バガヴァッド・ギーターという聖典は、とても稀有な存在です。 というのも、二元論的な思想を持つ人々に支持されるのは当然なのですが、非二元論的な思想を持つ人々にも支持されているからです。 例えば、不二一元論を提唱したシャンカ […]
カテゴリー: 悟りと真理について
真理の探求と、「霊性」は、切っても切れない関係性にあるかもしれません。 「真理を悟るためには、霊性を高めなければならないのでは?」と思う人は、少なくないのではないでしょうか? もちろん、僕も、そう思っていたことがありまし […]
「私は在る」という感覚をインスタントに悟る方法
まず、はじめに謝っておきます。 もし、インスタントに悟れなかったらごめんなさい。 我ながら、煽り気味なタイトルをつけてしまいました。 「私は在る」という感覚は、瞑想を通して理解していくのが王道です。 でも、「私は在る」と […]
「虚無(絶対無)」を唯一の「有」と見抜く
前回の「死の恐怖は、どこからやってくるのか?」の続きです。 前回、「虚無とは、唯一の有のことです。」という言葉で、締めくくりました。 これは、なかなか理解し難いんじゃないでしょうか? 「それって、「空」のこと?」って思う […]
死の恐怖はどこからやってくるのか?
あなたは、死ぬのが怖いでしょうか? 死の恐怖の感じ方には、結構、個人差があるようです。 僕は、小学1年生の時に、死の恐怖にとらわれました。 一方で、死ぬのは大して怖くないという人もいます。 「だって、死んじゃったら、死の […]
悟るための方法論は、存在しないのか?
「悟るための方法は、存在しない」と言われることがあります。 悟ろうと努力することは、無意味だというニュアンスで、使われることが多いように思います。 その努力こそが、悟れない原因だと。 一方で、悟るための方法を、提示する人 […]
覚者と聖者はどう違う?
先日、うちの妻に「聖者と覚者って何が違うの?」という、とても素朴な質問をされました。 確かに、その違いって分かりづらいかもしれません。 「どっちも同じような意味?」って思うかもしれません。 でも、微妙に、結構違います。 […]
「すべてはひとつ」という言葉は、とても響きの良い言葉です。 この言葉を聞くと、なんとなく「そんなものかなあ」と納得してしまう人も少なくないと思います。 でも、多くの人は見落としていると思います。 「すべてはひとつ」の「す […]
このブログで、「一瞥体験(いちべつたいけん)」という言葉を使うのは初めてだと思います。 僕は、この言葉をほとんどといってもいいほど使いません。 あまり、その重要性を感じないからです。 後でもお話しますが、僕は一瞥体験をし […]
非二元論と、大乗仏教の「空」の思想は、似ていると言われることがあります。 非二元論も、大乗仏教も、オリジナルな教えというわけではありません。 どちらにも、そのオリジナルがあります。 大乗仏教の場合には、もちろん、ゴータマ […]