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瞑想

サマタ瞑想では、呼吸と眉間どちらに意識を向けるのがいいのか?

今回は、サマタ瞑想について、ちょっと突っ込んだお話をしてみようと思います。

サマタ瞑想というのは、一点に意識を集中させることによって思考の発生を抑える瞑想方法です。

その一点というのは何だっていいのですが、呼吸や眉間が選ばれることが多いです。

常にここにありますからね。

呼吸と眉間、微妙に位置が違うのですが、どちらを瞑想対象にするのかによって、効果が違ってきたりするんでしょうか?

最初のうちは眉間のほうが集中しやすいかも

僕は、サマタ瞑想についてこんな記事「サマタ瞑想のもっともシンプルなやり方【止行】」も書いています。

この記事の中では、瞑想対象として呼吸を紹介しています。

サマタ瞑想を教えるときに、まずは呼吸に意識を向けさせる人は多いと思います。

呼吸には動きがあるので、観察しやすいというのもあります。

でも、最初のうちは、呼吸よりも眉間に意識を向けるほうが集中しやすいかもしれません。

思考が現れる瞬間を目撃する

眉間に意識を向けるといっても、眉間の皮膚に意識を向けるわけじゃありません。

まあ、もちろん、眉間の皮膚の感覚に意識を向けさせる人もいるかもしれません。

でも、僕の場合は違います。

方向としては眉間なのですが、意識の焦点は眉間のもっと奥です。

サマタ瞑想をする時には、目を閉じます。

その時に、まぶたの裏に、モヤモヤっとした何かが見えないでしょうか?

もしくは、✕印みたいなものが見えはしないでしょうか?

眉間を瞑想対象にするときには、そこらへんを見るようにします。

一点に集中というよりも、そこを中心に、全体を眺めるという感じです。

その状態の何が良いのかというと、思考が起こったことに気がつきやすいんです。

思考というのは、頭の周辺に起こりますよね。

思考というのは、肉眼で見ることはできないのですが、意識に備わっている霊的な眼が、思考の発生に気がつきます。

頭の周辺で思考が起こっているということに気がつくはずです。

眉間に意識を向けている場合、見ている範囲と、思考が起こる場所が重なるんです。

呼吸に意識を向ける場合、見ている範囲はもっと下になります。

鼻の周辺に意識を集中させています。

なので、思考が頭の周辺で起こると、なんとなく、上の方で思考が騒がしいという印象になります。

思考と、呼吸への集中との間で、綱引きが始まるような感じです。

そして、思考に巻き込まれると、呼吸への集中を忘れてしまいます。

そして、ハッと気がついてから、呼吸への集中をまた再開します。

もちろん、サマタ瞑想というのは、そういうものです。

でも、眉間への集中の場合、ちょっと状況が変わります。

呼吸への集中の場合には、それは、思考の流れに流されないようにするための杭として機能します。

でも、眉間への集中の場合には、思考の流れが始まる瞬間を目撃するために、先手を打つような感覚になります。

思考を対象としたスナイパーになるような感じですね。

思考が現れたなら、思考そのものに意識を集中させて、思考が消えるまでその状態を保ちます。

思考が消えたなら、また、眉間の奥の方に意識の焦点を戻します。

もちろん、この場合でも、思考に巻き込まれるということは起こります。

ハッと気がつくまで帰ってこれません。

ただ、思考の発生を抑えるというのが目的なのであれば、呼吸に意識を向けるよりも、眉間に意識を向けるほうが、より、直接的で効果があるような気もしています。

ある程度、眉間への集中に熟達してくると、思考の気配に気づくだけでも、思考が消えてしまうという現象も起こるかもしれません。

思考が収まるなら、意識は自然と呼吸の方に向きはじめます

「であるならサマタ瞑想は眉間への集中だけでいいじゃん!」って思う人もいるかもしれません。

もちろん、最初のうちはそれでもいいかもしれません。

でも、眉間への集中だけじゃ分からないこともあります。

サマタ瞑想を続けることで、思考の発生量が少なくなってくると、それほど意識を集中させずとも良くなってきます。

例えるなら、戦場でスナイパーをしていた人が、戦争が終わって、自宅警備員になるような感じでしょうか。

戦場では、いつ敵が現れるか分からないので気が抜けません。

意識を集中させておく必要があります。

でも、戦争が終わって、自宅に帰ってきたならどうでしょうか?

自宅に強盗が現れる確率は、戦場に敵が現れる確率と比べればグッと下がるんじゃないかと思います。

なので、常に意識を集中させておく必要もないわけです。

ソファーに座ってくつろいでいたって良いわけです。

サマタ瞑想でも、それに似たことが起こります。

思考の発生量が少なくなれば、眉間に意識を集中させておく必要は少なくなってきます。

そうすると、意識というのは自然と下に下がっていくものなんです。

思考に邪魔されることもなく、呼吸に意識を向けていることが心地よく感じられるようになったりします。

最終的には、意識はハートに落ち着きます

思考に邪魔されることもなく呼吸に意識を向けることが続くと、呼吸に意識を向けるということが面倒くさくなってきたりもします。

もし、そうなったら、どこにも集中しないでください。

「サマタ瞑想は、どこか一点に集中していないといけないんじゃないの?」って思うかもしれません。

もし、そう思うなら、目的と手段を履き違えています。

サマタ瞑想というのは手段であり、その目的は、サマタ瞑想をせずとも思考が収まっていて、どこにも意識を集中させずとも良い状態になることです。

もし、そうなったら、どこにも意識を集中させずに、そのままとどまってみてください。

瞑想中、眉間に意識を向けようとするのは意志です。

呼吸に意識を向けようとするのも意志です。

どこにも意識が向いていないとき、その意志はどこにあるでしょうか?

消えているんでしょうか?

それとも、まだどこかにあるでしょうか?

意志として自身を探そうとせずとも、意識が勝手にそれに気がつくはずです。

意志は、感情を感じる場所に収まってはいないでしょうか?

意志として、どこかに集中しようとせずとも、感情を感じる部分への集中が勝手に起こってはいないでしょうか?

そこには逆説があります。

どこにも意識を集中させないからこそ、自身への集中が起こります。

そこには、根拠のない至福感が伴っていないでしょうか?

解放感と言ってもいいと思います。

別に、なんらかの特別なビジョンが起こるわけでもないですし、特別な体感覚が起こるわけでもありません。

でも、そこには馴染みのある心地よい感覚があります。

それは、ハートです。

そこは、意志にとっての帰るべき家です。

もちろん、すぐにこのことへの気づきが起こるかは分かりません。

この理解は、段々と進行していくかもしれません。

でも、もし、このことを理解したのなら、サマタ瞑想は止めてしまったっていいんです。

日常生活の中でだって、意志は、ハートに収まることができます。

関連記事:瞑想はトータルで何時間ぐらいする必要がある?

作成者: 山家直生

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