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仏教(ゴータマ・ブッダ)

禅の「不立文字」という言葉の本質とは?

禅には
「不立文字(ふりゅうもんじ)」
という言葉があるそうです。

経典などの文字で書かれたものは、
真実ではありえないという意味のようですが、

僕は、不立文字というのは、
坐禅中に在るべき状態をあらわしているんじゃないかなとも思うんです。

経典などの文字は真実ではあり得ない?

経典などの、
文字で書かれた書物が、
真実ではあり得ないというのは、
そうだと思います。

だって、人によって解釈が違いますもんね。

同じ経典を読んだ人でも、
人によって解釈はそれぞれ違います。

そして、経典の多くは、
悟った視点から文字が書かれていると思います。

でなければ、経典とは言えないと思います。

なので、悟っていない視点からすると、
その文字はとても難解なわけです。

禅問答という言葉もありますもんね。

(関連記事:禅の臨済宗の「公案」って一体なんなんでしょうか?

なので、経典に書かれていることを、
勘違いする可能性があるんですね。

「悟りとはこういうものかな?」という感じで。

そういった意味で、
不立文字というのは、
経典などの文字で書かれたものは、
真実ではあり得ないという意味だというのは、
本当にそうだと思います。

坐禅そのものも真実ではあり得ない。

じゃあ、真実はどこにあるんでしょうか?

禅の基本は坐禅です。
ひたすら坐禅を続けます。

そうすることによって、
悟りを目指していきます。

ということは、坐禅の中に真実があるんでしょうか?
坐禅を続けた先に、真実があるんでしょうか?

(関連記事:禅の十牛図をわかりやすく解説【見性・大悟】

僕は、坐禅というのも、
文字と同じなのではないかなと思います。

坐禅そのものが真実ではありえないし、
坐禅を続けると、真実に気づけるのかというと、
そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるのではないかなと思います。

だって、坐禅を続けている人のすべてが悟るわけではないし、
坐禅をしていなくても悟る人はいるからです。

不立文字そのものを理解する。

僕が思うに、不立文字という言葉には、
もうひとつの意味があるんだと思います。

不立文字というのは、
経典などの文字で書かれた書物には、
真実はないという意味でもあると思うのですが、

坐禅中に在るべき状態、
そのものを意味するんじゃないかなとも思います。

坐禅中ってどういう状態になっているでしょうか?

熟達していれば、
頭の中の考えはなくなっていると思います。

静寂の中にいると思います。

でも、その静寂を感じている人は誰なんでしょうか?
静寂を破ることになる人は誰なんでしょうか?

静寂が破られる時、そこには言葉(文字)があると思います。
その言葉を発する人は誰なんでしょうか?

もし、真実を知っていれば、
そこに言葉は立ち現れないと思います。

つまりは、不立文字です。

それは、
坐禅していようが、
坐禅していまいが同じです。

文字や言葉は、真実を指し示す「指」にはなれる?

たしかに、文字や言葉は、
真実そのものではありえないと思います。

だって、解釈する人によって色々と変化してしまいますもんね。

でも、真実を指し示す「指」にはなると思います。
方向だけは伝えられるというか。

まあ、人によっては方向すら勘違いする可能性もあるとは思いますが。

でも、知識による理解を求めている人に対しては、
文字や言葉で伝えるしかないのではないでしょうか。

例えそれが、誤解を生む可能性があったとしてもです。

まとめ

というわけで、
禅の「不立文字」という言葉についてお話しました。

不立文字という言葉は、
一般的には、経典などの文字で書かれた書物は、
真実ではあり得ないという意味で解釈されています。

たしかにそうだと思います。

でも、僕はもうひとつの意味もあると思っています。

それは、坐禅中の在るべき状態です。

真実を知っていれば、
そこに言葉(文字)は立ち現れないからです。

つまりは、不立文字です。

なぜ、言葉(文字)が立ち現れるのか?
それは、誰から立ち現れるのか?

それを知ることが、
真実を知ることにつながるんじゃないかなと思います。

そして、このお話自体も、
真実ではありえないということですね。

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作成者: 山家直生

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