ラマナ・マハルシは、ハートとは何か分からない人に対して、「沈黙にとどまりなさい」と言ったりします。なので、沈黙にとどまることが、ハートにとどまることに繋がっていくんだと思う人も少なくないと思います。ただ、「沈黙」という言 […]
カテゴリー: 覚者・聖者
今回は、アートマンとブラフマンを巡る4つの思想パターンについて考察したいと思います。feat.ブッダです。真理の探求において、アートマンとブラフマンの関係性というのは、切っても切り離せないというか、2500年以上前のヴェ […]
今回は、ラマナ・マハルシのこの言葉について解説しようかと思います。 サットヴァな心は真我と同じなのです。 うろ覚えです。前後の文章も正確に引用したいのですが、どこに書かれているのか忘れてしまいました。すみません……。僕は […]
ラマナ・マハルシと言えば、「私は誰か?」という言葉が有名です。でも、ラマナ・マハルシは、探求者によって使う言葉を変えていました。ラマナ・マハルシは、パラマハンサ・ヨガナンダとの対話の中でこう言っています。 ヨガナンダ:ど […]
ラマナ・マハルシの本を読んでいると、〝サハジャ〟という言葉が良く出てきたりします。ラマナ・マハルシの本に限らず、インドの覚者・聖者に関する本にはよく登場するかもしれません。サハジャとは〝自然な〟という意味なのですが、大抵 […]
今回は、独断と偏見で、ニサルガダッタ・マハラジの名言をピックアップしてみたいと思います。 私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。それ以外はすべて推測だ。 『I AM THAT 私は在る』(ナチュラルスピリット刊) […]
ブッダは〝目覚めた人〟と呼ばれています。ブッダというのは、必ずしも、ゴータマ・シッダールタという個人を指すわけじゃありません。〝目覚めた人〟全員がブッダです。でも、なぜ〝悟った人〟ではなく〝目覚めた人〟というんでしょうか […]
近年で、悟った人と言えば、インドのラマナ・マハルシが有名です。なので、仏教徒の中には、「仏教の悟りと、ラマナ・マハルシの悟りは同じなのだろうか?」と気になる人もいるかもしれません。僕も、気になっていた時期がありました。 […]
今回は、ラマナ・マハルシの言葉を、独断と偏見でピックアップしてみたいと思います。 「瞑想は自我を保たなければできません」という言葉です。 どちらかといえば地味な言葉だと思います。 ラマナ・マハルシと言えば、「私は誰か?」 […]
今回は、バーチャルリアリティの世界を舞台に、ちょっとした思考実験をしてみたいと思います。 「レディ・プレイヤー1」という映画があります。 スティーブン・スピルバーグ監督の作品で、荒廃した近未来(2045年)を舞台にしてい […]