カテゴリー
探求が終わる前に書かれた記事

八正道と六波羅蜜って一体どんな違いがあるんでしょうか?

仏教には、
「八正道(はっしょうどう)」と
「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という
2つの言葉があります。

どちらも、
仏教徒のための、
実践すべきことのガイドラインみたいなものなのですが、
一体どう違うんでしょうか?

ブッダが直接伝えたのが八正道?

八正道と六波羅蜜、
どちらも仏教に属するのですが、
ブッダが直接伝えたのは八正道の方のようです。

ブッダは悟った後、
それまで一緒に修行をしてきた5人の仲間に、
まずは、自分が悟った内容を語りました。

そのことを初転法輪とも言います。

そのときに、
八正道も語られました。

つまりは、
ブッダの教えとは、
八正道のことだとも言えるんですね。

八正道というのは、
その名の通り、
8つの要素で成りたっています。

「正見(しょうけん)」
「正思(しょうし)」
「正語(しょうご)」
「正業(しょうぎょう)」
「正命(しょうみょう)」
「正精進(しょうしょうじん)」
「正念(しょうねん)」
「正定(しょうじょう)」

の8つです。

ひとつひとつ解説しても、
全体像がみえにくいと思うので、
ストーリーにしてお話します。

まずはともあれ、
瞑想です。(正定)

慣れてくると、
瞑想しながら生活できるようになってきます。(正念)

でも、そうなるには努力が必要です。(正精進)

そして、煩悩の種を増やさないようにするには、

きれいな言葉を使うこと(正語)、
罪をおかさないこと(正業)、
倫理的な生活を送ること(正命)、

が有効です。

そうすると、
何も考えないでいられる時間が増えます。(正思)

そうすると、無我を知る瞬間が訪れます。(正見)
そして、悟りに至ります。

これが、八正道のザックリとした教えです。

八正道には宗教的な要素があまりない?

八正道には宗教的な要素が、
ほとんどといってもいいほどないんです。

というのも、ブッダ自身が、
最初のうちは仏教という宗教を作ろうとは思っていなかったからですね。

ブッダは、
ただひとりでひたすらに悟る修行を行っていました。

そして、菩提樹の下で、
ある日、悟りに至ったわけなんですね。

八正道というのは、
そこに至るまでの道です。

宗教としての教えというよりも、
むしろ、個人のための修行の道を示しているんですね。

ブッダの有名な言葉のひとつに、
「犀の角のように、ただひとり歩め」
というものがあります。

この言葉が、
なによりも八正道とはなにかを、
物語っているのではないかと思います。

大乗仏教のためのガイドラインが六波羅蜜?

ブッダの死後、
仏教はいろんな宗派に分かれていきました。

もっとも大きく変わったのは、
大乗仏教の成立じゃないでしょうか。

ブッダがいた頃の初期仏教は、
宗教というよりも、
修行者集団という側面が、
ものすごく強かったのではないかと思います。

その傾向は、
もちろん、ブッダの死後も続きます。

原始仏教とか上座部仏教、部派仏教と呼ばれるのは、
初期仏教をそのまま受け継いだ仏教のことです。

ブッダの教えを忠実に守ろうとする仏教ということですね。

でも、そんな姿勢に、
疑問を持つ人達があらわれはじめたんですね。

「ただ、自分のための修行に明け暮れるんじゃなくて、
民衆のためになることもしようよ」と。

そうして、大乗仏教が成立しました。

そんな大乗仏教には、
修行的側面が強い八正道はあまり適さなかったのかもしれません。

そこで、考えられたのが六波羅蜜です。
波羅蜜というのは「徳」という意味でもあります。

大きな違いは「利他」の精神にあり。

六波羅蜜は、
その名の通り、
6つの要素で成りたっています。

「布施(ふせ)」
「持戒(じかい)」
「忍辱(にんにく)」
「精進(しょうじん)」
「禅定(ぜんじょう)」
「智慧(ちえ)」

の6つです。

八正道と通じている部分も多いです。

持戒や忍辱は、
八正道の正語、正業、正命にも通じますし、

精進は、
正精進と同じようなものです。

禅定は、
正定、正念に通じます。

智慧は、
正見、正思に通じていきます。

そう考えると、
八正道と六波羅蜜のもっとも大きな違いは、
「布施」にあります。

八正道は、
基本的にはただひとり、
悟るための修行の道を示したものです。

他人に対して積極的になにかをするということは、
言われていません。

でも、六波羅蜜の布施は、
積極的に他人に対しておこなうものです。

言ってみれば、
「利他の精神を持ちましょう」というのが、
六波羅蜜の大きな特徴なのではないかなと思います。

お布施によって徳を積んで、来世で悟る?

なぜ、
六波羅蜜の1番目に
「布施」がきているのかというと、
理由があります。

それは、ブッダの前世に関係しています。

ブッダの前世は、
尸毘王(しびおう)という王様で、
布施をしたことの徳によって、
ブッダとして生まれ変わることができたというんですね。

仏教では、
前世の物語のことをジャータカと呼ぶそうですが、
尸毘王は、常識的な布施では満足できずに、
自分自身の両眼すらも、
布施をおこなったということが書かれているそうです。

「ブッダですらも、
前世で布施をして徳を積んでいったのだから、
私達も、今生で徳を積んで、
来世でブッダになりましょう」

というのが、
大乗仏教の基本にあるようです。

八正道をおこなうのは来世で、
その前の準備として、
今生で六波羅蜜によって徳を積んでいきましょうという考えなんですね。

まとめ

というわけで、
八正道と六波羅蜜の違いについてお話しました。

八正道というのは、
ブッダが直接説いた教えです。

悟りを求める修行者に対して、
悟るための道を説いたものです。

そこには、
宗教的な要素がほとんどといってもいいほどありません。

犀の角のように、
ただひとり、
八正道を歩むことを、
ブッダは推奨したのではないかなと思います。

それに対して、
六波羅蜜は、
他人に対して徳を積むことを重要視します。

八正道を実践することは、
社会生活を送っている人には、
難しいものがあるのかもしれません。

「出家しないと悟れないのか?」
という声もあったのではないかと思います。

そういった人々のための教えが六波羅蜜です。

八正道を実践できなくても、
日々の生活の中で、
布施によって徳を積むことはできるという教えですね。

そして、徳を積めば、
来世でブッダになれるという考え方なんですね。

ちなみに、
もし、ブッダが今生きていたのなら、
六波羅蜜に対してどんなことを思うんでしょうか?

気になるところです。

関連記事

八正道の実践が、なぜ、悟りや涅槃につながっていくのか?
非二元論と大乗仏教の「空」の思想は似ている?
死の恐怖は、どこからやってくるのか?