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真我探求

波動を感じるってどういうことなのか?

僕はこのブログの中で、波動という言葉を使うことはあまりありません。

でも、ヴィパッサナー瞑想を実践していたこともあるせいか、体の中の気のようなものは感じることができます。

そういったものも、広義の波動なのではないかと思います。

でも、スピリチュアルの中で語られる波動というのは、そういったものとは違うもののように感じられます。

そんなこともあり、僕は波動のことはあまり良く分からないと言います。

とはいえ、波動という概念が気になっている探求者も少なくないかもしれせん。

そこで今回は、ペニー・ピアース著「人生を変える波動の法則」という本を参考に、体で感じる波動と、スピリチュアルの中で語られる波動の感じ方には、どんな違いがあるのかということを考察してみたいと思います。

※今回は6500文字ほどの長文です。

あらゆるものが波動?

波動という言葉は大抵の場合には、量子力学という言葉とセットになっているんじゃないかと思います。

科学者たちが波動の存在を証明しているという裏付けとして使われることが多いと思います。

でも、実際のところ、量子力学を本当に理解している人はほとんどいないでしょう。

もちろん、僕も表面的なことしか知りません。

ノーベル物理学賞を受賞した物理学者のポール・ディラックは、量子力学について教えてくれと言う人達にこんなことを言っていたそうです。

「それは目隠しした人に触覚だけで雪の結晶がなにかを教えるようなもので、触ったとたん溶けてしまうのだ」

また、コンピュータ科学者のトルケル・フランセーンは、量子力学を引用しようとする哲学者たちに対して、「ひどい誤解や自由連想に基づいている」と批判していたようです。

僕が量子力学について知っていることは、量子は粒子だったり波動だったりするということだけです。

なぜそうなのかは知りません。

僕みたいな認識の人も少なくないと思います。

でも、宇宙のすべては波動で成り立っていると主張するにはそれだけの理解でも十分かもしれません。

むしろ、下手に量子力学について詳しくない方が、素直にそのことを信じられるのかもしれません。

でも、こういったことはあくまでも頭の中での理解です。

このことと、スピリチュアルで語られる波動というのは、僕は関連性は無いと思っています。

「人生を変える波動の法則」の中でも量子力学による波動の説明が書かれているのですが、そのことと、筆者であるペニー・ピアースが語る波動には関連性は無いように思います。

ただ、「あらゆるものは波動なんだ」という権威づけとして量子力学が語られているように感じられます。

体で感じられる波動

量子力学でいう波動というものは概念的なものです。

物理学者でもない一般人が、その真偽を確認することはできないでしょう。

でも、体で感じられる波動であれば、一般人でも確認することができます。

「いやいや、それもすべての人が確認できるわけじゃないでしょ?」って思うかもしれません。

確かに、体の気のようなものは、感じられる人と、感じられない人がいると思います。

でも、音については、多くの人が感じられるはずです。

でっかいスピーカーから放たれる音は、波動であるにも関わらず、物質的に感じられますよね。

花火の音とかもそうですね。

波動であるにも関わらず、物質的にも感じられます。

音というのは、存在そのものが波動なので、体感しやすいのではないかと思います。

音は、波動でもあれば、物質的でもあるんです。

波動を感じるとはどういうことなのかの一例として、音は理解しやすいと思います。

でも、もし、音の波動を感じるだけでは納得できないというのであれば、気功やヴィパッサナー瞑想などを試してみてもいいかもしれません。

僕は、ヴィパッサナー瞑想を実践したことで、体の中を流れる気のようなものを感じるようになりました(その必要はありませんが)。

例えば、僕の場合には、手のひらや唇からは、他の皮膚の表面よりも、より多くの気のようなものがでているように感じられます。

足の裏からも感じますが、手のひらからの方が多いように感じます。

理屈的に考えるならば、人の体は常に細胞の新陳代謝が行われているので、その動きが気のようなものとして感じられているのではないかと思います。

手のひらや唇は、新陳代謝が高いのだと思います。

また、足がしびれて触覚がマヒしていたとしても、皮膚の表面の気は感じられたりするので、気のようなものは触覚で感じられているわけでもないのかもしれません。

音の波動を感じるときには、聴覚と皮膚の触覚が使われるかもしれませんが、体の気というのは、5感覚ではなく、意識そのもので感じられているのかもしれません。

僕にとって、波動を感じるというのはこういうことです。

でも、スピリチュアルで言われる波動というのは、こういったことともまた違うように感じます。

他人の波動を感じる

スピリチュアルで言われる波動というのは、体の外側のものに対して言われることが多いような気がしています。

他人の体感覚を自分のこととして感じられる人もいますよね。

ペニー・ピアースもそういった能力の持ち主のようです。

その感覚について、ペニー・ピアースはこのように語っています。

二十代になって直感を使ったカウンセラーとして働き始めたときには、情報は主として、頭の中に浮かぶビジョンと声によって伝えられました。しばらくたつと、それは直接その人に触れているような感覚を中心としたものに変わりました。そして、相手のことを頭の中でなく、体全体で感じている自分に気づきました。しかも相手ともっと親しくつながって、相手と同じことを、自分も感じ始めたのです。相手の顔の片方が歪んでいると、私の顔の筋肉も同じようになるのを感じ、その人の苦い思いが一瞬の内にわかってしまいました。姿勢の悪い女性を前にすると、彼女の心の持ち方を自分の内で感じ、彼女がなぜ悲しみ、打ち負かされたように感じているかが理解できました。

