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探求が終わる前に書かれた記事

退屈を楽しみたくても、体が痛かったらどうするの?

昨日、うちの妻に質問されました。

「退屈を楽しめるようになるのはいいんだけどさ〜、
ケガとか病気で体が痛かったら楽しめなくない?
どうするの〜?」

っていう質問です。

お話します。

退屈を楽しめるようになったほうがいい理由。

以前、「退屈を楽しめるようになったほうがいい理由。」
という記事を書きました。

僕たちは、退屈をとてもイヤがります。

退屈を避けようとする感情が、
行動することの原動力になることが多いんです。

行動することによって、
楽しさを感じることもあると思います。

でも、苦しみを感じることもあります。

楽しさのほうが勝っているうちはいいのですが、
そのうち、いろんなことに飽きてきます。

そうすると、苦しさが目立ってきます。

でも、退屈するよりは、苦しんでいたほうがいいんですね。
人間って不思議です。

なので、苦しみから抜け出すためには、
退屈を楽しめるようにならないといけないんです。

そういった内容の記事を書きました。

それを読んで、
うちの妻が質問してきたんですね。

「退屈を楽しめるようになるのはいいんだけどさ〜、
ケガとか病気で体が痛かったら楽しめなくない?
どうするの〜?」

って。

関連記事:退屈を楽しめるようになったほうがいい理由。

ケガとか病気をしない人はいるのか?

実は、うちの妻。

つい先日、インフルエンザにかかりました。
38度以上の熱がでて、病院に行ったらインフルエンザと診断されたようです。

で、家で安静にしているんですが、
暇なんだと思います。

僕が書いた
「退屈を楽しめるようになったほうがいい理由。」
を思い出したんでしょう。

退屈を楽しんでみようと思ったんだと思います。

でも、インフルエンザで体の節々が痛いらしいのです。
熱もあるし、鼻水もでてきます。
退屈を楽しもうとしても、体が痛くて楽しめないわけなんですね。

そして、例の質問がでてきたんですね。

まあ、たしかにごもっともだと思います。

でも、ケガとか病気をしない人ってこの世にいるんでしょうか?

事実、うちの妻はインフルエンザにかかりました。
僕はインフルエンザにはかかったことはないのですが、
ケガや病気はしています。

退屈を楽しめるということは、痛みを避けられるということじゃない。

実は、退屈を楽しめるようになるということは、
痛みを避けられるということではないんです。

痛みを感じることは生きているかぎり避けられないと思います。

だって、僕たちには痛覚がありますからね。
そこに痛みがあれば、痛いと感じます。

退屈を楽しめるようになるということは、

例えるならば、帰る「家」があるような感じなんです。

家の外にでれば、楽しいことも、苦しいこともあります。
インフルエンザにだってかかります。
そして、痛みを感じます。

でも、家に帰ることができます。

そこでじっくりと療養すればいいんです。
だんだん、痛みだって収まってきます。
インフルエンザも治ります。

そうなってから、まだ、退屈を楽しみたいと思うのなら、
思う存分、退屈を楽しんでみればいいんです。

まあ、うちの妻は、インフルエンザが治ったら、
退屈ではいられないとは思いますが。。

でも、退屈を楽しめない場合は、
体も痛い上に、退屈という苦しみも味わいます。
二重苦ですね。

自然の摂理に逆らおうとすると、さらに痛みをともなう?

ちなみに、うちの妻。
人の苦しみや痛みを取り除いてあげようとする傾向があります。
それはとても素晴らしいことです。
さすが、うちの妻!

でも、時に、自然の摂理に逆らおうとする傾向もあります。
例えば、死です。
特に身の回りの人の死ですね。

死を避けることができる、
なにか奇跡的ななにかがあるんじゃないかと思っている傾向があります。
「そんなことないよ〜」って言われるかもしれませんが。。

死を遅らせることはできるかもしれませんが、
死を避けることはちょっと難しいですよね。

僕たち人間の致死率は100%です。
生まれながらに宣告されているようなものです。

人の死に直面したとき、心は大きな苦しみに襲われるんじゃないかと思います。

僕だって、きっと、うちの妻より先に死にます。
たぶん、大いに悲しんでくれちゃいそうな気がしてなりません。

体がなくなれば、思う存分、退屈を楽しめる。

退屈を楽しめるようになったほうがいい理由。

その究極的な目的は、
死の克服にあります。

僕は、死とは究極の退屈だとよく言っています。

体という遊び道具がなくなってしまうからです。
僕たちは、体があるからこそ、
物理的な行動ができるし、思考することもできます。

でも、体がなくなってしまったら、
行動することも思考することもできなくなってしまいます。

究極の退屈です。

でも、退屈を楽しめる状態になっていたらどうでしょうか?

究極の退屈が、
究極の楽しみになるかもしれません。

死をあまり恐れなくなるかもしれません。

うちの妻が、人の死を恐れるのは、
自分自身が、死を恐れているからなんじゃないかなと思います。

死を究極の退屈=苦しみだと思っているんだと思います。
死を究極の退屈=楽しみだと思うようになれば、
人生もっと楽になるのではないかなと思います。

まとめ

というわけで、うちの妻の質問にお答えしました。

「退屈を楽しめるようになるのはいいんだけどさ〜
、ケガとか病気で体が痛かったら楽しめなくない?
どうするの〜?」という質問ですね。

最後のほうは結構ディープになってしまいました。
でも、本当にそう思います。

退屈ってこの世の最大の秘密なのではないかなとも思います。

関連記事:僕たちが生まれてきた理由は、死を恐れているから。