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至福を悟ったら、そこで探求をやめてしまう可能性はないのか?【Q&A】

今回は、明朝体Dさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。

明朝体Dさん、ありがとうございます。

テーマは、アーナンダ(至福)についてです。

明朝体Dさんからの質問

お久しぶりです。また質問させて頂ければと思います。至福についてです。

聞くところによると完全な悟りよりも至福を手に入れる方が時期的には早いそうですが、至福を手に入れたならそこで探求をやめてしまうということは無いのでしょうか?

至福を手に入れた後世界を幻想だと喝破するまでのモチベーションはどのように保つのでしょうか?

これについては、

・手に入れた直後の至福は完全な悟りによる至福よりも劣位にあると考え、探求を継続べきだと判断する

・至福を継続して感じようとする結果、自動的に完全な悟りまで到達してしまう

のどちらかかと考えてみました。いかがでしょうか?

回答

明朝体Dさん
こんにちは。

お久しぶりです。

> 聞くところによると完全な悟りよりも至福を手に入れる方が時期的には早いそうですが、至福を手に入れたならそこで探求をやめてしまうということは無いのでしょうか?

これはまったくその通りで、そこで探求をやめてしまう人も結構いると思います。
そこで終わりだと教える人も結構いるかもしれません。

探求の目的は人それぞれで、真理に、より良い人生を求める人もいると思います。
そういった人にとっては、至福とは何かを理解することは、大きな満足感をもたらすかもしれません。

そして、それでもいいんじゃないかとも思っています。
そういった人に対して「いやいや、それは探求の終わりじゃないよ」とか言うのはある意味では余計なお世話だったりもします。
僕は、実生活ではこういったことを喋りませんし、最近はうちの妻にも言わないようにしています。

でも、中には、「至福とは何かは理解したけど、これで終わりとは思えないよ」とか、「死んでしまえば、この至福を感じる体と意識も消えちゃわない?」とか思う人もいるはずです。
そういった人向けに、空白JPを書いているという部分もあります。

> 至福を手に入れた後世界を幻想だと喝破するまでのモチベーションはどのように保つのでしょうか?

なので、モチベーションを保つという必要はなくて、その人の探求の目的に応じて、探求が終わったり、続いたりするのだと思います。
僕の場合には、死の恐怖を克服したかったので、探求は最後まで続きました。

> これについては、
> ・手に入れた直後の至福は完全な悟りによる至福よりも劣位にあると考え、探求を継続べきだと判断する
> ・至福を継続して感じようとする結果、自動的に完全な悟りまで到達してしまう

至福というのは優位なものとか劣位なものとかがあるわけじゃないんです。
至福というのは、解放とも言われたりするように、何かに縛られた状態からの解放感のことです。
すべての人がその解放感を知っていますし、明朝体Dさんも感じたことがあると思います。

ただ、解放感というのは長くは続かずに、それは退屈感に変わったり、何かしらの感情に変わったりします。
「なぜ、解放感というのは長く続かないのか?」ということを理解することが、至福を理解するということなんです。

至福というのは、例えば、美味しいものを食べた時の快楽よりも素晴らしいものというわけじゃないんです。
欲しかったものが得られたときの快感よりも素晴らしいというものでもありません。
ただ、美味しいものや、欲しいものを得ようとする衝動から、解放されるという感じなんです。

実のところ、退屈を避けて、心地よい感情を求めようとすること自体が、自分自身への縛りであって、至福を覆い隠してしまうんです。
なので、至福を継続して感じようとする結果、自動的に完全な悟りまで到達してしまうというのは、その通りかもしれません。

ただ、至福を継続して感じようとすることは、自分自身を目標で縛らないということであって、何かしらの目標を持ちたがる意志にとっては面白いことではないというのが、真理の探求のジレンマだったりします。

明朝体Dさんからの返信

ありがとうございます。

もう一つ質問です。ラマナ・マハルシとの対話の第一巻対話191のところで、「心自体を調べること」というヨーガの修練方法が紹介されています。実践すれば想念が自動的に止まるとのことですが、これは一般的に言うところの自意識に気づきを集中するということで良いのでしょうか?あれこれやってみましたが私にとってこの方法が最も想念停止に効果的なようです。

また、流れとしては想念停止→心の破壊→真我発見→私は在る→真我実現という形に発展していくのでしょうか?よろしくおねがいします。

回答

> 実践すれば想念が自動的に止まるとのことですが、これは一般的に言うところの自意識に気づきを集中するということで良いのでしょうか?
> あれこれやってみましたが私にとってこの方法が最も想念停止に効果的なようです。

そうですね。
自意識に気づきを集中するというのは、気づいている自分に気づこうとする、というような感じでしょうか?
それが明朝体Dさんにとって想念停止に効果的なのであれば、それを続けてみるのがいいと思います。

> また、流れとしては
> 想念停止→心の破壊→真我発見→私は在る→真我実現
> という形に発展していくのでしょうか?

明朝体Dさんの場合は、この流れかもしれませんね。
人によって、心の破壊(意志は実在しないと気づく)と真我発見(ハートの至福発見)は入れ替わったりします。

ともあれ、ラマナ・マハルシの言う通り、「気づき」としてとどまれるようになることが大事だと思います。

作成者: 山家直生

空白JPアーカイブ2020+」電子書籍(Kindle)を出版しました。

2021年からTwitterも始めました。

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このブログに書かれていることは、基本的には、なぜ、苦しみと退屈を避けないほうがいいのかということの説明のためにあります。

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