こういった能力はテレパシー能力と呼ばれるかもしれません。

僕は、こういった能力を持つ人と何人か会ったことがあります。

その中の1人の女性の方は、なぜ、そういうことが分かるのかという質問に対して、「相手の情報が頭頂から入ってきて、体全体でなんとなく分かるようになる」と答えていたような気がします。

スピリチュアルで言われる波動というのは、こういったことを感じられるようになることを含んでいるように感じます。

僕には、こういったテレパシー能力はないので、「波動は分からない」と言います。

ただ、僕は理屈っぽい性格をしているので、テレパシー能力というのはどれくらいの精度なのかということを確認してみたことがあります。

僕はわりと健康体なのか、体の不調部分を指摘してくる人はいませんでした(もしくは、指摘されてもピンとこなかったのかもしれません)。

でも、僕が何を考えているのかを読み取ろうとしてくる人はいました。

なので、どの程度まで知ることができるのか、確認してみたんです。

僕の検証によると、その精度は、新聞の大見出しの単語を拾うことができるといった程度のものです(それでも驚くべきことですが)。

少なくとも、細かい文字までは読めていないようです。

そして、結局のところ、読み取った言葉を意味解釈するのは、その能力者自身なんです。

「あなたはこういったことを考えていて、こうするべきだ」と言われても、「それって、あなたの感想ですよね?」って思うことも少なくないんです。

そんなこともあって、僕はテレパシー能力を重要視はしていません。

覚者の多くはテレパシー能力を重要視しないんです。

(関連記事:真理を悟るには、霊性を高めなければならない?

なぜかといえば、自分自身をもっとも高い精度で知ることができるのは、結局のところ、自分自身だからです。

ある意味では、すべての人がテレパシー能力者です。

自分自身の5感覚、感情、思考、イメージ、場合によっては体の波動に気づくことができますよね。

それも、最高精度でです。

なので、わざわざ、他人に読み取ってもらう必要もないですし、ましてや、他人を読み取ろうとする必要もないんです。

モノの波動はどこで感じられるのか?

テレパシー能力者が、他人の波動を感じるということは、なんとなく理解することはできます。

同じ5感覚を持ったもの同士なので、どう感じるのかということのイメージはすることができます。

相手の腰が悪い場合、同じように腰が痛く感じるんだろうなとか。

でも、それがモノになると、「一体どうやってそれを感じているんだ?」という疑問が起こります。

例えば、僕は、目の前のiPhoneがどんな波動を放っているのかを感じることはできません。

触れると感触はありますが、それは波動とは違うように感じます。

科学的に考えると、iPhoneを構成している素材は今この瞬間も振動しているのでしょうが、それを知覚することはできません。

ただ、その印象を感じることはできます。

「なんかシュッとしていて、ツルッとしていて、クールな感じ」とか。

僕が思うに、スピリチュアルの中で語られる波動というのは、印象とか雰囲気のことなのではないかと思っています。

僕がビックリするのは、映画に対しても波動が高いとか低いとか言われることがあることです。

「それって、まさしく映画を観た印象でしかないのでは……」とか思ったりもします。

そんなわけで、波動が分かるという人は、おそらく、感情でそれを感じているのだろうと僕は思っているわけです。

波動研究家のうちの妻に「それって感情で感じてるの?」と聞くと、「うん…まあそうだね」と返ってくるのでそうなのでしょう。

ペニー・ピアースも、このように語っています。

感性とは、体や感情の感覚を認識する能力のことです。それが高まると、言葉によらない情報を五感や体の微細な動きなどによって受け取ることができます。これから探求する意識的な感性とは、体やその他の情報源から微妙な刺激や言葉によらない情報を受け取り、すぐにその意味を理解する能力です。波動から直接情報を得る力が増すにつれて、人生が向上し、思ってもみなかった分野でもこの力を使えることに気づくでしょう。

その一例として、このようなことも語っています。

例えば、感覚を広げ、ソファに気づいたとしましょう。それを深く感じます。それと一つになり、一瞬、ソファそのものになり、ソファ特有の意識を味わうことによって、ソファがクッションのラバーフォームを変えて欲しいと思っているのがわかります。次にもっと感覚を広げ、窓の外の木に気づきます。それを深く感じ、その木の生命を一瞬生きることによって、他の木がしげりすぎているので、光が足りないことがわかります。どんなものでもあなたがそれを深く感じ、それと一つになれば必ずその本質を見せてくれます。自分のまわりの世界を深く感じることによって、私たちはすべてとより深いつながりを感じるようになるのです。

こういった感覚は、誰しもが大なり小なり持っていると思いますが、それを波動として捉える人は少ないのではないかと思います。

多くの人は、こういった印象を、個人の意見として捉えるんじゃないかと思います。

あくまでも、「私はこう思うんだけど」ということですね。

でも、ペニー・ピアースは、実際にソファーや木がどう感じているのかを、一つになったかのように感じとっていると言います。

でも、どうやってそれを確認するんでしょうか?

