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形而上学

過去生の記憶は輪廻転生が存在する証拠になるか?

世の中には、過去生の記憶を持って生まれてくる子どもがいるようです。過去生の記憶だなんて眉唾ものだと思うかもしれませんが、ヴァージニア大学の精神科主任教授であった、イアン・スティーブンソンによって、生まれ変わりは学術的にも研究されているようです。イアン・スティーブンソンは、「生まれ変わりは存在する」とは断定はしていません。ただ、「生まれ変わりが存在すると仮定することが、もっとも高い説得力を持つ」と言わざるを得ない事例があることを認めています。

過去生の記憶というと、催眠療法を使って過去生を思い出させるといった方法や、いわゆる、前世を見ることができるといった能力者による方法もあります。でも、イアン・スティーブンソンは、そういった方法を「生まれ変わりの証拠として最も弱いものだ」として重要視していません。イアン・スティーブンソンが重要視したのは、過去生の記憶を突如として話し出す、3歳から5歳ぐらいの子ども達の事例です。

過去生の記憶を持つことはあり得る

僕自身は、いわゆる輪廻を否定しています。でも、過去生の記憶を持って生まれてくる子どもはあり得るだろうなと思います。「輪廻は無いというのに過去生があるだなんて矛盾するじゃん」って思うかもしれません。その理由については、最後にお話します。ともあれ、過去生の記憶を持って生まれてくる子どもの事例は少なくはないようです。イアン・スティーブンソンが把握しているだけでも2000件以上の事例があるようです。

イアン・スティーブンソンは、子どもが語る過去生の記憶を、そのまま鵜呑みにはしません。その記憶がでっち上げられたものである可能性を様々な角度から検証します。その子どもが、テレパシー能力を持っているのではないかということも検証します。世の中には、相手の記憶を、ある程度読み取れる能力を持つ人もいるからです。親の記憶を無意識に読み取って、それを元に過去生の記憶をでっち上げてしまっている子どももいるかもしれません。

「親の記憶を読み取れたって、それが過去生の記憶と何か関係あるの?」と思うかもしれません。イアン・スティーブンソンによると、生まれ変わりは親族間で起こることも少なくないそうです。例えば、子どもが、おじいちゃんの記憶を持って生まれてくるとかですね。もし、子どもが、相手の記憶を読み取るテレパシー能力を持っているのだとすれば、親の記憶を元にして、おじいちゃんの記憶をでっち上げている可能性もでてきます。

イアン・スティーブンソンは、生まれ変わりの可能性を、ひとつひとつ消去法で潰していきます。生まれ変わりには2000件以上の事例があるようですが、その多くは、その消去法に引っかかってしまうようです。ただ、中には、生まれ変わりが起こったと仮定せざるを得ないような事例も確かにあるようです。過去生の人物を特定でき、そしてまた、過去生の記憶を持った子どもと、過去生の人物に関わりのあった人物とを対面させてみて、その証言が一致するなどの事例です。

イアン・スティーブンソンの研究によれば、死んでから生まれ変わるまでの間隔は、平均値で15ヶ月だそうです。生まれ変わりというと、「100年前から生まれ変わることもあるのでは?」と思う人もいるかもしれません。でも、実際のところは、生まれ変わりの間隔はかなり短いようです。なので、過去生の記憶を持った子どもが、過去生の人物に関わりのあった人物と、対面するということもあったりするんですね。

今、生きている人の記憶を持って、生まれる子どもがいるのはなぜか?

僕が面白いと思うのは、今、生きている人の記憶を持って、生まれてくる子どもの事例があるということです。死ぬ間近の人物の記憶を持って、生まれてくる子どもがいるということですね。つまりは、同じ記憶をもった人物が、この地球上に2人同時に存在していることがあることになります。

イアン・スティーブンソンは、これを〝憑依型〟の生まれ変わりだとしています。死ぬ間近の人物が、生まれたばかりの子どもに〝憑依〟することによって、その子どもに過去生の記憶が発現するのではという考え方です。「その場合、その2人が対面したらどうなるの?」と思うかもしれません。でも、同じ記憶をもった2人が対面したという事例はないようです。というのも、〝憑依型〟かどうかは、過去生の人物を特定して、その死亡日時を調べないことには分からないからです。過去生の人物を特定するのにはそれなりの時間がかかります。その間に、過去生の人物は死んでしまい、その記憶を持った子どもと対面させることはできなくなってしまうようです。

