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Q&A 心理

人と会うことによって起こる苦しみと、1人でいるときに感じる苦しみ【Q&A】

今回は、Yukiさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。

Yukiさん、ありがとうございます。

Yukiさんからの質問

山家様、突然のメール失礼します。
Yukiと申します。
ブログいつも拝読してます。Kindle版もスマホでいつも手元にあります。

「苦しみの避け方」ではなく「とことん味わって飽きさせる」というアプローチは斬新で厳しいですね。まさに今現在、人間関係で、苦しみの真っ最中です。半年ほど前にも同じようなことがあり、その時はしんどくて逃げたのですが、また人を変え、パターンを変え、目前に現れました。

(関連記事:苦しみに飽きるための感じ方

これ、逃げてもまた来るのは分かっていて、自分の心の反応の癖が根本の原因であることも察しているので、今度こそ、避けずに解消したいと思っています。これが消えてハートのフタが少しでも開いてくれるといいな……。

この、いつも胸の奥に重たく感じる塊が苦しみってやつだと思うのですが、ソレに意識を集中すればいいのでしょうか?
人間関係がキーなので、ソレが発生した時の状況や、その時聴いた言葉、自分の言動、いろいろと思い返しては「ずーん……」と落ち込んでいるわけですが、これでいいのでしょうか。
これを繰り返していたらいずれ飽きるのでしょうか。

苦しみを解消してハートの理解をしたいと思う一方で、この苦しみがなくなる=人間関係リセットになることも予測していて、もしかしたら、それを惜しんでいる部分もあるのかもしれません。

幼少時に知人の大人が飛び降り自殺をした後の現場を目撃して以来、死の恐怖をずっと抱え、それゆえに当時から自分なりに探求をしてきたのですが、我ながらぜんっぜん進歩がなくて泣けます。

(関連記事:死の恐怖は、どこからやってくるのか?

本を読めば読むほど、「知識」があっても関係ないのではないか、でも何をどう「実践」したらいいのかと迷う中で、「苦しみや退屈を避けない」ことでハートの理解に近づくやり方はとても分かりやすいのですが、やっぱり分かっていません。これでいいのかな? 具体的にはどうしたら? 疑問がいっぱいです。
退屈だとつい本を読んだりゲームしたりしちゃうけれど、それをせずに、「たいくつだーひまだー」と(心で)叫びながらグダグダしてていいってことなのでしょうか。

(関連記事:「退屈を避けない」って一体どういうことなのか?

苦しみを避けないでいると、病気をこさえるんじゃないかってくらい胸にシコリができてつらく悲しいんですが、その状態をずっと味わっていればいいのでしょうか?

とりとめなく乱文で申し訳ありません。
今後のブログ更新も楽しみにしております。

Yuki 拝

回答

Yukiさん
こんにちは。

> ブログいつも拝読してます。Kindle版もスマホでいつも手元にあります。

Kindle版も読んでいただいているんですね。
ありがとうございます。

> 「苦しみの避け方」ではなく「とことん味わって飽きさせる」というアプローチは斬新で厳しいですね。まさに今現在、人間関係で、苦しみの真っ最中です。半年ほど前にも同じようなことがあり、その時はしんどくて逃げたのですが、また人を変え、パターンを変え、目前に現れました。
> これ、逃げてもまた来るのは分かっていて、自分の心の反応の癖が根本の原因であることも察しているので、今度こそ、避けずに解消したいと思っています。これが消えてハートのフタが少しでも開いてくれるといいな……。

ちなみに、人と会うことによって起こる苦しみと、1人でいるときに感じる苦しみというのは、分けて考えたほうがいいかもしれません。

僕は、人からは逃げてもいいと思ってます。
僕自身、人付き合いは苦手なほうで、あまり人と深く関わらない傾向があります。

(関連記事:現実から逃げるってどういうことか?

