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Q&A 意識

「存在」と「意識」の関係性について/存在、意識、至福【Q&A】

今回は、YSさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。

YSさん、ありがとうございます。

テーマは、サット・チット・アーナンダ(存在、意識、至福)についてです。

「至福」については感覚的にも理解しているけれども、「存在」と「意識」について、僕がどう捉えているのか知りたいというご質問です。

YSさんからの質問

山家さん、初めまして。
ちょっと前の、意志と意識の違いが大変参考になりました。そこで質問なんですが、サットチットアーナンダ、存在、意識、至福という言葉があります。至福は分かるんですが、今まで思っていた存在、意識は、意識と意志だったんだと気付きました。山家さんは存在と意識をどう捉えているのか教えてください。

山家による確認

YSさん
こんにちは。

ご質問ありがとうございます。
意志と意識の違いの記事が参考になったようで良かったです。

ちなみに、至福というのは、感覚としても分かる感じでしょうか?
それによって、回答も変わってくるかもしれません。

YSさんからのお返事

山家さん、返信ありがとうございます。 至福については、長年瞑想をやっていて(本格的ではありませんが)、胸の辺りで非常に気持ちいい、平和な感覚を感じることが多く、これが至福だろうなと思っています。

回答

それはきっと、至福ですね。
であれば、まさしく、存在とは何かを理解することが、YSさんにとっての核心になるかもしれません。

簡単に言ってしまえば、存在というのは、意識によって気がつかれるものの全てです。
なので、当然、意志も、存在ということになります。

でも、存在は、意志だけに限られるわけじゃありません。
視覚によって見える、目の前の世界も、存在です。
聴覚によって、聞こえる音も、存在です。
触覚、味覚、嗅覚によって感じられるものも、存在です。
感情だって、存在です。

ただ、それらの存在というのは、一時的なものですよね。
意志だって、現れては、消えていきます。
思考みたいなものですから。

5感覚で感じられることだって、刻一刻と変化していきます。
感情だって、変わっていきます。
YSさんの場合には、日常生活の中でも、至福でいることが多いのであれば、感情の変化は少ないかもしれませんが。

なので、「サット(存在)」のことを、仏教では「諸行無常」と言うんですね。
https://ku-haku.jp/sanpouin/

ただ、マインドからすれば、存在というのは、この物理的な世界、宇宙のことなんじゃないかと思えるんですよね。
「だって、この世界は実在してるじゃないか!」
「人類は月面着陸だってしたし、宇宙だって、きっと実在しているに違いない!」
って思えるんです。

そして、マインドは、意識とは何かということを、拡大解釈するようになります。
「意識というのは、この宇宙すら内包しているものだ!」って。

そうすれば、サットチットアーナンダというのは、なんとなく理解できるものになるからです。
アーナンダを理解しているのなら、なおさらだと思います。

そして、「あなたの中に世界がある」という言葉も、なんとなく、理解ができるものになります。
僕も、そういう風に理解していた時期があります。

ただ、それだと、とても真理を悟ったという風には思えないんですよね。

「自分は意識だけど、地球の裏側にある意識も自分だとは思えないな〜」
「宇宙に存在する意識も、この自分ってことなのか?そうは感じられない」
ということになります。

マインドは、こういったことに対して、ブラフマンとアートマンという概念を持ち出すこともあります。
「生きている間は、自分はアートマンという存在で、限定されているけど、本当のところはブラフマンと同じなんだよね」とか。

でも、それはマインドの勘違いなんです。
何を勘違いしているのかというと、記憶を、現実だと勘違いしているんです。

その勘違いゆえに、記憶を元に作り出すイメージも、現実だと認識します。
例えば、地球の裏側とか、宇宙とか。

でも、実際のところは、地球の裏側というイメージや、宇宙というイメージは、この、今、認識している意識の中に現れるものです。
それは、意識に気がつかれる存在であり、一時的なものです。

それでも、YSさんは、「そういったイメージは、単なるイメージなんかじゃなくて、実際に、この意識の外側に実在するはず」という認識を、感じるかもしれません。
実は、そういった認識が、無知と言われるものの根源なんです。

サット(存在)を理解するということは、この意識の外側に、存在なんていうものはなくて、すべての存在は、この意識の中にしかないということを理解することなんです。

そして、自覚できないチット(意識)なんていうものはありません。
今、自覚できている意識の外側に、意識は存在しません。

宇宙をイメージして、その宇宙を内包する超越的な意識をイメージすることもできますが、そのイメージは、今、自覚できている、この意識の中でのみ、存在することができます。

言ってみれば、今、自覚できている、この意識が存在する全てであり、この意識の中に、あらゆる一時的な存在があります。
そして、その中心に、アートマンたるハート、アーナンダ、至福があります。
そして、それはブラフマンでもあります。

実のところ、この意識も、一時的な存在であり、ブラフマンのみが、唯一の実在です。

これが、世界を超えた、存在という現象の全容です。

世界は実在しているという認識が強い場合、こういった概念の方が、幻想的に感じるかもしれません。
僕も、世界の実在性を疑ってみた時、自分が、とんだ幻想を抱いているように感じました。

でも、そういった錯覚は、すべて、記憶を現実だと思いこんでいる認識から生まれます。
なので、疑ってみてください。

とはいっても、特別に、何かをする必要はないですけどね。
瞑想的な日常生活を送るだけで、次第に、記憶を現実だと思いこんでいる認識は、解体されていきます。

思考やイメージが発生する瞬間を目撃することが多くなっていくからです。
無自覚に、世界というイメージを参照して、それを現実だと思いこむことと、世界というイメージは、記憶から作り出されているということを自覚していることには、大きな違いがあります。

その自覚を保ち続けるなら、世界が実在しているという認識は、やがて、崩壊していきます。
それが起こったなら、ある時にハッと気がつくはずです。

他人の承認なんて必要ないですし、悟りという現象が起こったことは、ハッキリと自覚できると思います。

こんな感じでしょうか。
またなにかあればご連絡ください。