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真我実現した人(覚者)は残りの人生をどう生きる?【Q&A】

前回、Aさんから頂いた、ひとつめの質問「理想を手放すということと、自殺、バクティについて【Q&A】」にお答えしました。

今回は、Aさんから頂いた、残りのもうひとつのご質問についてお答えします。

真我実現した人は、残りの人生をどうやって生きるのか、ということについてです。

【Aさんからのご質問】

山家さんが真我実現されてからはどういう風に生きていらっしゃるのか?

ということなのですが、理想や執着がなくなったら、生きている必要性を感じなくなりそうな気もするのですが、

ムージ、パパジ、マハルシ等の覚者は、そうでない人が真我実現できるように導いていると思いますし、

山家さんもこういうブログを書かれているということは、覚者は残りの人生そういう風に生きるようになっているのでしょうか?

【回答】

これについては、僕も、その昔、気になっていました。

このブログは、2017年12月から書き始めました。

その時点では、「私は在る」ということ、「ハート」とは何かということは理解していましたが、「私の中に世界がある」ということは、理解していませんでした。

言ってみれば、完全なる理解は起きていませんでした。

そして、こんな記事を書いています。

四向四果という悟りの概念について思うこと。

これを読むと、まさしく、悟りということに幻想を抱いていたことが分かります。

「自我がなければ、しゃべることができなそうな気がしますが、どうなんでしょうか?」とか書いてますね。

アジャシャンティは、「悟りという現象が起こったとき、それは自分が思っていたようなものではあり得ない」と言いますが、本当にそうです。

僕に、それが起きたのは、おそらく、2019年の中頃です。

このブログの記事も、そこらへんから、その質が変わってきました。

書き始めた当初は、探求者向けというよりも、一般の人にも分かりやすいようにという方向性で、書き始めていました。

なので、僕が昔書いた記事の方が、分かりやすいというか、共感できるということもあるかもしれません。

でも、それは、幻想を抱いた上での話になっています。

「じゃあ、書き直せ」ということになるんですが、人は、こういった幻想を抱くということの記録としては、多少は役に立つかもしれません。

理想や執着が消えるというのは、あくまでも、「自我にとっての」ということなんです。

体は当然残りますし、心も機能し続けます。

修行としての瞑想をしていると、思考やイメージというのは、やがては無くなっていくものと思うかもしれません。

「完全に無くなった時に、悟るのではないか?」とか思います。

確かに、思考やイメージは減ってはいくのですが、無くなりません。

必要な思考やイメージというのは、起こり続けます。

自我も、消えて無くなるわけじゃありません。

ただ、自我がハートの中に沈むだけです。

この世界を、コントロールしようと奮闘していた自我が、ハートこそ、自分の居場所である、安住の地であると自覚して、ハートに収まります。

それが、真我実現です。

それを自覚している人が、覚者です。

なので、真我実現したから、特定の行動をするということはないんです。

むしろ、生まれ持った性質が、制限されることなく出てきます。

例えば、僕は、内向的な性質が強いので、人前で話をするような、サットサンのようなことは、おそらくしないと思います。

今の時代は、インターネットがあって、ブログという媒体もあるので、僕は、このブログを書いています。

書かずにはいられない衝動があります。

でも、もし、インターネットが無い時代だったなら、ごく身近な人にはこういった話をするかもしれませんが、多くの人に話して広めようとは考えなかったはずです。

実際のところ、僕がこういった話をするのはうちの妻に対してだけで、僕には生きた師がいませんし、特定のコミュニティにも属していません。

うちの両親でさえ、僕がこういったことを話す人だとは知りません。

なので、真我実現してから、どのように生きているのかと問われるなら、「今まで通り」ということになります。

このブログを書いているのも「たまたま」とも言えます。

ただ、この先、どのように生きていくのかは「神のみぞ知る」とも言えます。

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作成者: 山家直生

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このブログに書かれていることは、基本的には、なぜ、苦しみと退屈を避けないほうがいいのかということの説明のためにあります。

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