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「一切皆苦」の言葉の意味。すべては苦しみだというのは間違い?

仏教には
「一切皆苦(いっさいかいく)」
という言葉があります。

この言葉。
ものすごくネガティブに感じられますよね。

なので、間違いなのではないかと思っている人もいると思います。

実際のところ、
どういう意味で使われているんでしょうか?

楽しいと感じることも苦しみ?

一切皆苦という言葉。
今の現代にはなかなかシックリとこないかもしれません。

というのも、
人生のすべてが苦しみだと思っている人は、
日本人であればそんなにはいないんじゃないでしょうか?

日々の生活の中で、
楽しいとか、嬉しいとか思うことって結構ありますよね。

もちろん、苦しいと感じることもありますが、
すべてが苦しみだとは思えないという人もいると思います。

幸福感が、苦しみに変わるとき。

僕たちは、
美味しい食べ物を食べているときには幸福感を感じますよね。

例えば、アイスクリーム。
アイスクリームが好きな人はたくさんいると思います。

チョコレートも美味しいですよね。
ポテトチップスだって美味しいです。

高級フレンチのコース料理だってもちろん美味しいです。
幸福感を感じます。

でも、長い目でみれば、
この幸福感が苦しみに変わる可能性があるんです。

虫歯です。

砂糖が多く使われた甘い食べ物は、
僕たちの歯を虫歯にしてしまいます。

歯医者で虫歯を削ってもらうとき、
歯の神経に痛みを感じるときってありますよね。

苦しいですよね。
幸福感が、苦しみに変わった瞬間です。

苦しみではなくて、思い通りにならないという意味?

一切皆苦というのは、
いっさいのものは苦しみであるという意味ではなくて、
いっさいのものは思い通りにはならないという意味であると言う人もいます。

僕も、そう思います。

でも、どちらでもいいのではないかなとも思います。

思い通りにならないということは、
苦しみの原因にもなるからです。

さきほど、虫歯の例をお話しましたが、
甘いものを食べたって、
しっかりと歯磨きをすれば虫歯を防ぐこともできます。

でも、しっかりと歯磨きをしても、
虫歯になってしまうことって多いですよね。

歯ブラシで歯を磨くことはもちろん、
フロスで歯間の歯垢も落とさなければいけません。

そうしていても、
虫歯になるときは、なってしまいます。

僕たちの思い通りにはいきません。
そして、苦しみます。

苦しみの原因は「自分」が存在するから。

ブッダは、
一切皆苦という絶望的にも感じられる言葉を使っていますが、
その原因についても明確に教えてくれています。

苦しみを感じる原因、
思い通りにならない原因、
それは、「自分」が存在するからだということです。

人生が思い通りにならないことで、
苦しみを感じるのは、
それを感じる「自分」がいるからだという教えですね。

これは、なかなか理解し難いんじゃないでしょうか。

「自分がいるのは当たり前じゃないか」
と思う人も多いと思います。

だって、体もあるし、心もあります。
それを自分だと感じるのは当たり前じゃないかと。

でも、ブッダはそれは勘違いだと言うんです。
自分が存在するというのは勘違いだと。

ブッダの教えは「自分」を取り除く教え。

ブッダの教えというのは、
心を楽にする教えだと思っている人も多いと思いますが、

実のところ、
ブッダの教えというのは、
「自分」を取り除く教えだと思います。

結構ハードだと思います。

だって、

「私は苦しんでいます。
楽になる方法を教えてください」

という人に対して、

「苦しんでいるのは誰ですか?
あなたは本当は存在しないんですよ。
あなたを取り除けば楽になります。」

というようなものだからです。

ブッダの言葉の中で、
もっとも有名なのは「空」という言葉だと思います。

空という言葉だって、
自分という存在の不確かさを表した言葉です。

有るともいえるし、無いともいえる存在。
それが自分の本質だということですね。

苦しいと感じているうちは、
自分というものは有るけれど、

本当は、苦しむような自分というものは、
無いんだよということですね。

ブッダの教えは難解です。

まとめ

というわけで、
ブッダの一切皆苦という言葉についてお話しました。

すべてのものごとは苦しみであるだなんて、
絶望的な言葉ですよね。

世の中には、楽しいと思えることだってあります。

でも、世の中は自分の思い通りにはなりません。
思い通りにいかないことがあれば、
苦しむことになります。

死にたくないと思っていても、
人は必ず死ぬことになります。

思い通りにはなりません。

そういった意味で、
ブッダは一切皆苦と言ったのではないでしょうか。

そして、ブッダはそれに対する解決策も用意しています。

それは、苦しんでいる自分という存在は、
本当は無いということを悟ることです。

死ぬのが怖いという苦しみは、
自分という存在が死ぬと思っていることから発生します。

でも、死ぬような自分という存在は、
そもそも存在しないということが、
ブッダの教えの核心だったりするんですね。

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