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PNSE(継続的非記号体験)って何だ?【心理学的な悟り】

「PNSE」という言葉、聞いたことあるでしょうか?

僕も、最近知ったのですが、心理学的に、悟りの状態を定義づける言葉だそうです。

「Persistent Non-Symbolic Experiences」の略ですね。

日本語にすると、「継続的非記号体験」になるようです。

「なんのこっちゃ?」と思うかもしれませんが、確かに、そう表現することもできるかもしれません。

というわけで、今回は、「PNSE」について、思うことをお話したいと思います。

悟りの3つの側面のうちの「幸福感」に注目したもの。

PNSEというのは、最終的な悟りのことではなく、悟りの3つの側面のうちの、「幸福感」に注目したもののようです。

インドでは、悟りの3つの側面を、この言葉で表現しています。

サット(存在)・チット(意識)・アーナンダ(至福)」です。

PNSEというのは、心理学的に、アーナンダ(至福)とは何かということを、定義づけようとした言葉なんじゃないかと思います。

PNSEについては、ニューズウィーク日本版の記事「「悟りってどんな状態?」悟った50人に心理学的手法で詳しく聞いてみた結果とは」に詳しいことが書かれていますので、そこから、いくつかの文章を引用しながらお話していきたいと思います。

PNSEというのは、アメリカの、ジェフリー・マーティン博士という方が、提唱しているようです。

その研究を始めたキッカケとして、こんなことが書かれています。

Martin博士は、宗教家など、「悟っている」「覚醒している」と言われる人たちの中に、そうした幸福感を持っている人が多いことに気づき、これらの人々に連絡を取って回った。インターネットや図書館で調べたり、人から紹介されたりして、12年間でこれまでに2500人以上にコンタクトを取ってきたという。

2500人以上にコンタクトを取ってきたって、結構いるものですね。

そして、マーティン博士は、その中の50人ほどの方々に、一人あたり6時間から12時間ほどのインタビューを行い、6つの共通点を見つけたようです。

1つめの共通点は、自我の感覚の変化です。

PNSEに到達した人の最も共通した体験は、自我の感覚の変化だという。通常の意識の人が感じる「自分」とはまったく「異なる自分」を感じるのだという。「異なる自分」は、どの宗教を信じるか、もしくは信じないかによって異なってくる。例えば仏教を信じる人は「自分」という感覚が「広い空間いっぱいに拡大した」という表現を使うことが多い。一方でキリスト教徒は「神との一体化」「イエスとの一体化」「精霊との一体化」などという表現を使うという。いずれにせよ、「自分」が自分の身体だけに収まっているのではなく、より大きな存在であるとい感覚なんだそうだ。

これについては、僕はあまり賛同しないでしょうか。

自分という感覚は、別に、拡大も縮小もしないからです。

「異なる自分」というのも感じませんし。

仏教徒の言う「広い空間いっぱいに拡大した」という表現は、「空」の概念に影響されすぎているのではないかとも思います。

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それよりは、キリスト教徒の「神との一体化」とかの表現の方が、僕もシックリときます。

2つめの共通点は、思考の量です。

PNSEに入った多くの人が気づくのが、思考の量の変化だ。ほとんどの人が、思考が大幅に減少したと答えている。思考が起こる場合でも、思考は目の前を流れていって、それにとらわれることが少なくなったという。

これについては、まったくその通りだと思います。

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3つめの共通点は、感情についてです。

感情も思考と同様にPNSEに入ると減少し、PNSEの段階が進めば進むほど減少していくという。PNSEの初期の段階の人は、ポジティブな感情からネガティブな感情までを感じることがあると答えている。ただ感情を認識しても、その感情を引きずることは少ないという。またPNSEの段階が進むにつれて、ネガティブな感情は減少し、ポジティブな感情だけが残るようになるようだ。さらにPNSEの最終段階では、一切の感情を感じなくなるという。ただその直前の段階では、非常に強い「思いやり」「喜び」「愛情」が混ざったような1つの感情になるという。Martin博士が「最終段階の直前が人間にとって一番幸せでは」と語るのは、この感情に常に包まれている状態だからだ。

これについては、前半の部分については、僕も同意するのですが、後半の部分については、完全に否定します。

なにかの勘違いでしょう。

「悟っている」とされるインタビューされる側の方に、何かしらの思い込みがあるはずです。

ポジティブな感情だけが残るというようなことはないですし、一切の感情を感じなくなるということもありません。

「完全に悟ったらそうなるのでは?」という妄想なのではないかと思います。

4つめの共通点は、「今」への集中です。

PNSEに入ると、雑念が減少していくので、過去を思い出したり、未来を思い悩んだりしなくなり、その結果、今、目の前にある事象に集中するようになる。雑念がない分、感覚が鋭くなり、視覚だけでなく、聴覚や嗅覚、皮膚感覚など5感を総動員して、今の目の前の事象を深く味わおうとするようになるという。PNSEの初期段階では、その後の段階に比べて、過去や未来の思考に引きずり込まれることが多いらしい。後ろの段階になると、目の前の体験にしっかりと根付くようになり、最終段階では、ほぼ完全に「今」に没入し、3次元のものが2次元に見え、世界が止まったように感じるらしい。