記憶そのものは、個人性を証明することができない

このように、過去生の記憶を持って生まれてくる子どもがいるということは、学術的にも研究されています。生まれ変わりが存在すると仮定せざるを得ない事例もあるようです。ただ、イアン・スティーブンソンは、〝個人性〟とは何かということをあまり明確にはできていません。イアン・スティーブンソンは、こう語っています。

哲学者はこれまで、何がその人らしさのもとになっているかについて、かなりの議論を繰り返してきた。その結果、大半の哲学者は、各人の一生はそれぞれ独自なものなので、その記憶も独特なものであろうし、したがって、記憶が持続していることを裏づける証拠こそ、特定の人物が肉体の死後にも生存を続けていることを示す最も有力な、かつ、おそらくは唯一の指標になるであろう、という点で意見の一致を見ているようである。

子どもたちが語る、断片的なものでしかないことも多い情報をもとに、研究者は、切れぎれの情報をつなぎ合わせたものから、他の誰でもない特定の人物がまちがいなく浮かび上がってくるかどうかを明確にしなければならないのである。

(イアン・スティーブンソン著『前世を記憶する子どもたち』角川文庫より引用)

イアン・スティーブンソンが、過去生の記憶の整合性を重要視していることは間違いありません。ただ、イアン・スティーブンソンは、記憶の整合性以上に、「記憶を超えた、魂のようなものがあるのではないか?」という可能性を重要視しているようなところがあります。

例えば、生まれ変わりには〝憑依型〟があるという発想がでてくるのも、それが理由でしょう。もし、記憶が個人性を証明するのであれば、同じ記憶を持つ人物が2人同時に存在するということはあり得ません。その場合、どちらも特定の個人であるとは言えないし、ともすれば、どちらも個人では無いと言わざるを得なくなります。「そもそも、個人とは何か?」という話になります。そこに、個人的な生まれ変わりを想定するためには、記憶を超えた、魂という存在を仮定せざるを得ません。

個人性が証明できないのなら、いわゆる輪廻転生は起こりようがない

イアン・スティーブンソンは、実際のところは、宗教的に感じられるという理由から〝魂〟という言葉は使わずに〝人格〟という言葉を使います。

でも、〝人格〟という輪廻する実体があるということを証明することは難しいです。記憶の整合性であれば、ある程度は調べることによって証明することができるかもしれません。でも、〝人格〟という漠然としたものになると、その証明は難しくなります。できることは、ただ〝人格〟という何かが存在するんじゃないかと仮定することだけです。

もし〝人格〟という何かが存在するのだとすれば、その人格と記憶というのは紐付いていると想定できます。過去生の記憶を持って生まれてくる子どもがいるのは、それが理由だと言うこともできます。でも、そうなると、同じ記憶を持った人物が2人同時に存在するということの説明が難しくなります。〝人格〟というのは個別で特有のものなのに、それが2つあるということになるからです。

なので、同じ記憶を持った人物が2人いるという状況で、生まれ変わりという可能性を成り立たせるためには、どちらか片方だけが〝人格〟を持っているというように考える必要があります。イアン・スティーブンソンから〝憑依〟という考え方がでてきたのは、それが理由なのではないかと思います。死ぬ間近の人物の〝人格〟が、なんらかの理由で、死ぬ前に新しい肉体への〝憑依〟をはじめ、死ぬことによって、完全に新しい肉体へと移行すると考えれば、一応は辻褄が合うようにも思えるからです。

でも、〝人格〟とは何かということを、いくら言葉で定義づけようとしても、そしてまた、それを科学的に観察しようとしてみても、その実体は見つからないと思います。そんな実体は無いからです。人は〝人格〟や〝魂〟という輪廻する実体が存在するんじゃないかと想像することはできます。でも、実際のところ、確認することができるのはこの〝存在〟だけです。この世界の中を、魂が輪廻するわけではなくて、この〝存在〟の中で、この世界の方が輪廻しているんです。

(関連記事:輪廻転生を終わらせる必要なんてあるのか?

作成者: 山家直生

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