
祈ったりすることも瞑想。
何かに集中することも瞑想。
無心になることも瞑想。
思いをめぐらせることも瞑想なんです。
人によって瞑想のイメージはかなり違うことだと思います。
でも、瞑想という漢字そのものの意味を考えてみると、
瞑想の本当の意味がわかると思います。
瞑想は「瞑することを想う」の略です。
瞑するというのは死ぬという意味です。
つまりは、瞑想というのは死ぬことを想う。
つまりは、死んだ状態をシミュレーションしてみることが、
その本質なんですね。
死んだ状態をシミュレーション。
僕は、この死んだ状態をシミュレーションしてみることによって、
タナトフォビアを克服しました。
僕たちは、死ぬと無になると思っていますが、
実はそうではないということに、
瞑想をすることによって気づいたんです。
僕たちは、死ぬと、体は当然のことながら失います。
そして、心はどうでしょうか?
心って頭の中にでてくる思考やイメージの集合体みたいなものです。
脳がなくなってしまったら、おそらく機能することができないと思います。
つまりは、死ぬと、思考やイメージはできなくなります。
その状態をシミュレーションしてみるんですね。
生きているうちは体をなくすことはできないのですが、
極力、体を動かさないようにします。
そして、死んだ状態に近づけるように、
頭の中にでてくる思考やイメージを、発生させないようにします。
無になることを目指します。
言葉にすると簡単ですが、
実際に、死んだ状態をシミュレーションするってとても難しいです。
だって、考え事って自動的に頭の中にでてきちゃいますしね。
でも、忍耐強くそれを続けていると、
頭の中がカラッポの状態がちょこちょこと現れるようになります。
体も動かず、頭の中に思考もない。死んだ状態に近いです。
つまりは無ですね。
僕たちが恐れるものです。
でも、実際には、
その状態はとても心地がいいものだということに気がつきます。
無なんだけど、そこには僕たちが求めているものが有るんです。
そうすると、死の恐怖はだんだんと薄れていきます。
まとめ
というわけで、タナトフォビアを克服する方法についてお話しました。
小さいときから死の恐怖を抱えているという人は多いと思います。
僕もそのうちのひとりですし。
ちなみに、タナトフォビアを克服するもうひとつの方法として、
楽しさを追求するというものがあります。
楽しさというか、死の恐怖を感じている暇がないぐらい、忙しくするってことですね。
でも、その方法は、いつかは終わりがやってきます。
飽きるということによってもやってくるし、
年老いて、実際に死が近づいてくることによってもやってきます。
そのときに大きな恐怖を感じないためにも、
生きているうちに、死んだ状態のシミュレーションをしてみるというのはオススメです。
ちなみに、死んだ状態の頭の中がカラッポの状態のことを、
僕は「空白」と呼んでいます。