思考停止という言葉。
たまに聞くと思います。
思考停止はしちゃいけないものとして扱われることが多いのですが、
本当にそうでしょうか?
僕は、むしろ思考停止したほうがいいのではないかなと思います。
その理由についてお話します。
同じ思考を繰り返していないか?
「思考停止はいけない!」とよく言われているので、
そうならないためにも、
必死に思考し続けるという人もいると思います。
でも、ちょっとその思考をチェックしてみてください。
同じ思考を繰り返していたりはしませんか?
例えば、仕事で百科事典を100セット販売しなければならないとします。
頑張って戸別訪問してみたけれど
「なかなか売れない!どうしよう!?」
ここで思考停止しはじめますが、
なんとか思考を続けます。
「なんで売れないんだろう?」
どうすれば売れるようになるか考えます。
過去に、こうしたら売れたことがある。
とか、雑誌の記事にこうすれば売れるって書いてあったとか。
そういったものが、頭の中を駆け巡ります。
でもそれって、自分の過去の蓄積ではないでしょうか?
過去の思考をトレースしているだけとも言えるのではないでしょうか。
つまりは、同じ思考を繰り返していると。
思考の外の行動はとることができない。
それで上手くいくのであれば、
話は簡単なのですが、
上手くいかないことのほうが多いのではないでしょうか。
そういう場合、どれだけ思考し続けても、
なかなか上手くはいきません。
そして、自分が同じ思考をグルグルと繰り返しているということに、
人はなかなか気づかないものだったりします。
本当は、自分の思考の外の考え方を取り入れる必要があったりするのですが、
思考をずっと続けていると、
そういった時間も余裕も発想もなくなってしまいます。
そして、人は基本的に、
自分の思考の外の行動はとることができません。
例えば、百科事典であれば、
インターネットで販売するという方法もあるかもしれません。
でも、そういった思考がでてこない人にとっては、
それは行動にうつされません。
だって、思考すらないんですから。
運命とは思考そのもの。
運命という言葉がありますよね。
運命というのは思考そのものだと思うんです。
だって、思考が行動につながるんですから。
思考がない場合には行動にすらうつされません。
ということは、運命を変えるには思考を変えなければいけません。
百科事典が売れないという運命から、
百科事典が売れたという運命に変えるためにです。
でも、どうすれば思考を変えることができるんでしょうか?
思考停止が思考を変える。
その答えが「思考停止」なんですね。
だた、ここでいう思考停止というのは、
本当の思考停止です。
問題に直面したくないがゆえの、
逃げの思考を思考停止とも言ったりしますよね。
テレビを見たり、ゲームに熱中してみたり、
お酒を飲んでみたり。
そういった思考停止ではなくて、
本当に、頭の中をカラッポにします。
なにも考えない努力をするということですね。
慣れていない人にとっては結構難しいかもしれません。
そうするとどうなるのかというと、
空白の状態になります。
空白の状態というのは、
ただ、気づいている意識の状態です。
そうすると、自分の頭の中の思考たちに気づきやすくなるんですね。
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足りないものに気づくことの重要性。
例えば、モノが多くて散らかっている部屋と、
モノが少なくて片付いている部屋、
どっちのほうが目的のものを探しやすいでしょうか?
そして、どっちのほうが、足りないものに気づきやすいでしょうか?
当然、モノが少なくて片付いている部屋ですよね。
実のところ、
なにが足りないのかに気づくことってとても重要だと思うんです。
だからこそ、意識を思考の外に向けることができるからです。
そうして、いままでにない思考をすることができるようになり、
それを行動にうつせるようになっていくんですね。
そして、結果として運命も変わる可能性がでてくるわけです。
まとめ
というわけで、
思考停止したほうがいい理由についてのお話でした。
例として百科事典の販売をだしました。
「例が古臭い!」というのはおいておいてください。
思考の外のアイデアとして、
インターネットでの販売ということをだしましたが、
これは僕の中の思考です。
人によっては、「それ以外にもいいアイデアがあるよ!」という人もいると思います。
僕にとっては思考の外のアイデアということですね。
もし、インターネットでの販売が上手くいかなかったなら、
僕も思考停止して、足りないものを探します。
で、足りないモノがそれだと思ったなら、
その人に教えてもらいにいくわけです。
そうして、僕の中の思考を変化させていくと思います。