これについても、前半の部分は、そうかなと思うのですが、最後の部分については、否定します。

3次元のものが2次元に見えたり、世界が止まったようには感じません。

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5つめの共通点は、外部刺激への反応の仕方です。

穏やかな気候のときに大学のキャンパスでインタビューしているときのこと。何人かの女子学生が芝生の上で水着姿で日向ぼっこをしていた。被験者(男性)が水着姿の女子学生をちらっと見たので、Martin博士が、頭の中で何が起こっているのかを被験者にたずねた。そうすると被験者は、自分が女子学生の方向をときどき見ることは分かっているが、その後、心の中に何も変化がないと答えたという。自己分析してもらうと、女子学生を無意識に見るのは、生殖に関する深いレベルに組み込まれた反応ではないだろうかと答えたという。PNSEの中間から後ろの段階の何人かの被験者は、こうした認知プロセスのレベルの1つ1つの反応を認識できると答えている。生殖に関する本能のような反応から、身体的、思考的、感情的な反応まで、認知のレベルを順に認識できて、自分の反応がどのレベルから来ているのかが分かるという。またPNSEの段階が進めば進むほど、外部刺激に対する反応を自分でコントロールできるようになるという。そして最終段階になれば外部刺激に反応することがほとんどなくなるので、反応をコントロールする必要もなくなる。外部刺激にただ気づくという反応になるらしい。

これについても、前半の部分はそうかもしれません。

僕も、このブログを書く時には、そうやって気づいた、認識のプロセスを記事にしたりします。

でも、後半の部分については、やっぱり否定します。

外部刺激に対する反応を自分でコントロールなんてできません。

もし、コントロールできると思っているのなら、その人は、悟ってはいないでしょう。

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また、外部刺激に反応することがほとんどなくなるということもありません。

6つめの共通点は、記憶についてです。

被験者全員が、過去の記憶はもはや重要ではなくなったと答えている。自分の過去の記憶に興味がなくなると同時に、ほかの人の過去のストーリーにも興味がなくなる。映画などの趣味も変わるという。雑念が減少するに伴って、過去の出来事をふと思い出すことも少なくなるようだ。何人かは記憶障害になったのではないかと思うそうだが、実際に過去の出来事について質問すると、ほとんどの被験者は問題なく思い出せるようだ。

記憶障害になったとは思いませんし、映画の趣味も変わりませんが、その通りだと思います。

アクティビティが必要なのであれば、「一時的記号体験」なのでは?

マーティン博士は、「誰もがPNSEに入れる」と言います。

「悟っている」と言われるPNSEに入っている人を研究した後、マーティン博士は、一般の人が、どうすればPNSEに入れるかを研究したようです。

まあ、当然の流れですよね。

その結果、自分に合ったアクティビティさえ見つけることができれば、多くの人が、PNSEに入れるという結論に至ったそうです。

大事なのは、「自分に合ったアクティビティ」だそうです。

一体、どんなアクティビティがあるのかということについては、ニューズウィーク日本版の記事には書かれてはいません。

PNSEについて書かれている、他の記事を読む限り、アクティビティというのは、様々な宗教で行われている、祈りや、瞑想、儀式などを、現代風にアレンジしたもののようです。

その中から、自分に合ったものを選ぶことができるなら、4ヶ月で7割の人が、PNSEに入れるとしています。

でも、僕は、ここでちょっと疑問に思います。

もし、PNSEに入るのに、特定のアクティビティが必要であるなら、それはPNSEではないからです。

PNSEというのは、「継続的非記号体験」です。

非記号なんです。

非記号というのは、どういう意味なのかというと、何の対象もないということです。

特に、何も原因がないのに、幸福感を感じるし、それが持続するということです。

でも、幸福感を感じるのに、特定のアクティビティが必要であるなら、それはPNSEではなくて、TSE(Temporary Symbolic Experiences)になるんじゃないかと思います。

「一時的記号体験」ですね。

そして、必ずしも、TSEの先に、PNSEがあるというわけでもないんです。

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悟りを定義づけることは難しいです。

悟りというのは、定義づけることが難しいです。

特に、自身が悟ってはいない状態で、研究対象として、悟りを定義づけようとすることは、暗闇の中を手探りで歩くようなものだと思います。

悟りには、統計は通じません。

確かに、悟った人は、静かにしていることを好むという傾向はあると思います。

それは、思考の量が減ったり、感情の変化が少なくなったり、記憶を重要視しなくなるといった現象にも繋がります。

でも、本質的には、悟っていようが、悟っていまいが、その人の本質は、ほとんど変わりません。

生まれつき、乱暴な人は、悟ったとしても、乱暴なままでしょう。

自身が、乱暴な性格をしているということには、気がつくと思います。

でも、それを、問題だとは思わなくなるんです。

それが悟りです。

するべくして、乱暴をするようになります。

こういったことは、理想的な自分や世界を目指す人にとっては、理解ができないことでしょう。

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多くの人は、おそらく勘違いしています。

真理を悟った人が、なぜ、持続的な幸福感を感じられるのかというと、理想的な自分や世界を目指す人(意志)から解放されてしまうからです。

そして、幸福感というのは、悟りの3つの側面のうちの、1つでしかありません。

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作成者: 山家直生

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