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精神病院と退屈について【Q&A】

今回はHIさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。

HIさん、ありがとうございます。

HIさんからの質問

初めましてこんばんは。1年ほど前に、「退屈」「楽しむ」と検索したところ、このページを見つけて、以来ずっと読ませていただいております。
oshoの退屈についての記事が書かれていたので、以下のような質問をするのは少し筋違いではないかと思いましたが勇気を出してメールさせていただきました。
oshoは20年ほど前から愛読しています。
私は10年ほど前に双極性障害を発症し、以来精神病院の入退院を繰り返しています。私は鬱よりも躁状態の症状がひどく、警察のお世話になったり、家族に強引に連れられて入院し、閉鎖病棟に入れられます。
閉鎖病棟はとても退屈です。でもどうしようもないので、寝ているか、寝れない時は何もしないか、oshoの本を読んだりしています。
山家さんもoshoも、退屈から逃げない事が大切だとおっしゃっていますが、正直もう閉鎖病棟で強制的に退屈させられるのは沢山です。
今はまだ、親が生きているので、数か月入院したら退院させてもらえるのですが、もし親が亡くなったら、人に迷惑をかけてばかりなので、閉鎖病棟に入れられっぱなしになるかもしれません。嫌です。
そもそも、精神を病んでいる人間に、退屈から逃げないでいる価値はあるのでしょうか。仮に精神病院に閉じ込められても、退屈に飽きることができて、それで幸せになるのでしょうか。
出来れば自分は、もう入院したくありません。家で静かに暮らしたいです。
人に迷惑をかけるような行為に走るのは、思考が暴走するせいだと思い、1年ほど前から1日1時間瞑想するようになりました。
oshoの本もしばらく読んでいませんでしたが、毎日1時間読むようにしています。
それでも今はまた入院中で、自宅に一時帰宅している最中です。
入院しないために、どのように生きればいいのか分かりません。
医学的にも原因の分からない病気と言います。
精神病院に強制的に入れられてまで、退屈と向き合う意味はあるのでしょうか。私は家で自分のペースで退屈と向き合いたいです。ゲームも好きなのでゲームもしたいです。
何かアドバイスを頂けましたら幸いです。

回答

HIさん
こんにちは。

ご質問ありがとうございます。
1年前から読んで頂いてたんですね。

僕は双極性障害というものに詳しいわけではないのですが、それを病気だと思い込む必要はあまりないのではないかと思います。
ただ、多くの人が思う「普通」という感覚と比べると、それは特徴的なのかもしれません。

僕自身、病院で診断を受けたことはないのですが、おそらくはアスペルガー症候群なのではないかと思います。
多人数でのコミュニケーションが苦手ですし、特定のことに対して過集中が起こったりもします(その対象が真理だったりするわけですが)。
でも、僕はそれを病気だとは思っていません。
「それって、一方的なものの見方だよね?」とすら思っています。

仮に、世界中のほぼすべての人が双極性障害であれば、いま健常者と言われる人の方が病気扱いされるかもしれません。
この世界では何事も相対的です。

とはいえ、現実問題としてHIさんはおそらく少数派なのであって、生きづらさを感じるかもしれません。

でも、自分のその特質を無理に変えようとする必要はないと思います。
むしろ、それは逆効果なのではないかと思います。

例えば、僕は積極的には人に会いません。
特に、組織に属するということはしません。

なぜなら、その方が組織が円滑に機能すると思っているからです。
僕はチームワークが必要とされることが苦手で、僕がいないほうが組織が円滑に機能すると思っているんです。

それは別に自分を卑下しているわけではなくて、むしろ、それは他の人に対しての思いやりなんです。
それは自分に対しての思いやりでもあります。

適材適所です。

例えば、ホッキョクグマを砂漠に連れて行って、「砂漠の環境に適応しなさい!」とか言うのはナンセンスですよね。
その必要性がないですし、誰もそんなことを望んではいないわけです。

でも、現代においては、そういった状況が作り出されてしまっていることが少なくないのではないかと思います。
現代社会という環境が作られて、それに適応できなければそれは病気だと診断されたりするわけです。
場合によってはHIさんみたいに精神病院に入れられるということもあるかもしれません。

それって結構乱暴なような気がしますよね。
でも、現実問題としてはそうなっているわけで、こちらで対応しなければいけない部分もあります。

僕にとってはそれは積極的に人に会わないということなのであって、HIさんもなにかしらの対応をする必要はあるかもしれません。

程度の差こそあれ、ほとんどの人の思考は暴走していると思います。
でなければ、ほとんどの人は瞑想修行する必要はなく、いきなり瞑想状態に入れるはずなんです。

なので、思考が暴走することそのものはあまり気にしなくてもいいのではないかと思います。
暴走するなら暴走させておけばいいんです。
そうなのではなくて、その思考が行動に移るときの様子を観察してあげるといいのではないかと思います。
もちろん、そこには感情的な衝動が湧き上がると思いますが、その衝動そのものを観察してあげるといいと思います。

HIさんにとっては、それが最も効果的な瞑想になるかもしれません(もっとも苦しくもあるかもしれませんが)。
1日1時間と決めるのではなく、その衝動が起こったときが瞑想するタイミングということですね。
その衝動が消えたなら瞑想終了です。
瞑想の手順とかスタイルにこだわる必要もありません。

他人に迷惑をかけてしまうなら、その報いは避けられないのではないかと思います。
文句は言えないですよね。

なので、家で静かに暮らしたいと思うのであれば、ぜひ、感情的な衝動を観察するということを試してみると良いと思います。

退屈と向き合うということを気にするのはその後でもいいかもしれません。

作成者: 山家直生

空白JPアーカイブ2020+」電子書籍(Kindle)を出版しました。

2021年からTwitterも始めました。

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このブログに書かれていることは、基本的には、なぜ、苦しみと退屈を避けないほうがいいのかということの説明のためにあります。

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