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探求が終わる前に書かれた記事

禅の臨済宗の「公案」って一体なんなんでしょうか?

禅の臨済宗の大きな特徴は
「公案(こうあん)」にあります。

公案というのは、
師が弟子に投げかける
「問い」のことです。

禅問答って言葉がありますよね。
あれです。

理解することがとても難しい、
難解な問いが投げかけられます。

なぜ、公案が必要なのか?

禅というと、
ひたすら坐禅をおこなうイメージを、
持っている人もいると思います。

実際のところ、
臨済宗と双璧をなす曹洞宗では、
ひたすら坐禅がおこなわれます。

なにも考えずにひたすら坐禅です。
そのことを「只管打坐(しかんたざ)」と呼びます。

でも、臨済宗では、
ひたすら坐禅をおこなうよりも、
禅問答が重要視されます。

師が弟子に問いを投げかけるんですね。

「おまえはこの問いの意味がわかるか?」
という感じでしょうか。

悟った境地から発せられる問いです。
まず、理解できないでしょう。

もし、理解できるのであれば、
その弟子はもうすでに悟っているでしょう。

でも、なぜ、理解できないことがわかっているのに、
公案がだされるんでしょうか?

公案とは、標識みたいなもの?

公案というのは、
標識みたいなものだと思うんです。

例えば、自動車でどこかに向かうとき、
僕たちは交通標識をみて、
目的地に向かいますよね。

最近は、カーナビも発達しているので、
目的地までカーナビの案内に従っていくという人もいると思います。

そういった意味では、
カーナビも標識みたいなものだと思います。

では、悟りの境地にまで行くには、
どうすればいいでしょうか?

目的地にまで行くには、
地図が必要になってきます。

その地図を持っているのが、
師なんですね。

師には、
弟子がどっちの方角に向かえばいいのかが、
分かっています。

その方向を指し示す方法として、
公案が使われるのだと思います。

いってみれば、公案というのは、
悟りへの標識みたいなものなのではないかなと思います。

片手で拍手をすると、どんな音がする?

有名な公案の一例として
「隻手の声(せきしゅのこえ)」というものがあります。

「両手を打ち合わせると音がする。
では、片手ではどんな音がするか?
それを報告しなさい」

という公案です。

この問いの意味、
わかりますか?

なかなか、その本当の意味までは、
わからないのではないかなと思います。

普通に考えれば、
片手だと打ち合わせるもう一方の手がないので、
音はしないと思います。

無音です。
沈黙です。

「だからなに?」
と思う人も多いと思います。

まさしく禅問答です。

坐禅を続けていると、
何も考えていない無心の状態、
沈黙そのものになることも多くなってくると思います。

でも、それが答えなんでしょうか?

実のところ、
無心を保とうとする「自分」が、
そこにはいるんじゃないでしょうか?

もしくは、
沈黙を感じている「自分」が、
そこにいるんじゃないでしょうか?

この公案に対する、
僕なりの答えとしては、

「その手は誰のものか?」

というものです。

坐禅中にしばらくは沈黙を保てても、
いずれは沈黙が破られることになりますよね。

「あの公案の答えはなんだろう?」とか。

両手が打ち合わされた瞬間です。
沈黙が破られます。

まとめ

というわけで、
臨済宗の公案についてお話しました。

禅問答、公案禅、看話禅(かんなぜん)とも呼ばれるようです。

禅というのは、
ひたすら坐禅を続けることが重要なのですが、

悟りに至るまでの道筋は、
自力で見つけるのは大変な苦労が必要になると思います。

そこで、最短ルートを指し示すために、
公案が使われるのではないかなと思います。

すでに悟っている師には、
全体マップが見えています。

適切なタイミングで、
悟りに至るまでの標識を提示することができるということですね。

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