あなたは「夢」って見ますか?
寝ているときに見る方の夢です。
誰しもが、なにかしらの夢を見たことがあると思います。
先日、うちの妻が、こんなことを言ってきました。
「昨夜、自分が付箋になって、本に挟まれていく夢をみたんだけど。。。」
へ〜、変な夢を見るもんだなあと思って、「まあ、それも一種の一体化だよ」というと、「え?どういうこと?」という反応でした。
人は、この体とだけ一体化するわけじゃありません。
夢の中でも、一体化は起こるんです。
というわけで、今回は、夢と意識の関係性、夢の正体についてお話しようと思います。
夢の中では、あなたは誰?
夢の中では、あなたは誰でしょうか?
うちの妻みたいに、付箋になってしまう人は少ないかもしれません。
でも、自分ではない何かになってしまう人は、もしかしたら、少なくないのかもしれません。
僕の場合には、そもそも、体が無いんじゃないかと感じることが多いです。
空気中の、単なる視点を、自分自身だと感じていることが多いような気がします。
もちろん、自分の体があることもあります。
でも、それを後ろから眺めている視点だったりもします。
であるなら、その体が自分というわけじゃないですよね。
でも、そこには、「自分が存在する」という感覚があります。
ちなみに、僕の夢は、モノクロームです。
カラーじゃありません。
これは、人によって、結構、差があるみたいですね。
夢は、この世界とは別のものか?
夢というのは、この世界とは別のものなんでしょうか?
僕は、ドラゴンボール世代です。
夢の中に、悟空とベジータが登場したことがあります。
ベジータにギャリック砲を撃たれたところを、悟空に助けてもらうという、胸アツな夢を見たことがあります。
(ドラゴンボールを知らない方、すみません。。)
それって、明らかにこの世界とは別のもののように感じますよね。
完全に、アニメの世界です。
まあ、その時、自分がどういう姿だったのかということは、あまり明白に覚えていません。
その時も、実は、単なる視点だったのかもしれません。
でも、その世界は、この現実とは違うもののようにも感じられます。
寝ている間に、魂だけが抜け出して、この世界とは違う、別の世界を体験していると想像することもできます。
でも、そうじゃないんです。
夢と、この世界は、同じところに属しています。
同じところというのは、この「意識」のことです。
僕は、世界は実在しているわけじゃないと良く言います。
関連記事:世界は幻想なのか?
それは、夢の世界も同じです。
あらゆる世界に、実体はありません。
この意識の中で、いろんな世界が実在しているように感じられているだけなんです。
「夢」とは、単なる「思考」です。
僕は夢を見ているときに、目が覚めたことがあります。
夢を見ているという感覚を保ったまま、物理的に、目が開きました。
どうなったと思いますか?
夢は、数秒間、持続しました。
目を開きながら、意識がハッキリと覚醒したにも関わらず、夢はそこにありました。
なんていうことはないんです。
夢の正体というのは、単なる「思考」なんです。
「イメージ」というべきでしょうか。
夢というのは、この、意識によって気がつかれている、単なる思考です。
こういった経験は、1回しかしたことがありませんが、夢の正体を知るには十分な回数です。
つまりは、人は、起きている時においても、夢を見ていることが多いということなんです。
人によっては、ほとんどの時間、夢見ている人もいるでしょう。
過去を思い出して怒ったり、悲しんだり、未来を思い描いては、ワクワクしたり、悲観したりします。
それが、夢と同じであるということの自覚無くです。
まさしく、それは白昼夢です。
真理を悟った人は、そのことの自覚があります。
実在する世界が、この意識の外側にも広がっているとイメージするのも、実は、夢と同じなんです。
なので、「この世は夢みたいなものである」という覚者もいます。
そして、それゆえに、真理を悟った人を、「目覚めた人」と呼ぶんですね。
実際に、今、なにかをイメージしてみてください。
そのイメージの質感と、夢の質感は、似てはいないでしょうか?
モノクロームの夢を見る人は、イメージもモノクロームでしょう。
カラーの夢を見る人は、イメージもカラーだと思います。
違うのは、寝ている間に見る夢には、体の5感覚が無いというだけです。
起きている間に見るイメージには、世界という背景があります。
でも、世界という背景が消えるならば、それは、夢とソックリなんじゃないでしょうか?
