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瞑想

瞑想のときにラベリングするのはどうなのか?【しんがりを務める自覚】

瞑想にはラベリングという技術があると思います。

瞑想中に頭の中に現れた思考に対して、「これは思考だ(ペタッ)」とラベルを貼り付けてしまうことで、自分自身と思考を分離させてしまおうとする技術ですね。

そうすることで思考を抑えやすくなると考えられています。

確かに、そうすることで思考を抑えやすくなることはあるかもしれません。

ただ、ラベリングはずっと続けるようなものでもありません。

上手にラベリングできるようになることが瞑想の目的でもないからです。

瞑想に慣れてくれば、ラベリングしようとせずとも、思考に気がつくだけで思考は消えていくようになります。

そうなったなら、ラベリングすることに固執する必要はないんです。

むしろ、ラベリングしようとする最後の思考(意志)として消える必要があるかもしれません。

ラベリングをする人は「しんがり」です

例えるなら、ラベリングしようとする人は「しんがり」なんです。

「しんがり」というのは戦国時代のドラマとかで出てくる言葉ですね。

敗戦のときに、味方が無事に自国まで退却できるように、最後列で敵と戦いながら退却する人のことを言います。

危険な仕事であって、命を落とす可能性が高いです。

それでも、忠誠心の高い武将は、「殿!わたくしめにしんがりを務めさせてください」と申し出ます。

瞑想の時にラベリングをしようとするその人は、実は「しんがり」みたいなものなんです。

その仕事は、無事に味方を自国まで退却させること、そして、自分自身もできれば無事に自国まで退却することです。

決して「先駆け」じゃありません

「しんがり」とは反対に、自陣の先頭に立って敵陣に切り込む人のことを「先駆け」と言います。

瞑想するときにラベリングをするということは、どちらかといえば「しんがり」なのではなく、「先駆け」なんじゃないかと思う人もいるかもしれません。

頭の中にわき起こる思考は敵なのであって、自分自身がラベリングする人として、率先してその敵を倒していかなければいけないのではと思うかもしれません。

そして、思考がまったく起こらなくなったときに、自分は悟るのではないかと思うかもしれません。

ラベリングするその人として悟るのではないかと思うかもしれません。

でも、そうはならないんです。

実のところ、頭の中に現れる思考と、ラベリングしようとするその人は、味方同士です。

言ってみれば、ラベリングしようとするその人は、思考のひとつでしかありません。

例えば、今、この記事を意識的に読もうとしているその人(あなた)は、思考のひとつでしかありません。

自覚できるでしょうか?

ただ、そこには意志の感覚があるために、「自分は意志なのであって、普通の思考とは違う特別な存在なんだ」と錯覚しているんです。

その錯覚が消えるまでは、ラベリングしようとするその人にとっては、頭の中に現れる思考はまるで敵であるかのように感じるかもしれません。

つまりは、自分自身を「先駆け」だと勘違いし続けるかもしれません。

最後には、自分自身が退却する必要があります

自分自身を「先駆け」だと勘違いしていようが、ラベリングをすることに変わりはありません。

思考が現れたなら、その思考に対して「これは思考だ(ペタッ)」とラベルを貼り、その思考を切り離そうとします。

ただ、その後の行動が変わってきます。

ラベリングを続けていると、思考がわき起こることが少なくなってくるかもしれません。

シーンとした静寂を保つことが容易になってくるかもしれません。

その時、自分自身を「先駆け」だと勘違いしているならどう感じるでしょうか?

「敵に勝利した!」と勘違いする可能性が高いんじゃないでしょうか?

もしかすると、自分は悟ったと感じるかもしれません。

「私は存在しない」とはこういうことかと感じるかもしれません。

(関連記事:「私は存在しない」という言葉によくある勘違い

探求は終わったと感じるかもしれません。

でも、それは大いなる勘違いなんです。

自分自身は退却しないんでしょうか?

自分自身が「先駆け」なのだとすれば、戦いはそこで終わりかもしれません。

でも、「しんがり」なのだとすれば、最後には自分自身が自国に退却する必要があるんじゃないでしょうか?

自分自身が自国に退却できてこそ、戦いは終わりを迎えます。

ラベリングをするということは、実のところは味方に対して、「さあ、早く自国に退却してください!」とハッパを掛けるようなものかもしれません。

その結果、現れた思考は自国に退却していきます。

「しんがり」の仕事は、味方を無事に自国に退却させた後に、自分自身も自国に退却することです。

でも、自国ってどこでしょうか?

思考はどこから現れて、どこに消えていっているでしょうか?

意志としての自分は、どこから現れて、どこに消えていくんでしょうか?

多くの人はこのことに自覚的ではないと思います。

なんとなく「自分は常にここにいる」と感じているんじゃないかと思います。

現れたり消えたりなんかしていないと感じているんじゃないかと思います。

なので、自分は単なる思考とは違う特別な存在なんだと感じているんじゃないかと思います。

でも、それは勘違いなんです。

ラベリングをしようとし続ける限り、そのことにはなかなか気づけないかもしれません。

ラベリングすることによって、ある程度は思考を抑えることができるようになったなら、次は、どうやって自分が退却するべきかを考えるべきかもしれません。

その第一歩は、ラベリングしようとすることを止めることにあるかもしれません。

(関連記事:瞑想にゴール(目標・目的)はあるんでしょうか?

作成者: 山家直生

空白JPアーカイブ2020+」電子書籍(Kindle)を出版しました。

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