相手に合わせようとして(上手く合わせられないにも関わらず)疲れてしまうということがよくあります。
その根本的な原因は、他人に対してあまり興味を持てないというところにあります。

その心の反応の癖というのは、変えられないと思ったほうがいいかもしれません。
実際のところ、その癖を変えようと思うことが苦しみの根本の根本なんです。

その根本の根本が、1人でいるときにも苦しみを感じるんです。
「どうして、こうなってしまうのか?」
「もっと上手くできたのではないか?」
「こんな自分の心の反応の癖を変えなければ…」
とかですね。

実際のところ、人と会うことによって起こる苦しみというのは、その瞬間だけの刹那的なものです。
でも、その根本の根本が、その苦しみを継続させてしまうんですね。

苦しみを避けない方が良いというのは、その根本の根本が感じている苦しみの方です。
その苦しみは、自分が思い描いている単なるイメージや記憶であって、自分で作り出しているものです。

なので、自分で作り出しておいて、それに苦しんでいるという構図に気がついてしまうと、馬鹿らしくなってしまったりします。
そのうち、飽きてしまうということですね。

> この、いつも胸の奥に重たく感じる塊が苦しみってやつだと思うのですが、ソレに意識を集中すればいいのでしょうか?

そうです。そうです。

> 人間関係がキーなので、ソレが発生した時の状況や、その時聴いた言葉、自分の言動、いろいろと思い返しては「ずーん……」と落ち込んでいるわけですが、これでいいのでしょうか。
> これを繰り返していたらいずれ飽きるのでしょうか。

過去の具体的な記憶であれば、数日で飽きることも多いですし、長くても2週間ほどで飽きてしまうのではないかと思います。
ただ、実際のところは、苦しみ続けるということが難しかったりもするかもしれません。

人は、怒り続けることができないのと一緒です。
怒っている人に、「3時間怒り続けてください」と言っても、途中で冷静になってしまうんじゃないかと思います。

苦しむことも、それに似た側面があって、苦しみ続けるということは難しかったりもします。
途中でトイレに行きたくなって忘れてしまったり、場合によっては、退屈感を感じることもあるかもしれません。
意外に冷静になってしまっている自分に気づくかもしれません。

なので、少し切り口を変えて、「一体、どれくらい長く苦しみ続けることができるのか?」ということを、時間を計って試してみるのもいいかもしれません。
意外と持続できないことに気がつくかもしれません。

> 苦しみを解消してハートの理解をしたいと思う一方で、この苦しみがなくなる=人間関係リセットになることも予測していて、もしかしたら、それを惜しんでいる部分もあるのかもしれません。

これは大いにあり得ると思います。

> 退屈だとつい本を読んだりゲームしたりしちゃうけれど、それをせずに、「たいくつだーひまだー」と(心で)叫びながらグダグダしてていいってことなのでしょうか。苦しみを避けないでいると、病気をこさえるんじゃないかってくらい胸にシコリができてつらく悲しいんですが、その状態をずっと味わっていればいいのでしょうか?

退屈は、苦しみ以上に避けないでいることが難しいと思います。
なので、最初のうちは退屈を避けない手段として瞑想を取り入れてみるのがいいのではないかと思います。
10分とか20分とか、時間を決めてやってみるということですね。

(関連記事:瞑想にゴール(目標・目的)はあるんでしょうか?

苦しみは、それこそ胸にシコリができるんじゃないかと思うぐらい瞬発力がありますが、意外と、その状態を維持することは難しかったりもします。

例えば、苦しみを感じている間に大地震が起こるなら、おそらく、苦しんでいるどころじゃなくなるはずです。
いかにして身を守るかということに意識が向くはずです。
瞬時にして、苦しみは消えるはずです。

苦しみというのは、そういった刹那的な性質のものなんです。
なので、まずは、苦しみを持続させることは意外と難しいということに気がついてみるのもいいかもしれません。

(関連記事:「苦しみ」と「退屈」を避けないこと

作成者: 山家直生

空白JPアーカイブ2020+」電子書籍(Kindle)を出版しました。

2021年からTwitterも始めました。

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このブログに書かれていることは、基本的には、なぜ、苦しみと退屈を避けないほうがいいのかということの説明のためにあります。

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