今回は、KWさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。KWさん、ありがとうございます。テーマは、「瞑想することは、苦痛をさけていることになるのか?」ということについてです。
KWさんからの質問
この間は、ありがとうございました。
記事を読んでいて気になったので、質問させてください。
瞑想とは思考との戦いである!【観察者=思考】の
記事を読んで、ハッと気づくことで思考に巻き込まれにくくなったのですが
探求を早く終わらせたいなら、まず、ハートを理解するの
記事で、苦痛と退屈を避けるべきではないお話だったので
混乱しています。
僕のイメージなのですが、
ハっと気づけるようになると心地よいことも悪いこともすぐ消せてしまうので、これだと苦痛を避けていることになる感じがしました。
苦痛と退屈を対峙するとはどのような感じですか?
僕がイメージする
1 昔の嫌な記憶が、思い出された時、思考についていって、あれもムカついたこれもムカついたと苦しむこと
2 昔の嫌な記憶が、思い出された時、気づいているけれど、消さないで、観ている状態
2の状態が苦痛と対峙している状態ですか?
それとも、他の方法なのでしょうか?
よろしくお願い致します。
回答
KWさん
こんにちは。
> 探求を早く終わらせたいなら、まず、ハートを理解するの
> 記事で、苦痛と退屈を避けるべきではないお話だったので
> 混乱しています。
良いご質問ありがとうございます。
確かに、混乱してしまうかもしれませんね。
これは「瞑想中も苦痛を避けてはいけないのでは?」という認識からきているのではないかと思います。
瞑想というのは、あくまでも「退屈」を意図的に感じてみるための手段です。
なので、瞑想中は苦痛を避けようとすることは大丈夫です。
もちろん、それが避けられるものであるならということですが。
> 1 昔の嫌な記憶が、思い出された時、思考についていって、あれもムカついたこれもムカついたと苦しむこと
苦痛と対峙するのはこちらの方です。
おそらく、KWさんもこちらをイメージしているのではないかと思います。
これは瞑想中にではなくて、日常生活の中で、そうしてみるという感じですね。
それも、中途半端にではなくて、飽きてしまうまで思い出し続けてみるというのが良いかもしれません。
何かにムカついた具体的な記憶であれば、1〜2週間ぐらいで飽きてしまえるかもしれません。
もちろん、不快なことなんですが、飽きてしまえると分かることが重要だと思います。
ちなみに、苦痛を感じている間は、無理に瞑想をしなくてもいいと思います。
あくまでも、瞑想というのは「退屈」を意図的に感じてみるための手段ですので。
> 2 昔の嫌な記憶が、思い出された時、気づいているけれど、消さないで、観ている状態
こちらは、瞑想中に嫌な記憶が思い出された時ですね。
瞑想中であれば、消せるものであれば、何も考えていない状態にするのがいいと思います。
とはいえ、なかなか思考が止まらないこともあるので、その場合にはせめて、思考についていかないように気をつけるのがいいと思います。
もちろん、ついていってしまうこともあるので、その場合にはハッと気づいたときに、再び気をつけるという感じでしょうか。
瞑想中は、苦痛を避けないことよりも、退屈を避けないことが優先されるという感じです。