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ハートとハートチャクラは違うのか?【位置も性質も違う】

ハートと似たような言葉にハートチャクラというものがあります。

人によっては、ハートとハートチャクラというのは同じものなのではないかと思うかもしれません。

でも、ハートとハートチャクラというのは、微妙に結構違います。

僕は、チャクラというものをほとんど知りません。

眉間や頭頂にそれらしき感覚を感じたことはありますが、それが重要なものだとは思えませんし、日常生活の中でそれらを感じることは極稀です。

意図的に感じようとも思いません。

ただ、以前、ハートの位置の違いを指摘されたことがあり、その違いはなんとなく分かります。

そんなわけで、今回はハートとハートチャクラの違いについてお話してみようと思います。

ハートチャクラは意志の力に依存する

僕が思うに、ハートチャクラを感じるには意志の力が要求されます。

僕は、普段はハートチャクラを感じることはないのですが、そこに意識を向けるのであれば、それを感じられたりもします。

ハートチャクラは、ハートの少し上の位置にあります。

「チャクラのことが分からないというのに、なぜ、そんなことが分かるんだ?」と思うかもしれません。

それは、以前、いわゆる超能力を持つ人に、ハートの位置の違いを指摘されたことがあるからです。

僕は、真理の探求を始めた時には、ハートについてある程度の理解をしていました。

(関連記事:真我探求を早く終わらせたいなら、まず、ハートを理解する

どんな時に、ハートが感じられて、どんな時に、ハートが失われたかのように感じられるのかという経験則も理解し始めていました。

日常生活の中で、ハートにとどまることもそれほど難しいことではなくなっていました。

でも、知的には何も理解していなかったわけです。

今から考えるなら、そのままハートにとどまることを続けるだけで良かったのですが、無知だった僕は、他に何かあるのではないかと他の知識や体験を求めていたわけです。

その過程で、ハートの位置の違いを指摘されました。

ハートチャクラは、ハートの少し上の位置にあり、高揚感の感覚が強いです。

感情が迫り上がるような感覚、前のめりになるような感覚(動きたくなるような)があります。

ワクワク感というのは、ハートチャクラに属するんじゃないかと思います。

何も知らなければ、ハートチャクラがハートのことなんだと勘違いしても不思議はありません。

確かにそれは、胸のあたりで感じられる至福感みたいなものだからです。

そして、言ってしまえば、ハートよりも、ハートチャクラの方が至福感が強いんです。

そのことが、なおさらの勘違いをもたらすかもしれません。

ハートの位置の違いを指摘してきた人も、ハートチャクラをハートだと勘違いしていたようです。

ハートチャクラは意志の力に依存しています。

意識を向けなければ、ハートチャクラは常にここに在るとは思えないでしょう。

意志は、ハートチャクラを維持するために、努力をするようになるかもしれません。

それは解放ではなく、むしろ束縛です。

ハートは意志に束縛されない解放感

ハートを感じるのに、意志の力は必要ありません。

むしろ、ハートというのは、意志に支配されていないからこそ感じられる解放感です。

ハートというのは、意識的に感じようとする必要はないんです。

楽しいという感情が湧き上がる時、それを意図的に感じようとする必要はありませんよね。

楽しいという感情に意識を向けようとせずとも、自然と、その楽しいという感情への意識の集中が起こります。

ハートを感じるのも同じようなものです。

意図的な行為は必要ないんです。

むしろ、意図的にハートを感じようとするなら、ハートは覆い隠され、その上に、ハートチャクラという蜃気楼が生み出されることになるかもしれません。

ハートチャクラの至福感は、意図的に作り出されることもあるんじゃないかと思います。

心地よく感じるようなイメージを、ハートチャクラとリンクさせようとするなら、それは意図的なことです。

そういった感覚がハートであるはずがないんです。

こういったことは、スピリチュアルな現場だけではなく、自己啓発などの現場でも行われることがあるかもしれません。

アファメーションという言葉があります。

理想的な自己イメージを言葉にして、自己暗示をかけるかのようにその言葉を繰り返すことを言います。

そうすることで、至福感や高揚感を感じることもあるかもしれません。

でも、そういった感覚は、やはりハートとは別のものです。

ハートは特定のイメージとリンクすることがありません。

強いていうなら、ハートは「無」とリンクします。

多くの人にとっては、退屈の感覚の中にハートはあるんです。

(関連記事:「苦しみ」と「退屈」を避けないこと

人は、あまりにも意志の力に頼りすぎです。

ハートとは、意志に束縛されない解放感のことであるにも関わらず、人は、その意志を使ってハートを求めます。

それはパラドックスです。

ハートというのは、空っぽの部屋のようなものです。

意志として、部屋を空っぽにした後に、意志として、自身もその部屋から出ていきます。

すると、自分がハートの中にいることに気がつくかもしれません。

逆に、意志として、ハートチャクラというオブジェを部屋に置こうとするなら、むしろ、ハートを見失うことになるかもしれません。

(関連記事:「意志」と「意識」の違いとは?

作成者: 山家直生

空白JPアーカイブ2020+」電子書籍(Kindle)を出版しました。

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