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探求が終わる前に書かれた記事

どうすれば預流果に到達することができるのか?

仏教では、悟りの最初の段階を
「預流果」と呼んでいます。
「よるか」と読みます。

聖者への道に入ることとも言われています。
聖なるものを預かって流れていくという感じでしょうか。

そんな預流果。
どうすれば到達することができるんでしょうか?

預流果の最大の特徴はなにか?

預流果の最大の特徴ってなんなんでしょうか?

それが分からなければ、
預流果に到達したかどうかの判断を自分ですることができません。

預流果に到達すると、
3つの特徴があらわれると言われています。

まず、ひとつめ、
それは、ブッダの教えへの疑いが消えることです。

これは、仏教徒じゃない人にとっては
あまり関係ないかもしれないですけどね。

ふたつめは、
儀式儀礼への捕らわれがなくなるということです。
おまじないみたいなものを信じなくなるということかもしれません。

そして、みっつめは、
自分は存在しないことに気がつくことです。

体や心が自分ではないということはもちろん、
自分という存在そのものが、
なにかの勘違いだということに気がつくことです。

自分が存在するという思い込みのことを
「有身見(うしんけん)」と言います。

預流果の最大の特徴は、
この「有身見」がなくなることです。

自分とは、たんなる思考だということを自覚している。

預流果の場合は、
自分は存在しないという自覚は、
まだまだ浅いと思います。

自分が存在しないという自覚が確かなものになるのは、
最終的な悟りの段階である
「阿羅漢果(あらかんか)」でだと言われています。

阿羅漢果については、
僕がまだそうではないので、
詳しいことはあまり言えませんが。

預流果の場合、
自分は存在しないというより、
自分は、たんなる思考だということ自覚する段階だと思います。

僕たちは、毎日いろいろな考えを持つと思います。

「コーヒー飲みたいな」とか。

でも、次の瞬間には、
その考えが消えていたりしませんか?

なにも考えていなかったり、
なにか違うことを考えていたり。

じゃあ、「コーヒー飲みたいな」という考えは
存在しているんでしょうか?

少なくとも、今は、
その存在はあとかたもなく消えています。

自分という存在は、
そんな現れては消えていく
思考のようなものだということに気がついていること。

それが、預流果の最大の特徴です。

話を聞いただけで預流果になる人もいるそう。

ブッダの教えを聞いただけで預流果になるという人も、
中にはいるそうです。

「あなたは存在しません、無我です」

って言われて、
そうですかって理解できる人もすごいですけどね。

僕は、話を聞いただけでは理解できませんでした。

だって、この体は自分のものだという思いもありますし、
そう考える自分の心だって自分のものだという思いもあります。

話を聞いただけで預流果になってしまう人というのは、
おそらく、普段から頭の中の考えが静まっている人なんだと思います。

自分の考えが、現れては消えていく様を、
ハッキリと自覚できる人です。

ほとんどの人は、
そういう状態になるには、
瞑想が必要なのではないかなと思います。

瞑想をして、無心でいる状態を保つ。

預流果に到達するための、
最短の方法。

それは、瞑想をすることだと思います。

瞑想というのは、
ひとつのことに集中することによって、
頭の中の考えに気づくことができるようになる方法です。

ほとんどの人は、なにか考え事をしているときは、
どっぷりとその考えの中に入ってしまっていると思います。

考え事をしていることに気がつきませんよね。

後になって、ハッと我に返って、
考え事をしていたことに気がつきます。

でも、瞑想をしていると、
考え事を外から観察できるようになってきます。

考え事から距離を置くことができるんですね。

そして、観察できるということは、
その考え事は、自分ではないんです。

自分の眼では自分を見ることができないこととちょっと似ています。

瞑想を続けていくと、
自然と、頭の中の考えが静まってきます。

なにも考えていない状態になりやすくなります。

でも、無心の状態を観察している自分がそこにはいます。
瞑想を続けても、自分という存在感は残るんです。

隠し絵のように、あるとき突然気がつく。

でも、ある時に気がつくんです。

頭の中を観察している自分すらも、
思考のひとつなんだということにです。

隠し絵というものがあります。
若い娘にも、老婆にもみえる絵ってありますよね。

最初は気がつかなくても、
絵をみていると、ハッと気がつきますよね。

「あっ」という感じで。

観察者としての自分は、
実は意識ではなくて、
意識から発生する思考そのものだということに、
あるとき突然気がつくんです。

自分の意志で気づくことはできないと思います。

ただ、無心の状態でいると、
そのことに気がつくチャンスは増えると思います。

まとめ

というわけで、
どうすれば預流果を達成できるかのお話をしました。

シンプルに言えば、
無心でいる時間を増やすこととしか言えません。

預流果の最大の特徴は、
自分という存在がないということに気がついていることです。

もっと言えば、
自分という存在だと思っていたものは、
思考のひとつでしかなかったんだということに気がつくことです。

そのことに気がつくには、
自分の意志ではどうにもできません。

だって、自分はたんなる思考だったんだということに、
自分は気づきたくないんです。
自分は意識という存在だと思っていたいんです。

そのことに気がつかせてくれるのは、
意識そのものだけだと思います。

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