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心理 真我探求

無意識をコントロールすることはできるのか?

日常生活の中で、無意識に考えたり動いていたりすることって結構あると思います。

場合によっては、「こうしたくは無かったのに……」というような行動をしてしまうこともあるかもしれません。

そうなると、人は、無意識の行動をコントロールしたくなるものです。

もちろん、僕もそうでした。

自分がどんな無意識的な考えや行動パターンを持っているかを把握して、そのことをしっかりと自覚していれば、無意識的な考えや行動は避けられるだろうと考えたりしました。

そう教えられることも少なくないのではないかと思います。

はたして、こういったやり方は上手くいくんでしょうか?

無意識を、自覚のあるものにすることはできます

無意識を、自覚のあるものにすることはできます。

無意識というのは、自覚の無い考えや行動ですよね。

考えたり、行動してしまった後に、ハッと気づくものだと思います。

この場合、そもそも気づいていないので、コントロールすることなんて不可能です。

無意識をコントロールしたいと考えるなら、まずは、無意識の考えや行動を、まずは自覚する必要があるわけです。

これは可能です。

例えば、散らかった部屋で探しモノをする場合には大変ですが、モノが少なくきれいに整理された部屋での探しモノなら簡単になります。

頭の中も同じようなものです。

常に考え事で一杯の頭であれば、無意識の考え事や行動に気づくことは難しいです。

でも、頭の中の考え事がとても少なければ、無自覚の思考や行動にも気づきやすくなります。

経営者とかが瞑想を習慣にすることがあるのは、こういった実践的なメリットがあるからだと思います。

その他にも、ヨガやスポーツなど、なにかに集中できるものがあると、頭の中はスッキリしやすくなり、無自覚の考えや行動に気づきやすくなるという傾向はあると思います。

自覚していればコントロールできるのか?

ただ、だからといって無意識の考えや行動をコントロールできるかは別問題なんです。

人は、分かっていても、それをコントロールできないことがありますよね。

例えば、ダイエットをしている人が、美味しそうなスイーツを前にして、「分かってはいるけど、やめられない」ということは良くあるんじゃないかと思います。

無意識をコントロールしようとすることには、自覚できてもコントロールできないという別の問題もあるんです。

ダイエット中の人がスイーツを食べるぐらいならいいかもしれません。

でも、それが本人にとって深刻な問題な場合には、分かってはいるけどコントロールできないという問題は苦痛になります。

僕も当然、この問題に突き当たりました。

瞑想を実践することで、無意識な考えや行動はとても少なくなったと思います。

でも今度は、自覚していても、それをコントロールできないという問題がでてきます。

結局のところ、現実は変わらないことになります。

「無意識な考えや行動を自覚できるようになれば、現実は変わるのでは?」という考えは幻想だったりするんです。

ただ、場合によってはコントロールできるようになることもあります。

無意識を自覚できるようになれば、どう自分が変わるべきかは明確になります。

自分を変えていくことに高揚感を感じられる場合には、自分をコントロールしていくことができると思います。

僕もそうやって、自分を変えていったこともあります。

高揚感が湧くなら全然良いんです。

ただ、多くの場合、無意識な考えや行動というのは、感情的な側面とリンクしていて、変えようと思っても難しいことが多いと思います。

にも関わらず、「自分を変えなければいけない」と大量の変えるべきことリストを作り上げてしまうと、感情はがんじがらめになって束縛されてしまいます。

多くの場合、良いことにはなりません。

(関連記事:虚無感に苛まれる原因はどこにあるのか?【思考と感情の分離】

真理の探求においても、こういったことは多く起こっているのではないかと思います。

コントロールしようとすることを止めることが1番の解決策

結局のところは、コントロールしようとすることを止めることが1番の解決策だったりします。

「いやいや、それが嫌だから無意識をコントロールしたいんだよ!」って思うかもしれません。

でも、それは手段なのであって、目的ではないですよね。

無意識をコントロールしたいと思うのは、そうすることで、良い気分になれると思っているからだと思います。

もし、コントロールしようとすることを止めることで、良い気分になれると言ったらどうでしょうか?

もちろん、そんなことは信じ難いと思います。

でも、もし、それが事実なのであれば、無意識をコントロールする必要は無くなってしまうんじゃないでしょうか?

このことを確認することが、無意識をコントロールしようとすることの、次のフェーズになるかもしれません。

(関連記事:今すぐ苦しみを手放す方法【理想論】

どうせコントロールできないなら、コントロールしようとすることを止めてしまえばいいんです。

実のところ、そこには一種の解放感があります。

自分自身に縛られていることからの解放感です。

無意識をコントロールしたいという欲求には、「意識的でありたい」というものも含まれているかもしれません。

無意識をコントロールできないということは、意識的では無いということだと思うかもしれません。

でも、そうでもないんです。

意識的であることと、無意識をコントロールしようとすることは別です。

無意識をコントロールしようとすることは、意識的になることではなく、意図的になることです。

例えば、野鳥を観察するとき、双眼鏡で1匹の野鳥を追いかけることは意図的なことです。

その1匹は良く見えるかもしれませんが、その他の野鳥に気づきにくくなってしまいます。

一方、双眼鏡を使わずに、ただ、森を見ている状態は意識的なことです。

特にどこかに意識を集中しているわけではないのですが、結果的に、野鳥全体の動きや関係性に気づきやすくなったりします。

もちろん、無意識な考えや行動を自覚のあるものにすることは良いことだと思います。

でも、それをコントロールしようとすることは、反対に視野(束縛と解放の関係性への気づき)を狭めてしまう可能性もあります。

(関連記事:気づきが先か?観察が先か?【本当の瞑想】

作成者: 山家直生

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