意識はすべての世界を超えている。
多くの人は、この世には、様々な世界があると思っているんじゃないでしょうか。
夢の世界も、その1つです。
この世界は、3D空間に時間をプラスした、4次元ですが、5次元の世界もあると思っている人もいると思います。
もっと高次元の世界もあると思っている人もいるでしょう。
神々の世界や、地獄といった世界もあると思っている人も、いると思います。
そういった世界は、人間の理解を超えているように思えます。
でも、実際のところは、意識としてのあなたは、そういった、すべての世界を超えているんです。
すべての世界は、あなたの中にあります。
関連記事:「私の中に世界がある」ってどういうこと?
でも、そうは感じられないとしたら、どこかで、勘違いが起こっているんです。
すべての元凶は、意識たるあなたが、自身を、意志だと勘違いしてしまったことでしょう。
意志は、あらゆるものと一体化しようとします。
まずは、体と一体化します。
そして、あろうことか、意識とも一体化します。
関連記事:「意志」と「意識」の違いとは?
記憶とも一体化します。
そして、場合によっては、付箋とも一体化するのかもしれません。
これは別に、驚くべきことじゃないんです。
あらゆる世界は、この意識の中にあります。
夢の世界もそうです。
夢の中で、付箋に意識が集中するなら、付箋と一体化してしまっても、おかしくはありません。
まあ、それは、偽りの一体化ですけどね。
そもそも、付箋には目がないですよね。
自身が、本に挟まれるということを、目撃することなんてできないんです。
おそらく、付箋には触覚もないでしょうし。
なので、それを目撃しているのは、本来の自分である、意識です。
寝ているので、肉眼は機能しませんが、意識に備わっている、霊的な眼が、それを目撃します。
そして、そこには「自分が存在する」という感覚があるので、まるで、自分が付箋になったかのように感じられるかもしれません。
こういった、意識と、意識される対象との関係性は、起きているときにも言えるんです。
体には、5感覚が備わっているので、夢に比べて、リアリティがとても高いです。
肉眼を通して見る、この世界は、とてもリアルに見えます。
触覚もリアルです。
でも、思考やイメージに気がついているのは誰でしょうか?
思考やイメージというのは、体の5感覚で感じているわけじゃありません。
イメージは、肉眼で見ているわけじゃないんです。
見ようと思っても、肉眼じゃ見れないと思います。
例えば、富士山をイメージしたとして、誰かに、「この富士山のイメージ、写真で撮って!」って頼んでも無理でしょう。
肉眼じゃ見れないからです。
イメージを見る機能を持っているのは、意識です。
思考だってそうです。
思考は、耳で聞けるわけではなく、意識で認識されます。
感情だってそうですね。
そう考えると、自分は体ではないということは、明白なんじゃないでしょうか?
なにしろ、体は、思考、イメージ、感情といったものを、認識できません。
あくまでも、5感覚を感じられる受容体であり、肉体です。
思考、イメージ、感情といったものは、意識によって認識されます。
だからこそ、人は、寝ている時に、夢を見ることができます。
寝ている時の夢と、未来への夢は、本質的には同じもの。
夢というのは、寝ている時に見る夢と、未来への希望としての夢は、別々のものとして扱われることが多いと思います。
でも、実は、どちらであっても、本質的には同じものなんです。
日常生活の中で、未来への夢を見ることは、寝ているときに夢を見ていることと、本質的には同じです。
これは、理解がし難いかもしれません。
「じゃあ、未来への夢を見ちゃいけないのかよ!?」って思うかもしれません。
もし、本気で真理を悟りたいと思うのであれば、未来への夢を見ないようにしていく必要があります。
それは、寝ていることと本質的には同じだからです。
覚醒状態というのは、今ここに、何の思考もイメージも感情も無い状態のことです。
それが、目覚めているということです。
でも、そこには、なにも無いわけではなくて、「私は在る」という感覚と、意志から解放された感覚があります。
関連記事:「私は在る」をインスタントに悟る方法
自分自身を、意志だと思い続けている限り、未来への夢を見続けることは、止められないと思います。
もちろん、それが良くないわけじゃありません。
むしろ、世間的には、それは良いことと評価されることの方が多いと思います。
でも、こと、真理の探求においては、未来への夢を見続ける限り、意志との一体化は続いてしまいます。
そして、それは、分離感を生み出しつづけます。
意志自体が、夢の1つなんです。
なので、どこかの時点で、人は、「夢を見続けるのか?それとも、夢から目覚めるのか?」ということの、決断を迫られるのかもしれません。