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自分が世界を作り出している?/魂と輪廻転生【Q&A】

今回は、マサさんから頂いた質問メールを公開したいと思います。

マサさん、ありがとうございます。

テーマは、人生についてです。

「なぜ、自分は生まれてきたのか?」

「なぜ、こういった、人生を歩んでいるのか?」

「それは、過去生での行いが関わっているのか?」

「こういった全ては、自分が作り出しているのか?」

といったことについてです。

マサさんからの質問

昨日、悟りの段階について調べていて、たどり着きました。
私は仏教に詳しくないのですが、悟りや、非二元について、わかりやすく書かれているサイトがあまりないので、とてもうれしいです。

この世が現実物質世界ではなく、
自分の起こしている自作自演のシュミレーションということについて、
同じ意見でしょうか?
私は、個人の魂の輪廻を信じていて、だからこそカルマによって、
生まれながらに人生がこんなにも違うと、考えてきました。
私の子供時代の境遇があまりにも酷かったからです。
「人間は、何のために生まれてくるのか?」を、5歳からずっと考えていました。
これは私が前世でとんでもない悪人だったのだろう、と考えるしか方法がなかったのです。
それとも、私の思考意識の思い癖でしょうか?

もし輪廻でなく、思い癖、魂の色だとしたら、
その色は一体いつ生まれたのか?となります。

山家さんは、ノンデュアリティ非二元を説明されているようですね。
まだ、見つけたばかりで、一部しか読めてませんが、
文章がわかりやすく、しかし私には難しいです。

私は、生まれた時から愛されず、本当に苦しい人生でした。
そして、今も、今日も苦しいです。
それで教えていただきたいです。宇宙に自分ひとりしかいない、
ということからすると、
自分を悩ませている相手は、自分が作っているのですか?

山家さんは、すべてがないのではなく、目の前にあるものは、実在しているお考えですか?
とすると、目の前から消えたら実在してないのですか?
私の苦しみは、私が作り出しているのですか?

私の人生は、なぜこんなにも普通の人と違うのか?
と、我ながら可笑しくなってきます。
何か教えていただけたら、嬉しいです。

回答

マサさん
こんにちは。

ご質問ありがとうございます。

> この世が現実物質世界ではなく、
> 自分の起こしている自作自演のシュミレーションということについて、
> 同じ意見でしょうか?

これは、確かにそうだとも言えるのですが、おそらく、多くの人は「自分」の意味を勘違いしてしまうのではないかと思います。
もし、自分がこの世界を起こしているのだとすれば、「この世界は自分の思い通りになるはず」とか「なぜ、この世界は自分の思い通りにならない!」ということになります。

でも、体を持った個人からすると、この世界は思い通りにならないし、思い通りにならなくて当然なんです。
そして、体を超えた、本当の自分というのは、この世界がどうなっているのかということに対して、まったく関心を持ちません。

テレビの中の登場人物は、世界を気にしますが、テレビのディスプレイそのものは、世界がどうなっているのかは気にしません。
そもそも、世界には実体がないからです。
世界は、単なる映像です。
ディスプレイからしたら「私しか実在しない」んです。

なので、この世は現実物質世界ではないと言われるんですね。
そして、そうであるなら、「魂」というのも、実は、実在はしないんです。

世界が実在しないのであれば、魂は、どこからどこに輪廻するのかという話になります。
ディスプレイからすれば、世界も、魂も、体も、同じものなんです。
単なる映像でしかありません。

多くの人は、この世界は実在しているもので、魂という存在があって、時空を超えて、この魂は、この世界を輪廻転生すると考えていると思います。
でも、そういった輪廻転生の概念自体が、実のところ幻想みたいなものなんです。

でも、「魂」に相当する存在は、実在しています。
実は、ディスプレイが「魂」なんです。

本当の意味での輪廻転生というのは、魂が、世界の中を輪廻転生するんじゃなくて、魂の中で、世界が輪廻転生するんです。
テレビを見てると分かると思います。
同じディスプレイの中で、様々な番組が放映されますよね。

