時間って存在すると思いますか?
普段の生活を送っている中で、時間を意識しない人はいないと思います。
1日に何回も、時計をチェックしますよね。
なので、当然のことながら、「時間は存在している」と思っているはずです。
ところが、覚者は「時間は存在しない」と言います。
これ、納得できるでしょうか?
今回は、時間と記憶の関係性について、お話しようと思います。
時間の存在を疑うことは難しい。
基本的に、時間の存在を疑うことは難しいと思います。
時間が存在しないということは、「今」すら存在しないということを意味するからです。
「いやいや、「今」は確実に存在してるじゃん」って思うんじゃないでしょうか?
「いまここ」という言葉だってあります。
それは、疑いようがないことのように思えます。
多くの人は、「時間が存在しない」ということを、イメージすらできないんじゃないでしょうか?
「時間が無いってどういうこと?例え、この世界が滅びたって、時間だけはあるんじゃないの?」って思うかもしれません。
どんなイメージをしたって、そこには時間があるように感じられるんじゃないでしょうか?
旅行をすると、なぜ、時間が長く感じるのか?
少し、切り口を変えます。
多くの人は、旅行をした経験があると思います。
国内なら、3泊4日とか。
ハワイなら、機内泊含めて5泊7日とか。
旅行したことがある人なら分かると思いますが、旅行中って、時間がとても長く感じますよね。
1週間の旅行が、まるで1ヶ月に感じたりします。
それって、とても不思議ですよね。
時間というのは、一定のスピードを保っているかのように思えます。
時計の秒針は、一定のスピードを保ってますよね。
でも、体感的には、時間のスピードには、差があったりするわけです。
旅行以外にも、例えば、子供のころは時間が長く感じませんでしたか?
僕なんかは、小学生の6年間はとても長く感じました。
でも、大人になると、時間のスピードは早くなります。
あっという間に1週間が終わっているなんていうことになります。
これは、記憶と時間が関係しているからです。
記憶の密度が、時間の長さと関係しています。
未知の体験、刺激的な体験、そういったものは、記憶の密度が高いです。
そうすると、時間が長く感じられます。
一方、既知の体験、刺激のない体験は、記憶の密度が薄いので、あっという間に感じられるでしょう。
これは、多くの人が体験的に理解していることなんじゃないでしょうか?
熟睡中は、なぜ、時間を感じられないのか?
一方、熟睡中って、時間を感じますか?
熟睡中は、時間を感じないはずです。
記憶もないからです。
記憶がないのであれば、密度だってありません。
時間を長く感じるとか、短く感じるとかもありません。
ただ、そこには時間がありません。
それって、「時間は存在しない」ということなんじゃないでしょうか?
でも、多くの人は、こう思うはずです。
「いやいや、熟睡中は時間を感じられなくても、寝て起きたら時間は経過してるよ!」って。
確かにその通りです。
でも、そう思うことができるのは、今、あなたが起きているからです。
起きていて、記憶を参照することができて、寝ているときの状態をイメージできるからこそ、「寝て起きたら時間は経過しているよ!」と思うことができます。
なので、「時間は存在する」と思うはずです。
そして、そう思うことは当然のことだと思うはずです。
世界中のすべての人が、そう思っているはずだと。
でも、本当にそうでしょうか?
それは、単なるイメージ(記憶)です。
記憶は、時間が存在するという根拠になりうるでしょうか?
時間は、記憶によってシミュレーションされている。
実は、記憶は、時間が存在するという根拠になり得ます。
というより、記憶が、時間という存在をシミュレーションしているんです。
時間というのは、記憶が作り出す、概念みたいなものです。
実体はありません。
これは、なかなか理解し難いかもしれません。
多くの人は、まず、この世界があって、この世界には時間が流れていて、その中の個人が、記憶を持っていると思っているはずです。
でも、実は逆なんです。
ここには個人がおらず、ただ、ここに記憶の蓄積があり、その記憶を元に、この世界が創造されていて(個人としての自分すらも)、記憶の前後関係から、時間という概念も創造されています。
「そんなバカな!」と思うかもしれません。
そんなのトンデモ話だと思うかもしれません。
でも、僕は、こういった話を、信じてもらうためにしているわけじゃありません。
確認してもらいたいと思って話しています。
なんで、僕にこういったことが分かるのかというと、記憶の重要性がとても低いからです。
記憶を信頼していないとも言えると思います。
記憶の重要性が、ある臨界点以下にまで下がると、世界が実在しているという認識は、崩壊していきます。
そして、その時に、時間も存在していないということが理解されます。
この2つの理解はセットみたいなものです。
なので、覚者は「世界は幻想だ」と言ったり、「時間は存在しない」と言ったりします。
あなたは、記憶をどういう風にとらえているでしょうか?
信頼できるものでしょうか?
大事なものでしょうか?
それは、未来へのイメージも含まれます。
記憶を重要なものだと位置付け続ける限り、「世界」と「時間」は存在しつづけます。
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