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探求が終わる前に書かれた記事

なにをしても楽しめない。しかも、原因がわからない

なにをしても楽しめない。
しかも、原因がわからない。

この状況、かなり苦しいものがあります。

僕も、20代のころはずっとそんな感じでした。

原因がわからないというのがやっかいなんですね。
でも、今ならわかります。

お話します。

心にポッカリと穴が空いたような感じ。

なにをしても楽しめないという状態。

人それぞれかと思いますが、
僕がどういう状態だったのかをすこしお話しようかと思います。

あれは、大学生のころでした。
大学3年生のころかな。

突然というわけではなかったと思いますが、
気がついたら、なんか、なにも楽しめなくなっていました。

心が重いというか、
心にポッカリと穴が空いたような感じです。

例えではなくて、
ほんとうに胸のあたりの感情を感じる部分に穴があいてるような感覚です。

太陽の光を浴びても憂鬱が治らない。

太陽の光を浴びても、
そのポッカリとした心の穴は治りませんでした。
憂鬱な状態が続きます。

それまでの経験上、
爽やかな晴れた日に太陽の光を浴びると、
イヤなことも忘れることができました。

強制的に元気になるというか。

でも、その時期の僕には、
太陽の光も効果がなかったんですね。

僕はそのころ、電車で大学に通っていました。

その日は晴れたとてもいい天気でした。
そして、大学からの帰り。
駅のホームで太陽の光を浴びます。

いつもなら解放感を感じるところです。
でも、憂鬱な感じが治らない。
心はポッカリと穴があいたまま。

「これは重症だな〜」って思ったものです。

すべてのものに興味がわかない。

僕は昔は、テレビゲームにとてもハマっていました。

なにも楽しめないどころか、
楽しくてしょうがなかったんです。

なので、そのころの楽しさを再現しようと思って、
テレビゲームを再開してみたりもしました。

大学生のころは、もう、あまりゲームをしなくなっていたのですが、
登場したばかりのニンテンドーDSを買って、
マリオとかヨッシーアイランドとかやってみたりもしました。

パソコン版のウイニングポストをやってみたりもしました。
ウイニングポストというのは競走馬育成ゲームです。
昔、とてもハマっていました。

でも、どうしてもハマりきれません。
むしろ、虚しさを感じてしまいます。

本屋に行ってみても、
興味をひく本がないんです。

昔はゲーム雑誌を2〜3時間も立ち読みしたものでした。
それぐらいゲーム雑誌は興味をひくものだったのですが、
もう、興味がわかなくなってしまっていました。

本屋中をウロウロしてみても、
興味をひく本がないんです。

この状態を経験したことがある人、
経験中の人はわかると思いますが、
もう、八方塞がりなんです。

「楽しみたいと思う心」そのものが、苦しみの原因。

なんで、こんなことになってしまうんでしょうか?

結論から言うと「楽しみたいと思う心」そのものが苦しみの原因なんです。

「今まで楽しめていたことが楽しめなくなってしまった。。」
「でも、まだ楽しみたい!」

そう思っていませんか?

楽しめないということが異常なことで、
病気なんじゃないかと。

でも、そうじゃないんです。

なんで、楽しみたいと思うのか?

「なにをしても楽しめない」というのは
「楽しみたい」という感情の裏返しです。

もし、楽しみたいという感情がなかったなら、

なにをしても楽しめないという現象は問題じゃなくなります。
だって、楽しくある必要がないんですから。

楽しみたいんだけど楽しめないからこそ、
苦しいんです。

でも、そもそも、なんで僕たちは楽しみたいって思うんでしょうか?

当たり前の感情すぎて、
なかなか考えたことがないという人もいると思います。

なんでだと思いますか?・・・それは、
退屈を避けたいからです。

心は退屈をもっとも恐れます。
だって、退屈がつづくと、心が活動できないからです。

なにかを考える必要もなく、イメージする必要もない。
心にとっては死ぬようなものです。

なので、心は、退屈を避けるために、
苦しみの道を選ぶことがよくあります。

それが、この場合は「楽しみたい」という感情を維持することなんです。
もう、なにをしても楽しめなくなっているにも関わらず。

苦しみを避けるのではなく、じっくりと味わう。

この問題を解決するための方法。

それは、退屈を楽しめるようになることです。
退屈を楽しめるようになれば、
心は「楽しみたい」という感情を維持する必要がなくなります。

結果として、なにをしても楽しめないという現象が問題ではなくなります。

でも、そんなことが可能なんでしょうか?

実のところ、それは可能です。

そして、その方法はとてもシンプルです。

「苦しみを避けるのではなく、じっくりと味わう」という方法です。

難しいでしょう。
でもシンプルです。

楽しみたいという感情を抱えていると、
なにか楽しめるものを求めて、
意識は外を向きます。

新しい習い事をすれば、楽しめるんじゃないかとか、
自分探しの旅にでれば、楽しめるんじゃないかとか。

もしかしたら楽しめるかもしれませんが、
いずれは飽きてしまいます。

楽しめなくなります。

そうではなくて、意識を自分の内側に向けるんですね。
具体的に言うと、苦しみを感じている感情そのものに意識を向けます。

じっくりと苦しみ味わってみるんです。

関連記事:意識的に苦しむことをオススメする理由。

ある日、苦しみが消えて、空白が残ります。

苦しみをじっくりと味わうだなんて、
とても絶望的な行為に感じるかもしれません。

もちろん、心地よいものではありません。
できれば避けたいものです。

でも、ぜひ、意識的にそうしてみてください。

なにをしても楽しめない状態であれば、
好まざると自然にそうなってもいきます。

そして、あるとき、変化が起こると思います。

どれくらいの期間で変化が起こるのかは人それぞれだと思います。

すぐに変化が起きる人もいれば、
なかなか変化が起こらない人もいると思います。

でも、それは必ず起こります。

どんな変化かというと、苦しみが消えて、
その後に、なにかが残るという変化です。

苦しみが消えてというより、
苦しみに飽きてというほうがいいかもしれません。

楽しいことに飽きるように、苦しみにも飽きるんですね。

そして、解放感のようなものが残るんです。
それはとても心地のよいものです。

僕はそれを空白の状態と呼んでいます。

そして、楽しいという感情よりも、
その空白の状態のほうが心地よいことにいつか気づくと思います。

必ずしも、モノゴトを楽しむ必要がないということに気づくんですね。
そして、人生が楽になります。

関連記事:「空白」とは?

まとめ

というわけで、
なにをしても楽しめない原因についてお話しました。

僕も経験があるのでその苦しさはとてもよくわかるんです。
八方塞がりですよね。

でも、世の多くの人たちは、
それでも何か、楽しめる何かを探すことをすすめてくると思います。

心の専門家であってもです。

そういった声には気をつけてください。
苦しみが増えるだけかもしれません。

結局のところ、いつかは苦しみと向き合わなければいけない時がくるんです。

もし、なにか、特効薬のようなものを求めてこの記事を読んでくれている人がいたらごめんなさい。
そういった、特効薬はありません。

苦しみをじっくり味わうしかないんです。

でも、いつかはその苦しみも消えるということは言えます。

天空の城ラピュタは観たことがありますか?

ラピュタはものすごい大きな積乱雲の中にありました。
普通であれば、そんな積乱雲の中に入ろうとは思わないですよね。

でも、ラピュタはその中にありました。

苦しみと空白にも同じようなことが言えます。
「苦しみ」という積乱雲の中に、「空白」があるんです。

僕たちは何から自由になりたいのか?人?お金?時間?仕事?自分?