なので、実のところ、魂には個性というものがありません。
例えば、映画の中の主人公は、映画が始まった瞬間から20歳だったりしますよね。
20歳になるまでのストーリーは描写されません。
でも、20歳になるまで、どんなことがあったのかという設定は、決められていたりします。

もし、魂に個性があると思うのであれば、それは、その設定を信じているということと似たようなものなんです。
なので、過去生がどうだったかと考えることには、あまり意味がないんです。
あくまでも、それは設定であって、それが本当にあったのかどうか、今に、どう関わっているのかどうかを、確かめる術はありません。

もちろん、「人間は、何のために生まれてくるのか?」と思うこともあると思います。
僕も、そう思っていたことがあります。

でも、究極的な答えとしては、「人間は、生まれていない」んです。
ディスプレイが、自身の中に映る世界の中の、体を持つ個人、意志なんだと勘違いしてしまっただけです。

まあ、なかなか納得はし難いんですけどね。

僕はたぶん、一般的なノンデュアリティ非二元に対しては、どちらかというと否定的だと思います。
こんな記事も書いているので、ぜひ、読んでみて下さい。

非二元論を超えて
https://ku-haku.jp/hinigen-koeru/

個人差というのはあると思いますが、基本的に、人生というのは苦しいものだと思います。
どんなに、理想的な人生を歩んでいるように見える人でも、最終的には、体の死と直面するときに苦しむことになります。

なので、僕は、「苦しみは避けることができる」とは言いません。
一時的に、先延ばしにすることはできるかもしれません。
でも、避け続けることはできないんです。

なので、僕はむしろ、「苦しみと退屈を避けないこと」と言います。
苦しみと退屈には飽きることができるからです。

苦しみと退屈を避けないこと
https://ku-haku.jp/kurushimi-taikutu-sakenai/

僕に言えることは、基本的には、これと、なぜ、苦しみと退屈を避けないほうがいいのかということの説明だけなんです。

マサさんは、「自分を悩ませている相手は、自分が作っているのですか?」「私の苦しみは、私が作り出しているのですか?」と言いますが、その「自分」「私」というのは、一体誰なんでしょうか?

もし、自分が作り出しているとは思えないのであれば、それを、信じ込もうとする必要なんてないんです。
僕だって、体を持った個人としては、この世界を自分が作り出しているとは思えませんし、そう思い込もうとすることに、意味があるとは、僕は思っていません。

ただ、自分という存在は、この体に限定されるものでも、意志に限定されるものでもなく、テレビで言えば、ディスプレイそのものなんだということを自覚しているだけです。

マサさんは、今、この瞬間も、苦しみを感じているかもしれません。
でも、マサさん自身が苦しみを感じているんでしょうか?
それとも、マサさんは、自分が苦しんでいるということに、気がついているんでしょうか?

愛というのは、他人に与えられるものじゃないんです。
ディスプレイとして、自分自身に気がついてあげることが愛です。

苦しみというのは、感情を感じる部分で感じますよね。
であるなら、苦しみそのものに、気がついてあげればいいんです。

思考したり、苦しみの原因を特定しようとしなくてもいいんです。

苦しみは、そんなことを求めてはいないんです。
ただ、気づいていてもらいたいだけです。

苦しみの感じ方については、こちらの記事が、参考になるかもしれません。

苦しみに飽きるための感じ方
https://ku-haku.jp/kurushimi-akiru-kanjikata/

もちろん、「そんなのはイヤだ!」と思うかもしれません。
そういった場合には、人に話しを聞いてもらったり、カウンセリングを受けたりするのも良いと思います。

ただ、本当の意味で、苦しみをどうにかしたいと思うのであれば、苦しみに飽きてしまう他、方法はないと僕は思っています。

長くなってしまいました。
また、なにかありましたらご連絡ください。

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作成者: 山家直生

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このブログに書かれていることは、基本的には、なぜ、苦しみと退屈を避けないほうがいいのかということの説明のためにあります。

なにかご質問があれば、お気軽にお問い合わせください。