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瞑想

瞑想することで孤独感を癒やすことはできるのか?

瞑想は万能であると思われることも少なくありません。「瞑想をすることで、体調が良くなる」「瞑想をすることで、孤独感を癒やすことができる」とかですね。でも、本当にそうでしょうか? 僕は、長年、瞑想を実践してきているけれども、孤独感に苛まれ続けているという人は、意外に少なくないのではないかと思っています。

瞑想には瞑想対象があります。例えば、呼吸とかですね。呼吸という対象に集中することによって、それ以外の認識を、外に追い出すということをします。なので、瞑想をしている間は、孤独感を感じずにすむかもしれません。でも、瞑想を止めてしまうと、追い出していた孤独感が、再び現れてくることがほとんどなんじゃないかと思います。それは、対処療法的であり、イタチごっこみたいなものかもしれません。であるなら、瞑想には、根本的に孤独感を癒やすというような効果は無いんでしょうか?

その孤独感を、瞑想対象にできるか?

僕は、瞑想することで、孤独感を癒やすということはできると思っています。根本的にです。ただし、その孤独感を、瞑想対象にする必要があるかもしれません。瞑想対象といえば、呼吸や、体や、マントラといったものが一般的だと思います。瞑想のやり方を習うときには、まずは、呼吸に意識を向けるということが教えられることが多いと思います。生きている人であれば、誰しもが呼吸をしていますし、普遍性が高いからです。呼吸という瞑想対象が無いという人はいないでしょう。

でも、だからといって、呼吸が瞑想対象でなければいけないというわけじゃありません。体であったり、マントラが瞑想対象でなければいけないというわけでもありません。実のところ、集中することができるのであれば、瞑想対象は何だっていいんです。極端なことを言えば、目の前のスマホを瞑想対象にしたっていいんです。なので、孤独感という感覚も、瞑想対象になり得ます。

「いやいや、この孤独感を避けたいから瞑想をしようと思うのであって、孤独感を瞑想対象にするのは嫌なんですけど?」と思うかもしれません。「それって、瞑想って言えるの?」と思うかもしれません。でも、先ほども言ったように、呼吸や、体や、マントラを瞑想対象にする限り、それは対処療法的で、イタチごっこみたいになってしまう可能性が高いのではないかと思います。

人は、孤独を感じる理由を誤解している

人は、孤独を感じる理由をあまり良く理解していません。例えば、孤独感を避けるために、人と一緒にいようと努力をする人もいるかもしれません。でも、人と一緒にいると、反対に、孤独感が強くなってしまうということもあるんじゃないかと思います。孤独感というのは、明らかに、物理的な距離感の問題じゃないんです。人と一緒にいても、孤独感を感じるという人は、意外に多いんじゃないでしょうか。その一方で、一人でいても、孤独感を感じない人もいます。

世間一般的には、孤独感をどうにかしたいと思うなら、人と一緒にいることが、その解決策だと教えられることがほとんどです。なので、その能力を高めることが推奨されることが多いのではないかと思います。でも、それは必ずしも正しくないということは、多くの人が経験的に理解しているんじゃないかと思います。コミュニケーション能力を高めても、結局のところ、孤独感を避けることはできないと悟っている人もいるかもしれません。だからこそ、瞑想に興味を持つ人もいるんじゃないでしょうか。でも、孤独感の根本的な原因を理解しない限り、瞑想をしても、孤独感を癒やすことはできないんじゃないかと思います。

この体が、孤独を感じているわけじゃない

ひとつ言えるのは、孤独感というのは、この体が感じているわけじゃないということです。人と一緒にいても、必ずしも孤独感が癒やされることがないというのは、それが理由です。別に、この体が「私は孤独なのだ」と主張しているわけじゃないんです。体が気にするのは空腹感や、不快感といった5感覚に属するものです。この体は、この体が一人でいるのか、それとも、誰かと一緒にいるのかという状況そのものは気にしていません。「私は孤独なのだ」と主張しているのは、明らかに、この感情なんです。孤独にまつわる問題の難しさは、この違いから生まれます。

「私は孤独なのだ」と主張しているのが、この感情なのだとして、どうすれば、この孤独感を癒やすことができるんでしょうか? 他人に対して、「この孤独感を癒やして欲しいんだけど」と言ってみても、他人からは、その孤独感そのものは見えないんです。肉眼で体を見ることはできますが、肉眼で感情を見ることはできません。また、人は、自分の感情を知ることはできますが、他人の感情を知ることはできません。他人は、その孤独な感情に、直接触れることはできないんです。この構図が、他人に孤独感を癒やしてもらおうとすることの難しさに繋がっています。

孤独とは、孤独感を避けようとするところから始まります

であるなら、この孤独感を癒やすことができるのは、この自分以外にはいないんじゃないでしょうか? なにしろ、この孤独感に気がつけている存在は、世界中を探しても、この自分しかいないからです。もちろん、世の中には、「わかるよ……」と共感してくれる人もいると思います。でも、共感することと、この孤独感を直接感じられているということには、天と地ほどの違いがあります。その共感は、あくまでも、「分かる気がする」という域を超えることができないんです。

もし、この自分が、この孤独感から目を逸らそうとするならどうなるでしょうか? この孤独感は、さらに強くなるんじゃないでしょうか? 「この孤独感をなんとかするには、人と一緒にいなくてはならない」と思うことは、この孤独感から、目を逸らそうとすることかもしれません。それと同じように、「この孤独感をなんとかするには、呼吸を瞑想対象にして、瞑想しなければならない」と思うことは、この孤独感から、目を逸らそうとすることかもしれません。

そうではなく、この孤独感、そのものを見ればいいんじゃないでしょうか? それは、この孤独感を瞑想対象にした、瞑想のようなものです。もちろん、それは心地よいものとは言えないと思います。でも、永遠に続くような感情というのは存在しないんです。喜怒哀楽の感情で、永遠に続いていると言えるようなものはあるでしょうか? どんな楽しい感情だって、そのうち飽きるという現象が起こって消えてしまいます。苦しいという感情だって、時間が経つことによって(時間をかけて飽きてしまうことによって)、消えてしまいます。孤独感というのは例外なんでしょうか? 僕の経験でいえば、孤独感だって例外じゃありません。もし、本当に孤独感をなんとかしたいと思う人がいれば、この孤独感を瞑想対象にして、確かめてみるといいかもしれません。

(関連記事:人といても孤独感を感じるのはなぜなのか?【孤独は自分との分離】

作成者: 山家直生

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