不思議なもので、人は、人と一緒にいるときでさえ孤独感を感じることがあります。
世間一般的には、孤独とは、身体的に1人でいることと定義されるんじゃないかと思います。
でも、実際のところは、身体的に複数人でいるときでさえも、孤独感が感じられたりします。
場合によっては、人と一緒にいる時の方が、孤独感を強く感じることもあるんじゃないかと思います。
人は、孤独でいたくないがゆえに人と一緒に居たがりますが、人と一緒にいる時の方が孤独感を感じるのであれば、本末転倒です。
でも、多くの人は、それ以外に孤独感を癒やす方法を知りません。
実のところ、孤独感と1人でいることは関係がありません。
孤独とは自分の内側の問題だからです。
孤独とは満たされていないこと
孤独とは満たされていないことです。
身体的に1人とか複数人とかは実のところは関係がないんです。
もし、人と一緒にいても、自分が満たされていないと感じるのならば、孤独感を感じるんじゃないかと思います。
人は、生まれた時には自力で生きていくことができません。
生まれてすぐに立ち上がる野生動物のようにはいきませんよね。
赤ちゃんは、親に面倒を見てもらわなければ生きていけません。
親に見放されたなら、赤ちゃんは死んでしまいます。
なので、赤ちゃんが親を求めるという行為には、生存本能的な何かがあります。
それは、子供や大人になってもある程度は続くかもしれません。
身の危険を避けるために、人と一緒にいたがるという側面は、子供や大人になってからもあると思います。
でも、それは孤独感とはちょっと違いますよね。
身体的には満たされていたとしても、身の安全が保証されていたとしても、人は孤独を感じるようになります。
満たされていないってどういうことか?
満たされていないって一体どういうことなんでしょうか?
このことを、明確に理解できる人はとても少ないのではないかと思います。
もし理解しているなら、1人でいたとしても孤独感に苛まれることはないと思います。
先ほど、赤ちゃんの例を挙げましたが、今度は逆説的な質問をしてみたいと思います。
赤ちゃんは、孤独感を感じているんでしょうか?
おそらく、孤独感は感じていないはずです。
もちろん、生存本能は働いているはずです。
でも、そこには、子供や大人が感じるような孤独感は無いと思います。
赤ちゃんの頃には無かった孤独感が、子供や大人になると現れるんです。
これは、一体どういうことなんでしょうか?
人に愛されるのなら満たされるのか?
実のところ、孤独感を感じているのは自我です。
自我というのは、「私はこの体であり、1人の個人である」と思っている存在です。
(関連記事:そもそも、自我ってどういうものなのか?【エゴとは?自我とは?】)
赤ちゃんの時には、自我はありません。
なので、孤独を感じるということがありません。
でも、子供や大人になると、この自我が孤独を感じるようになります。
自分自身を個人だと認識しているので、孤独を感じるのは当然とも言えます。
世界から分離しているように感じているんです。
なので、人は孤独を感じると、なるべく世界と繋がろうとします。
必ずしも、他人を求めるというだけでなくて、本を読んだり、映画を見たりして、世界観を広げることによって孤独を紛らわせようとする人もいるかもしれません。
ともあれ、自分はこの世界と繋がっている、世界を知っていると思いたいんです。
でも、実のところ、自我というのは個人であるどころか、実体がありません。
自我というのは、記憶を元に作り出されている仮想人格みたいなものです。
自我が孤独を感じるもう1つの理由は、実のところは、退屈を恐れているからです。
自我は、退屈の中では存在することができません。
自我は、世界との関係性の中でしか存在することができないんです。
それゆえに、自我は世界と繋がろうとします。
できれば、多くの人に愛されたいと思うでしょう。
有名になりたいと思う人が多いのは、有名になることで自分は存在しているという確信を強く感じることができると思うからです。
あなた自身は、自分自身を愛しているか?
人は、他人に愛してもらいたいと思っています。
そうすることで、孤独感が癒やされると思うからです。
なので、この世の中では、他人に愛してもらうための方法が色々と教えられていたりします。
他人とのコミュニケーション技術が教えられることもあると思います。
もちろん、そういったことに興味を持つことが出来る人であれば、そういった技術を学んでみるのも良いと思います。
ただ、人によっては、そういったことに興味を持てない人もいると思います。
「私は別に、多くの人に愛してもらいたいと思っているわけではない」という人もいると思います。
「基本的には1人でいるのが好きなんだけど、孤独感を感じるのは嫌だ」という人は、コミュニケーション技術を学ぶことに無意味さを感じるかもしれません。
実のところ、孤独感を癒やすために他人に愛してもらおうとすることは、根本的な解決方法ではなくて、一時的な対処療法に近いものがあります。
孤独感の根本的な原因は、自我そのものにあります。
自我が存在している限り、孤独感は消えないんです。
せめて、それを紛らわせることができるだけです。
他人に愛されるために多大な努力をすることが出来る人というのは、逆説的に言えば、孤独感がとても強い人ということもできるんです。
孤独感が原動力です。
でも、そもそも、自我というのは実体があるわけではなく、記憶を元に作り出された仮想人格みたいなものです。
世界との関係性の中でしか存在することができません。
であるなら、世界との関係性が無くなれば、自我は存在できなくなり、孤独感も消えるんじゃないでしょうか?
「理屈としてはそうかもしれないけど、自我としては存在していたいんですけど!」という声が聞こえてきそうです。
でも、そもそも、自我は実在はしていないんです。
多くの人は、「私は存在している」と感じているはずです。
でも、その存在感と、自我という存在は別物です。
自我が消えたって、「私は存在している」という存在感は残ります。
(関連記事:真我と自我はどう違うのか?)
自我が存在している限り、人は、世界に対して意識を向け続けることになります。
そして、孤独感を感じることになります。
もしくは、孤独感を紛らわせるために奮闘します。
多くの人は、他人に愛してもらいたいと考えますが、あなた自身は、自分という存在感を愛してはいるでしょうか?
その存在感は、世界の中にあるんでしょうか?
それとも、あなたの内側にあるんでしょうか?
もし、あなたが自分自身を愛することがなければ、孤独感は存在し続けるんじゃないかと思います。
(関連記事:「愛」の反対は「無関心」か?)