インセプションという映画、観たことありますか?
インセプションというのは、相手の深層心理に、
ある特定のアイデアを植えつける行為です。
そうすると、相手の行動が変わります。
考えてみれば、
僕たちは神にインセプションされているようなものなんでしょうか?
インセプションってどんな映画?
インセプションという映画について、
手短にお話しておきます。
監督はクリストファー・ノーランです。
彼の他の作品としては、
ダンケルク、インターステラー、バットマンダークナイト、
などがありますね。
インセプションというのは、
どんなストーリーなのかというと、
世界的な大企業のオーナーであるサイトウ(渡辺謙)が、
ライバル企業を解体させようとするお話です。
その手段として、インセプションが使われます。
インセプションというのは、
相手の深層心理(映画の中では夢の中の世界が描かれます)の中に入っていって、
本人の顕在意識に気づかれることなく、
あるアイデアを植えつけることです。
映画の中では、ライバル企業の御曹司に対して、
「自分の道を歩け」というアイデアが植えつけられます。
そのアイデアが、
企業の解体につながっていくわけなんですね。
映画の中では、解体されるところまでは描かれませんが。
神による最大のインセプションとは?
インセプションというのは、
この映画の中では人から人に対して行われますが、
実際のところ、
僕たちは神という存在に
インセプションされているのではないかなと思うんです。
それは表面的なものではないですよ。
よく
「神からのメッセージが降りてきた」とか
「神の啓示だ」とか言われることもありますが、
それは顕在意識で受け取っていますよね。
インセプションというのは、
相手に気づかれることなく、
相手にアイデアを植えつけることです。
僕たちには、なかなか気づけないってことですね。
僕が思う、
神による最大のインセプション。
それは、
「自分は存在する」
というアイデアなのではないかなと思います。
「自分は存在する」というアイデア。
自分の存在を疑ったことがあるという人は
ほとんどいないと思います。
疑うキッカケがないですもんね。
生まれたときから体はそこにあるし、
成長するにつれて、思考や心も発達してきます。
自分が存在しているのは、
もはや疑いようがありません。
それこそ、
インセプションという映画を観ているときには、
自分が、その映画を観ているという感覚がそこにありますよね。
疑いようがありません。
でも、それは、
神が僕たちに「自分は存在する」というアイデアを
植えつけたからだとしたらどうでしょうか?
夢の中でも、自分の存在は疑わない?
インセプションの映画の中でも、
自分の存在に疑問をもつ人は誰もいません。
自分がいる世界が現実か現実じゃないかを
気にする人達はたくさんいます。
なんたって、インセプションは夢の中で行われます。
それも、夢の中の夢の中の夢にまで行ってしまいます。
それでも、夢の中では、
それは現実そっくりに感じられるんですね。
だからこそ、疑う必要があるし、
その世界が現実かどうかを確認する方法が必要になってきます。
インセプションの中ではトーテムというアイテムを使って、
その世界が現実か夢かを判断します。
でも、現実と夢の間を移動する、
自分という存在に対してはなんの疑いも持たないんです。
自分は存在しない?
世の中には、
自分の存在を疑った人がいます。
その中のひとりにブッダがいます。
ゴータマ・シッダルタです。
ブッダはこう言っています。
「無我」と。
自分というものは存在しないということですね。
ブッダは、これを実際に確認していったわけです。
自分じゃないものを見つけては、
取り除いていったんですね。
体はいつかは朽ち果ててしまうものだし、
心だって、ずっと同じことを考えているわけではなくて、
現れては消えていくもので、実体はない。
最後に残るのは、自分が存在するという感覚だけれども、
それも、思考のようなもので、
現れては消えていくものだということに気がついたわけです。
つまりは、自分の存在という実体はないということですね。
有るように感じるのは気のせいだと。
これこそ、神による最大のインセプションだと言えるんじゃないでしょうか。
思考ではなく、
存在そのものへのインセプションです。
まとめ
というわけで、
僕たちは神にインセプションされているのではないかというお話をしました。
インセプションというのは、
相手の深層心理に、あるアイデアを植えつけることです。
そうすることで、相手の行動が変わってきます。
人から人へのインセプションは、
深層心理にとどまりますが、
神による僕たちへのインセプションはもっと根深いです。
それは、深層心理にではなくて、
存在そのものへのインセプションだからです。
僕たちには「自分は存在する」というアイデアが
インセプションされているんですね。
それを見抜いたブッダってやっぱりすごいなあ。
ゴータマ・ブッダの遺言「自灯明、法灯明」とは?
僕たちに自由意志は存在しているんでしょうか?
僕たちは何から自由になりたいのか?人?お金?時間?仕事?自分?