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瞑想

「瞑想」と「悟り」はどんな関係性なのか?【直接的な関係性は無い】

「瞑想」と「悟り」には、深い関係性があると思うかもしれません。

確かに、多少なりの関係性があります。

でも、「ブッダはヴィパッサナー瞑想を実践することで悟った」と言えるような直接的な関係性はありません。

極端なことを言えば、瞑想を実践せずとも悟る人はいるわけです。

例えば、ラマナ・マハルシは瞑想を実践することなく悟ってしまいました。

(関連記事:ラマナ・マハルシの伝記【書籍の解説】

むしろ、瞑想することをあまりにも重要視しすぎると、反対に、悟りが遠のく可能性すらあります。

とはいえ、僕は瞑想することは大事なことだと思っています。

では、どのように大事なのか?

「瞑想」と「悟り」の関係性についてお話してみたいと思います。

瞑想とは、鏡をキレイに磨くこと

瞑想することは、鏡をキレイに磨くことと似ています。

瞑想の重要性は、それ以上でも、それ以下でもありません。

鏡をピカピカに磨き上げたとしても、そのことが、鏡の前に立つ自分に影響を与えることはありません。

鏡と自分は、別のものですよね。

鏡をピカピカに磨き上げるほどに、鏡の前の自分が悟っていくなんてことは無いわけです。

でも、鏡が鏡として機能しないほどに汚れているのであれば、キレイに磨いたほうがいいですよね?

ここで言う鏡とは、意識のことです。

あなたの意識という鏡は、鏡として機能しているでしょうか?

例えば、日常生活の中で、考え事に没頭してしまうことが多いのであれば、鏡は鏡として機能していないのかもしれません。

自分自身に気がついていないんです。

であるなら、瞑想することによって、意識という名の鏡をキレイにできるかもしれません。

瞑想とは、鏡の表面についた汚れ(無自覚な思考やイメージ)を観察して、取り除くことです。

最初のうちは、砂埃だらけのように感じる鏡であっても、地道に瞑想を続けていくことで、キレイにしていくことができます。

(関連記事:瞑想にゴール(目標・目的)はあるんでしょうか?

悟りとは、鏡の中の自分は鏡でしかないことに気づくこと

悟りとは、極限にまで瞑想を実践した先にあるものだと思うかもしれません。

でも、そうじゃないんです。

ピカピカな鏡をそれ以上磨いたって意味がないんです。

悟りとは、鏡の中の自分は鏡でしかないということに気づくことです。

言われてみれば当たり前のことですよね。

でも、鏡の前では、「鏡の中に自分がいる」と錯覚します。

ハッと何かに気づいたという経験を、すべての人がしたことがあると思います。

でも、ハッと気づくことを意図的に引き起こすことはできませんよね。

それをコントロールすることはできないんです。

悟りも同じです。

そして、悟りは、びっくりするほど特別なことですが、びっくりするほど普通のことでもあります。

だって、鏡の中の自分は鏡でしかないって、考えてみれば当たり前のことですよね。

そう指摘されるなら「確かにそうだな〜」と思えることです。

でも、「だから何?」とも思うんじゃないかと思います。

「鏡の中の自分が鏡だったとして、実際の私は鏡の前にいるじゃん」って思うんじゃないかと思います。

でも、それも錯覚なんです。

鏡とは意識のことだと言いました。

であるなら、その実際の私も、意識という鏡の中にいるんじゃないでしょうか?

であるなら、この意識という鏡を見ている私はどこにいるんでしょうか?

悟りとは、こういった根源的な錯覚に気づいてしまうことです。

鏡の中の自分が悟るわけじゃない

瞑想することで悟ることができるという考え方は根強いものがあると思います。

例えば、ブッダはヴィパッサナー瞑想を極限まで実践することで悟ったと言われることがあるのは、むしろ、そうであって欲しいという願望でもあるんじゃないかと思います。

意識という名の鏡をピカピカにすることは、それほど難しいことでもありません。

地道に瞑想を続けていれば、思考やイメージも収まり、シーンとした静寂を保てるようになっていきます。

悟るために人が努力できるのはここまでです。

ピカピカな鏡をそれ以上に磨くことはできません。

でも、人は意志の力で悟りに近づきたいと考えます。

そんな時、人はどうするのかというと、鏡の中の自分を磨こうとします。

ヴィパッサナー瞑想は、そのためにはうってつけの瞑想方法だとも言えます。

集中力を研ぎ澄ませて、頭頂から足先まで、体をスキャンするように意識を巡らせていきます。

体の表面に気のようなものが感じられたりして、それは、悟りに近づいていることだと感じられるかもしれません。

結果として、神秘体験をすることはあると思います。

超能力が発現することもあるかもしれません。

でも、悟りが起こることはないでしょう。

むしろ、鏡の中の自分に意識を集中させてしまうなら、錯覚の感覚は増すばかりなんじゃないでしょうか?

悟るということは、むしろ、その逆です。

「瞑想」と「悟り」があまりにも関連付けられてしまうと、こういった方向性のズレが起こります。

もちろん、鏡をキレイにするためにヴィパッサナー瞑想を活用するのは良いと思います。

でも、すでに鏡はピカピカであるにも関わらず、鏡の中の自分に過度に意識を集中させてしまうことは、反対に鏡を曇らせることになります。

霊性を高めるためにそうするのであればいいのですが、自覚なしにそうしてしまっている人も少なくないかもしれません。

「瞑想」と「悟り」には、直接的な関係性はありません。

もちろん、鏡はピカピカであるに越したことはないのですが、そのことに執着する必要はないんです。

ましてや、鏡の中の自分を磨こうとする必要はないんです。

鏡の中の自分が悟るわけじゃないからです。

(関連記事:サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想、マインドフルネスの違い

作成者: 山家直生

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