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他人にも自分と同じように意識があることを確認できるのか?【Q&A】

今回は、SSさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。

SSさん、ありがとうございます。

SSさんからの質問

初めてメールさせていただきます。

空白JPの“「私の中に世界がある」ってどういうこと?”を読ませていただきました。

今世界だと思っているものは記憶を元に作り出しているもの、今気づいているものだけが世界のすべて、自分が意識であるなら「私の中に世界がある」という内容は説明としては理解できるのですが残念ながら今の私にとっては実感を伴うものではありません。

ただ過去に一度、飛行機で移動をしていた際に、自分が動いているのではなくの目の前の景色の方が動いているという感覚になったことがあり(その時は何かの錯覚だと思いました)きっとそうなのかなという気持ちもあります。

質問させていただきたいのは、その世界の中での自分以外の人間との関係についてです。自分以外の人間は、あくまで人間以外のその世界の中の他のものと同様、実態のない記憶をもとに自分が作り出しているものなのでしょうか。その場合、他の人間は、あくまで自分が作り出している世界の登場人物で、自分の意識がないときはなくなってしまう実在しないものと感じてしまいます。

それとも自分と同じような意識をベースとした存在なのでしょうか? 自分以外の人間(意識)が例えば私の作り出した世界を共有することがあるのでしょうか。またはそれぞれの意識はそれぞれの世界で自分の世界を見ていて交わることはないのでしょうか? 他者が登場人物なのか同じような意識としての存在なのか、それが同じ世界で(例えば私の作り出した世界で)交わることがあるのか、ご意見をお聞かせいただければと思います。わかりにくい文章で申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

回答

SSさん
こんにちは。

ご質問ありがとうございます。

自分に意識があるということは、他人にも意識があるであろうと想像しますよね。
でも、このことを確認することはできないんです。

> その場合、他の人間は、あくまで自分が作り出している世界の登場人物で、自分の意識がないときはなくなってしまう実在しないものと感じてしまいます。

なので、結論としてはまさしくこうなります。
実感としては信じ難いのですが、記憶に実体が無いのであれば、そうなるのではないかと思います。

とはいえ、この世界では、他人と同じ世界が共有されているように感じられますよね。
自分の意識が消えたとしても、他人の意識は残るのであり、結果的にはこの世界は継続するように感じられます。

僕も日常生活の中では、この世界が共有されているという前提で行動します。
例えば、SSさんにも意識があって、この世界が共有されているという前提でこのメールを書いています。

そういう風に感じられるのは、意識の根源がひとつだからかもしれません。

例えば、5感覚の入力装置を搭載したロボットが開発されたとします。
視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚がデータとして記憶媒体に記録されるとします。
AIも搭載されていて、まるで、人間そっくりなロボットです。
このロボットは意識を持つでしょうか?

実のところ、意識という言葉は少し漠然としたところがあって、もっと細かく区別することができます。

多くの人は、おそらく、意識と5感覚を同じものとして認識しているんじゃないかと思います。
特に、視覚の影響は大きいと思います。

SSさんも、視覚の範囲が意識であるかのように感じるんじゃないでしょうか?
でも、それは、視覚が意識によって気がつかれているだけなんです。
視覚そのものが意識なのではなく、意識によって気がつかれているんです。

例えば、生まれつき盲目の人にとっては、意識とはどんなものに感じるでしょうか?
おそらく、その意識は視覚情報を含まないのではないかと思います。
であるなら、視覚と並んで良く使う感覚である、聴覚のことを意識だと強く感じるかもしれません。

そう考えると、意識って何なんでしょうか?

例えば、夢を見ている間なんかは、5感覚は感じませんが(機能はしてると思いますが)意識はありますよね。
夢の中の映像というのは、眼球が見ている映像ではなく、意識が直接的に見ているイメージです。

よく考えてみると、眼球というのは頭から出てくるイメージを見ることはできていないんです。
耳だって、自分の思考を聞き取れているわけじゃありません。
それを見たり聞いたりしているのは、意識そのものなんです。

人は意識と5感覚を同じものと認識しているので、思考やイメージ、感情だって、5感覚で感じているように思っています。
でも、実際のところはちょっと違うんです。

思考やイメージ、感情は、意識だけが認識出来ていることなんです。
5感覚は、それらを認識できていません。
むしろ、5感覚自体が意識によって認識されている対象です。

例えば、目の前に赤いリンゴをイメージしてみても、眼球はそれを認識できないはずです。
意識だけが、その赤いリンゴのイメージを認識しているんです。

ともすれば、5感覚があるからこそ意識が現れると思うかもしれませんがそうじゃないんです。
だって、思考やイメージや感情を認識することができない5感覚が、それらを認識できる意識という存在を生み出せるはずがありません。

なので、ロボットが意識を持つことはないはずです。
というよりも、人は、意識を観測できる機器を発明することはできないはずです。

ただ、意識そのものとは何かを確認することはできます。
意識そのものというのは、5感覚、思考、イメージ、感情が無い状態です。

それはつまり、熟睡中ということになるのですが、それだと確認することができないですよね。
なので、起きている時に、なるべく5感覚を静めた上で、思考、イメージ、感情が無い状態にとどまってみるんです。

もちろん、すぐに分かるというわけではないのですが、いずれ、意識そのものとは何かが分かるようになるかもしれません。

何も無いということは何も感じないはずなのですが、不思議なことに、感情を感じる場所に至福感や解放感を感じるようになります。
意識が意識自身に気がついている状態です。
それが意識そのものであって、意識の根源です(僕はそれをハートと呼ぶことが多いですが)。

インドでは、それをサット(存在)・チット(意識)・アーナンダ(至福)と呼んだりもします。
何も無いはずなのに、それは存在であって、意識であって、至福であるということですね。

> それとも自分と同じような意識をベースとした存在なのでしょうか?自分以外の人間(意識)が例えば私の作り出した世界を共有することがあるのでしょうか。またはそれぞれの意識はそれぞれの世界で自分の世界を見ていて交わることはないのでしょうか?

他人も意識を持っているのかを確認することはできませんが、もし、そうであるなら、この意識の根源はすべての人に共通なのだろうなと想像することはできます。

この意識の根源は、世界の中では体の中に収まっているように感じられますが、実際のところは、世界(5感覚)の外にあって、世界に気づいているものです。
なので、すべての意識(世界)がそのひとつの根源から枝分かれするかのように発生しているということはあり得るかもしれません。

例えば、SSさんと僕は、人格や5感覚の感じ方は違うもののはずです。
意識が別々のものとして独立しているのであれば、そこには接点がないようにも感じられます。

でも、意識の根源が同じであればどうでしょうか?

もし、世界や人が実在しているのであれば、そんなことはあり得ないと思います。
70億もの意識の根源が存在していて、それが世界の中を動き回っていることになります。
それが同一であることはないと思います。

でも、世界や人というのは実在しているわけではなく、それは、意識の根源から枝分かれするように仮想的に存在しているのであれば、それはあり得るんじゃないかと思います。
そして、すべては意識の根源によって繋がっているはずです。

なので、同じ世界を他人と共有するということは大いにあり得ると思います。
すべて繋がっているのであるなら、データベースも同じであろうからです。

とはいえ、こういったことは僕の想像であって確認はできません。
確認できるのは、意識の根源がここにあるということだけです。

でも、意識の根源が確認できてしまえば、こういった形而上学的なことはあまり気にならなくなると思います。

(関連記事:曼荼羅(マンダラ)と世界

作成者: 山家直生

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