相手が人であれば、言葉で確認することができますが、モノや植物が対象だとそうもいきません。

なので、多くの一般的な人は、「それって、あなたの印象なのではないか?」って感じるんじゃないかと思います。

量子力学の科学者だって、それを波動によるものだとは言わないでしょう。

確認しようがないからです。

確認することができるのは、ソファーや木の状態を観察して、ソファーや木がこう思っているということを、この私が認識したということだけなんです。

この私が感じたことを、ソファーや木が感じたことなんだと関連付けることには飛躍があります。

量子力学的な波動と、感情の波動は、違う世界のものです

モノや植物や他人を観察して、体と感情で何かしらの波動を感じることはできると思います。

でも、それは自分自身の波動です。

確かに、テレパシー能力者は「なんでそんなことが分かるのか?」ということが分かったりすることがあります。

でも、それはすべての人のハートは共通だからです。

自分の内側のハートから波動を受け取っているんです。

でも、その波動を外側から受け取ったと錯覚すると、自分が感じている波動は、その相手の波動なんだと勘違いします。

そうじゃないんです。

実際のところ、どんな人であっても、この体の外側の波動を感じるということはありません。

そう勘違いしているだけなんです。

量子力学の科学者たちは、素粒子が感情に対して量子的に影響を与えることがあるとは言っていないはずです。

科学的に感情が可視化されたことはないでしょうし、これからも不可能です。

感情というのは、意識によってのみ認識されるものであって、ある意味ではこの世界を超えているからです。

テレビの中の映像が、ディスプレイに量子的(物理的)に影響を与えることはできないのと同じです。

なので、量子力学で言われる波動と、感情で感じられる波動というのは、まったく世界が別のものなんです。

このことはあまり指摘されないのではないかと思います。

ただ、意識を通して感じられるこの世界では、5感覚によって感じられる物質世界と、意識によってのみ認識される世界(感情や思考やイメージ)は、同じ世界にあるように感じられます。

体と感情が重なって感じられるようにです。

感情というものは、この物質世界から直接的な影響を受けません。

科学者たちが、感情に対して量子的刺激を与えようとしてもできません。

そもそも、感情を可視化できないんですから。

できることはといえば、間接的な方法で、感情に影響を与えることだけです。

例えば、殴ったりとかですね。

殴るということは、感情に直接的な影響を与えるわけじゃありません。

でも、殴られると、痛覚が起こり、怒りの感情が起こったりします。

でも、痛みを感じる位置と、感情を感じる位置はズレていますよね。

この世界と感情の関係性は、常に間接的です。

5感覚が感情に対して影響を与えているのであって、この世界そのものは感情に対して、直接的に影響を与えることはできないんです。

例えば、目の前に木があるとします。

5感覚を通じて、その木を感じます。

その結果、感情的な波動が起こるかもしれません。

そうすると、その感情的な波動は、目の前の木とリンクしていると感じるかもしれませんが、それは錯覚なんです。

リンクしていることを証明しようとしても、科学者は感情を可視化できませんし、反対に、テレパシー能力者は、物質を直接知覚できません。

物質世界に対して、人は、5感覚を超えて踏み込むことができないんです。

確認することができるのは、眼球を使って確認できる木の表面。

手で触って感じられる木のザラッとした感覚。

舐めるならなんらかの味を感じるでしょう。

匂いをかげば木特有の匂いがするかもしれません。

木を叩けば、詰まった音が聞こえるかもしれません。

でも、感情そのものは、その木を直接知覚することができません。

感情はあくまでも、5感覚によるインプットに対して反応するだけです。

にも関わらず、感情が木を直接知覚しているように感じてしまうのが錯覚なんです。

じゃあ、波動とは何なんでしょうか?

それは、感情であり、体で感じられる気のようなものであり、5感覚で感じられる量子力学的な波動です。

世界は、多くの人が想像するようには波動に満ちてはいません。

ただ、そうイメージすることができるだけです。

覚者は「世界は実在しない」と言います。

(関連記事:記憶があるから、空間が存在する

あなたという存在だけが波動なんです。

そして、あなたという波動が消えている時、あなたはハートの中にいます。

作成者: 山家直生

空白JPアーカイブ2020+」電子書籍(Kindle)を出版しました。

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このブログに書かれていることは、基本的には、なぜ、苦しみと退屈を避けないほうがいいのかということの説明のためにあります。

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