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悟りに至る地図について【Q&A】

今回は、FRさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。

FRさん、ありがとうございます。

テーマは、悟りに至るまでの道筋についてです。

FRさんからの質問

FRと申します。
私は、山家さんよりひとつだけ年上の、いわゆるサラリーマンの男性です。簡単にまとめると、20代後半からの自己啓発に始まり、心理学→スピリチュアル→真理探究と流れてきました。幼い頃からタナフォトビアに苦しんできたことが、探究のモチベーションの根源にあると思っており、山家さんに親しみを感じています。
ひとつ質問させて下さい。題材として相応しければ、ブログで取り上げるなど、何らかの回答を頂けたら幸いです。
私は数ヶ月前、別の覚者の方に、端的に言うと「黙る瞑想」を(日常生活の中も含め)続け、その他の情報はなるべく断つように勧められました。
直感的に「そうすることが正しい(効果的な)はずだ」と感じ、数ヶ月続けてみるものの、時間の経過とともにモチベーションの波が大きくなって、質・量ともムラのある取り組みになりました。
ところが、たまたま数日前に「PNSE」を検索して空白.jpに出会い、以降山家さんの文章のおかげで、私自身が取り組んできたことの理解が深まり、それに伴い黙る瞑想の質・量が改善され、いくつかの気付きもありました。
やはり、探究の道筋は人それぞれであるものの、ある程度の方向性を示す地図があってくれると有難いと感じ、今は空白.jpを私の地図とさせて頂いております。
さて、探究を思い立った後の取り組みの流れを想像するに、

①真理に対する(ある程度の)理性的理解
②対象を持つ瞑想を通しての集中力の強化
③対象を持たない瞑想を通しての明け渡しの進展
④段階的な意識、存在、至福への気付き

という大まかな道筋があるのかなと想像しております。
山家さんは、どんな一般的な(?)道筋をイメージされるでしょうか。それとも、探究の道筋を一般化しようとするのはそもそも無理があるとお考えでしょうか。
何でもオーガナイズしようとするのが、この自我の悪い癖だという自覚があるものの、どうしても真理探究を俯瞰的に捉えたい衝動があります。
よろしければ、山家さんの見解をお聞かせいただきたく、ご検討よろしくお願いいたします。

回答

FRさん
こんにちは。

メッセージありがとうございます。
空白JPをFRさんの地図として使ってもらえるなら嬉しいです。

> 山家さんは、どんな一般的な(?)道筋をイメージされるでしょうか。それとも、探究の道筋を一般化しようとするのはそもそも無理があるとお考えでしょうか。

探求の道筋は、ある程度は一般化できると思います。
僕は、真理の探求というのは、行って帰ってくる道だと思ってます。

なので、FRさんの挙げる道筋でいえば、この2つでしょうか。

> ②対象を持つ瞑想を通しての集中力の強化
> ③対象を持たない瞑想を通しての明け渡しの進展

結局、これがすべてなんじゃないかとも思ってます。
必ずしも、理性的理解が必要というわけでもないんです。

ただ、なんの誤解もなく、行って帰ってこれる人は、とても少ないんじゃないかとも思います。

やっぱり、疑問に思いますよね?

「何のために瞑想をしなければいけないんだ?西洋のノンデュアリティでは瞑想する必要はないって言われているぞ?」
「瞑想中、ある程度は無心でいられるようになったけど、だから何だっていうんだ?これが真理と何か関係があるのか?」
「瞑想にはいろんな種類があるけど、結局どれがいいんだ?そして何より、いつまで続ければいいんだ?」
「瞑想的な日常生活を送るだけで真理を悟れるとは到底思えないんだけど?であるなら、世界中にもっと真理を悟ってる人がいてもおかしくないんじゃない?」

とか、色々と疑問が起こるんじゃないかと思います。
下の3つは、僕が実際に思っていたことです。

実のところは、真理の探求において、理性的理解がより必要になるのは、行きよりも帰りなんじゃないかと思います。

行き方を教える人は多いですし、行きには、ある程度の目標を持つこともできます。
「とりあえず、瞑想を習慣にして、瞑想中は思考に振り回されないように頑張ろう」とか。

でも、帰り方を教える人はとても少ないと思います。
行き方と、帰り方というのは、まったく真逆です。
帰るときには、すべての目標を手放します。

でも、なぜ、すべての目標を手放さなければいけないのか、具体的に教えている人は、ほとんどいないのではないかと思います。
僕が探求しているときに知りたかったことは、見つけることができませんでした。
だから今、空白JPを書いているという部分もあります。
(それでも探求は終わっているので、必ずしも知る必要もないということでもあるんですが)

「黙る瞑想」を実践することは重要なことですが、それは、努力してするものでもないんです。
修行としての瞑想から、黙る瞑想(瞑想的な日常生活)へのシフトは、わりと自然な流れになります。

なので、もしかしたらFRさんの場合には、目標を握りながらも、それを手放さなければならないのではというジレンマがあったのかもしれません。
それは、行こうとしつつも、帰ろうともしていることであり、モチベーションの波として現れたのかもしれません。

であるなら、まずは修行としての瞑想に集中するというのも手だと思います。

> ④段階的な意識、存在、至福への気付き

ちなみに、こちらについては、いつ気づくのかというのは明確なことは言えないんです。
僕の場合には、探求を始める前に至福とは何かへの気づきが起こりましたし、必ずしも探求する必要はないというのは事実だと思います。
ただ、存在とは何かへの気づきは、必ず最後に起こるはずです。

こんな感じでしょうか。
また何かありましたらご連絡ください。

作成者: 山家直生

空白JPアーカイブ2020+」電子書籍(Kindle)を出版しました。

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