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探求が終わる前に書かれた記事

僕たちに自由意志は存在しているんでしょうか?

自由意志という言葉があります。
あなたは、自由意志ってあると思いますか?

僕は、ないと思っています。
でも、自由意志があるように感じてしまいますよね。

その理由についてお話します。

体を動かすことは自由意志?

僕たちに、
自由意志があるかどうかを考えるときに、
まず、思いつくのが、体を動かすことだと思います。

例えば、僕は今、タイピングをしているのですが、
自分の意志でタイピングしているという感覚をヒシヒシと感じます。

自由意志があるように感じます。

ということは、
「自由意志ってやっぱりあるんじゃないの?」
って思いますよね。

たしかに、日常生活の中で、
自由意志があると感じることはよくあります。

例えば、散歩しているときだってそうです。
自分の意志で体を動かして散歩しているんだという感覚があります。

自由意志が、そこにあるように感じます。

意志とは心を志にするもの。

ちなみに、
僕は、意志というのは、心を志にするものだと思っています。

心の中で思っていることに、
意識の焦点をあてて、目立たせる感じですね。

だからこそ、心が志に変わります。

例えば、
「自由意志ってあるんだろうか?」って心の中で思ったとします。

そう思ったとしても、
日常生活の中では、そのまま忘れてしまうこともありますよね。

でも、そこに意志というスポットライトをあてることによって、
「自由意志ってあるんだろうか?」という考えを志にします。

そうすると、忘れないですよね。
常に頭の中にその思考があるような感じになるので、
自由意志についてものすごくよく考えます。

でも、僕は、自由意志について以外も考えてます。
瞑想だったり、ビジネスだったり、アイスクリームだったり、
ラーメンだったり、カレーだったり、掃除だったり、お金だったり、
散歩だったり、iPhoneだったり、いろいろ考えます。

そんな、心の中のいろんな考えの中から
「自由意志ってあるんだろうか?」を選んで意志にするということ。

その事自体が自由意志が存在する証明になりそうです。

でも、見落としてることがあるんですね。

関連記事:意志とは一体なんなんでしょうか?

心の中にないものを、意志にすることはできない。

なにを見落としているのかというと、
心の中にないものを、
意志にすることはできないということです。

心にとって、未知の存在については意識を向けることができないんです。
対象がないからですね。
むりやり、そうしようとすることはできます。

例えば、「目にみえなくて、色もなくて、匂いもしない、なにかについて考えてみる」
ということを意志にしたとします。

でも、それは、すでに未知の存在ではないですよね。
言葉による情報がはいってきています。

「目にみえない」
「色がない」
「匂いがしない」という情報です。

心は、過去の記憶と想像力を総動員して、
なんとかして、未知の存在をイメージしようとしてしまいます。

でも、それはすでに知っているものです。
心の中にないものに対して、意志は自由ではないんです。

心を無限にすることは不可能。

じゃあ、仮に、心が無限になったとしたら、
自由意志があると言えるんでしょうか?

もしかしたら、言えるかもしれませんが、
それって不可能ですよね。

心が無限になるということは、
なんでも知っているということです。

あらゆる書籍の情報を知っていて、
あらゆる映像を観ていて、
あらゆる人の考えも知っていて、
あらゆることがイメージできる状態です。

そんなことは不可能でしょう。

仮に、そんな心があるとすれば、
それは神様の心だと思います。

結論、自由意志はない。

というわけで、
僕は、自由意志というものはないんじゃないかなと思います。

心の中の範囲であれば、
あるということも言えるかもしれません。

例えば、「この記事を書き終わったらお風呂に入ろう」というのは、
僕の自由意志です。

でも、僕の心がどうしても考えることができないことに、
意識を向けるということは不可能なんですね。

例えば、・・・考えることができないことなので言葉にすらできません。

そういった意味で、自由意志はないのではないかなと思います。

でも、自由意志を捨てる自由はあります。

自由意志はないと思いますが、
自由意志を捨てる自由というのはあると思います。

意志というのは心を意識することです。
つまりは、自由意志を捨てるということは、
心を意識するのをやめるということですね。

簡単に言えば、瞑想をするということです。

瞑想を続けていくと、
心はだんだんと静かになっていきます。
そして、無心の状態になります。

心がないので、そこには意志が存在する理由がなくなります。

ただ、自分が在るという感覚がそこには残ります。

そこには自由の感覚があります。

逆説的なんですが、
自由意志を捨てることによって、自由を得るんですね。

まとめ

というわけで、自由意志についてお話しました。

僕は、自由意志というのは存在しないと思っています。

まあ、自分の心の中に限っては、
自由意志があるように感じられるんですけどね。

でも、それってものすごく限定的な自由です。
だからこそ、心を大きくしていこうという人もいるかもしれません。

でも、それは、アリがゾウに立ち向かうようなものなんじゃないかなと思います。

それに比べて、自由意志を捨てるのは簡単です。
すでにあるものを捨てるだけでいいんですから。

まあ、言うは易く行うは難しですけどね。
でも、その価値はあると思います。

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