サット・チット・アーナンダとは一体なんなんでしょうか?

こんにちは、オミクです。

サット・チット・アーナンダという言葉。
聞いたことがありますか?

サットは存在、チットは意識、アーナンダは至福という意味です。

これら3つは、
同じ存在の3つの側面、
そして僕たちの本性という意味です。

お話します。

僕たちは体でもないし、心ですらない。

サット・チット・アーナンダの話をするには、
ある前提が必要です。

それは、僕たちは、体でも心でもないということです。

「・・・」

なにを言っているのか分からないという人もいるかもしれません。
だって、体には5感覚があるし、
心だって、僕たちの存在理由のようにも感じます。

体も心も、自分だと思う人がほとんどだと思います。

でも、あなたは泥酔したことってありますか?
気がついたら家のベッドの上にいたという経験ありませんか?
どうやって帰ってきたか覚えていないという経験、
ありませんか?

覚えていないけれども、
家には帰ってきているんです。

つまりは、体は動いていたし、心も働いていたはずです。
でも、覚えていません。

そこには、自分という感覚がないはずです。

ということは、自分という感覚は、
体と心にではなく、ほかのなにかに属しているのかもしれません。

僕たちの本性はサット・チット・アーナンダ。

そのなにかが、サット・チット・アーナンダなんです。

サットは存在、
チットは意識、
アーナンダは至福
という意味です。

意識の存在については、
ほとんどの人が自覚しているはずです。

僕たちは、自分の考えに気がつくことができます。

その意識というのは、
ほかにも2つの側面があるんですね。

存在と至福という側面です。

存在というのは自分という感覚です。
自分が存在するという感覚ですね。

僕たちは、普段は、
体と心に、自分という感覚があると思い込んでいます。

でも、実際は違うんですね。

実は、意識そのものに、
自分という感覚があるんです。

だからこそ、意識を失っているときは、
自分という感覚はありません。

体と心が動いていてもです。

そして、意識には至福という側面もあります。
これは、普段はなかなか気がつきにくいかもしれません。

それは、感情という雲に覆いかくされているからなんです。
詳しくは後ほどお話します。

サットとは存在。

まず、サットについて詳しくお話してみます。

サットは存在です。
自分は在るという感覚です。

アイデンティティという言葉がありますよね。
なかなか曖昧な言葉ですが、
自分の存在理由とか存在意義とか、
自分であることの証明とかそんな意味です。

その根拠となるのが、このサットです。

他人の承認を必要としません。
自分は在るという感覚です。

僕たちは、それは体や心にあると勘違いしますが、
実のところ、その感覚は意識にあります。

意識は体も心も包括しているような存在なので、
勘違いしてしまうんですね。

チットとは意識。

そして、チットというのは意識です。

意識については、
おなじみの言葉だと思います。

自分の意識に気づいていない人はほとんどいないかと思います。
気づいている度合いの違いは結構ありますけどね。

うっすらと、意識を感じている人もいれば、
ハッキリと意識を感じている人もいると思います。

そして、ハッキリと意識を感じている人ほど、
自分自身が体や心じゃないということに、気がつきやすいはずです。

だって、体の感覚にもすぐに気がついてしまうし、
心の動きにもすぐに気がついてしまいます。

勝手に動いているということに、
気がつきやすくなります。

アーナンダとは至福。

そして、アーナンダというのは至福です。

これはなかなか実感することが難しいかもしれません。

サットについては、
言われれば、ほぼすべての人が感じているはずです。

自分が在るという感覚。

それが意識に属していることには気づけない場合でも、
体や心でそれを感じます。

そして、意識はほぼすべての人が、
その存在に気がついているはずです。

でも、アーナンダに関しては、
ある存在が邪魔をして、気づきにくかったりします。

それは感情です。

アーナンダの至福は、
感情という雲に覆い隠されているような感じなんですね。

楽しいという感情だったり、
悲しい感情だったり、
寂しい感情だったり、
苦しい感情だったり。

アーナンダの至福は、
常にそこにあるんですが、
感情という雲に覆われているような感じなんですね。

なので、たまに雲の切れ間から、
ほのかに感じる程度なんです。

とはいえ、ほとんどの人が、アーナンダを感じる瞬間があります。

それは、例えば、試験が終わった後です。

試験のための勉強から解放されたとき、
アーナンダを感じるんです。

アーナンダの至福は、
解放感に似ていると思います。

これを経験すると、心はほんと楽になる。

人生って楽しくもありますが、
苦しいことも多いです。

ブッダは一切皆苦と言っているほどです。
すべてのものはすべて苦しみだということですね。

絶望的になりますが、
だからこそ、サット・チット・アーナンダを発見することは、
とても大事だと思うんです。

特に、アーナンダ(至福)の発見はとても重要だと思います。

というのも、起きている間も、
ずっと、試験後の解放感のような感覚を感じ続けることができるようになるからです。

もちろん、感情への対処が必要になってくるのですが、
サット・チット・アーナンダを知れば、
その対処は簡単になってくると思います。

まとめ

というわけで、
サット・チット・アーナンダについてお話しました。

サットとは存在、
自分は在るという感覚ですね。

そして、チットは意識、
自分の体や心の動きに気づく能力です。

そして、アーナンダは至福、
常にそこにある解放感のようなものです。

僕たちの本性は、
体や心ではなくて、このサット・チット・アーナンダなんですね。

そして、このサット・チット・アーナンダを発見すること、
それが覚醒です。

いや、覚醒という言葉も曖昧なので、
人によって定義が違いますけどね。

でも、僕は、
サット・チット・アーナンダを発見することが、覚醒だと思っています。

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