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探求が終わる前に書かれた記事

至福・アーナンダとは一体なんなんでしょうか?

アーナンダ(至福)という言葉があります。

言葉として聞くことは多いけれども、
とても抽象的で、なかなか実感することが難しい言葉でもあります。

その本質について、すこしお話します。

アーナンダは消去法でみつける?

アーナンダというと、
どんなイメージを思い浮かべますか?

至福というぐらいですから、
得も言えぬ究極の幸福感をイメージする人もいるかもしれません。

すべてとの一体感をともなう、
恍惚状態をイメージする人もいるかもしれません。

もし、そいういうイメージをもっているなら、
アーナンダを見つけることはできないと思います。

もしくは、アーナンダを勘違いすると思います。

アーナンダというのは、
たまに得られるような異常な状態ではありません。

常にそこに有るものです。

今、ここに無いのだとすれば、
それはアーナンダではないんじゃないでしょうか。

僕が思うに、
アーナンダというのは消去法でしか、
特定できないものなんじゃないかなと思うんです。

というのも、アーナンダは常にここにあります。

つまりは、僕たちはアーナンダを知っているんです。

でも、体の感覚や、思考にまぎれてしまうので、
なかなか特定できないんです。

身近すぎて、見落としてしまう。

アーナンダはものすごく身近なものです。
空気よりも身近なものと表現されることもあります。
たしかにその通りだと思います。

そして、意識的には気づいてなくても、
僕たちはアーナンダを知っています。

なので、見落としてしまうんです。
目の前にアーナンダがあったとしても、
そこらへんに落ちている石ころみたいな感じで、
見落としてしまうんですね。

「私が探しているのはこんなものじゃない」って。

特に、アーナンダに対して、
過大なイメージを持っている場合、
そうなってしまうと思います。

例えば、「美味しい飲みものを飲ませてあげるよ」ってだれかに言われたとします。
「美味しい飲みのも?なんだろう?ドキドキ」って思ったとします。

そこで、1杯のお水が差しだされたとしたらどう思いますか?

「水かよ!」って思うかもしれません。

水だって美味しいですよね?
少なくとも、不快には感じません。
心地よさを感じますよね。

それと同じことが、アーナンダにも言えると思います。

感情を感じる場所にあるけれども、感情じゃない。

アーナンダは、感情を感じる場所にあります。

「それだったら感情なんじゃないの?」
って思うかもしれませんが、感情ではないんです。

感情がないときに感じられるものがアーナンダなんですね。

アーナンダをなかなか見つけられない、
そして、特定できない理由はここにあります。

感情というのは心とも結びついています。

つまりは、感情がない状態になるためには、
心も消えなければいけません。
無心になるってことですね。

でも、なにも考えずにいるというのは結構難しいです。

なにも考えないように思っても、
勝手に頭の中に思考がでてきてしまいます。

例えるならば、解放感に近い?

無心になるための方法として、瞑想があります。

瞑想を続けることで、
だんだんと、無心でいられる時間は長くなっていきます。

そうすると、そこにアーナンダがあります。

でも、それがアーナンダだとは気づけないことが多いと思います。
僕も、それがアーナンダだということに気づくまでに時間がかかりました。
僕の場合、それは感情のひとつだと思っていました。

まあ、アーナンダに対しての間違ったイメージを持っていたことも原因のひとつですけどね。

アーナンダというのは、
未だ体験したことのない、素晴らしい何かだとイメージしていたんです。

ちなみに、アーナンダは至福と呼ばれていますが、
他の言葉を使うならば、
僕は、解放感に近いんじゃないかなと思います。

なににも縛られていない状態。
解放感です。

たしかに、思考や感情にしばられていない状態です。
そして、それはずっとそこに有ったものです。

アーナンダを知れば、すべてが解決されるのか?

アーナンダに対してもうひとつ言っておきたいこと。

それは、アーナンダを知れば、
すべてが解決されるのではないかという勘違いです。

アーナンダというのは、
サット・チット・アーナンダのアーナンダです。

サットというのは「存在」、
チットは「意識」、
アーナンダは「至福」ですね。

この3つは同じ存在だということですね。

つまりは、アーナンダを知るということは、
意識を知ることであり、存在を知ることです。

たしかにそうなのですが、
それですべてが解決されることはないと思います。

たしかに、アーナンダを知ると、心はものすごく楽になります。
でも、大事なのは、そこからだと思います。

残りの人生をかけて、余計なものを捨てていくという作業が待っています。
いろんな感情、考え、欲望、心そのものとかですね。

そして、
もうこれ以上捨てられないというときに、
人は悟るのだと思います。

まとめ

というわけで、アーナンダ(至福)についてお話しました。

アーナンダについて、
誤解していたという人も少なくないんじゃないでしょうか。

アーナンダというのは、未だ経験したことのない、
素晴らしい何かなのではないかと思っている人は結構多いと思います。

だからこそ、瞑想中にたまに味わうような恍惚感に惹かれてしまう人も多いのではないかと思います。

でも、そういった状態は、再現することが難しいと思います。
ということは、それはアーナンダではないんです。

アーナンダというのは、
もっと身近で、今ここにあって、馴染みのある感覚だと思います。

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